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「岡本太郎と遊ぶには」タナカカツキ対談②

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タナカカツキさんと平野暁臣の対談、二回目です。
お二人の出逢いには敏子さんに、
オッス!トン子ちゃん(ポプラ社)』が発覚したことが大きかったようです。
今回は敏子さんの思い出から、
二人のコラボレーションについてお聞きします!

〈前回はこちら〉
①「腹をくくって〝真剣に〟遊ぼうとする人しか、太郎は相手にしない。」

「太郎と遊ぶ」って考えると、やっぱり最初に出てくるのはタナカさんなんだな

平野:当時はちょうど岡本太郎がゆっくりと復活しはじめた頃ですよね。
1998年にこの記念館が、翌1999年には川崎に美術館ができて、
本も続々と復刊されはじめた。
いまの若い人たちにはなかなか想像しにくいかもしれないけれど、
晩年の太郎はなかば忘れられた存在でした。
元気な頃はあれほど世間を騒がせていたのにね。

タナカ:世間的にはそうでしたよね。
それを敏子さんが〝伝道師〟になって… 。

平野:そう。太郎が亡くなってすぐに、
敏子は「岡本太郎」っていう種を蒔きはじめた。
タナカさんが出会ったのは、
ちょうどその種が芽を吹きはじめたかどうかっていう頃だったんじゃないかな。
まだそんな段階だったから、
もちろん岡本太郎をいじろうとするヤツなんてまだ誰もいなかった(笑)。

タナカ:(笑)

平野:いま岡本太郎をもっとも深く理解しているひとりは
まちがいなく美術史家の山下(裕二)さんだけど、
彼だって、太郎が亡くなった1996年に刊行された
別冊太陽:岡本家の人びと』(平凡社)の原稿を頼まれるまで、
ほとんど眼中になかったらしい。
「岡本太郎なんて、良識ある美術界の人間がかかわるべき相手じゃない」
っていう美術業界の常識っていうか、刷り込みもあって、
山下さんだけじゃなく、アカデミズムの世界では例外なくみんな
〝食わず嫌い〟だったみたい。

タナカ:なるほど。

平野:でも、必要に迫られて太郎のことを調べてみたら、
「なんておもしろいんだ!」って。
「こんなにおもしろいのに、なんでいままで気がつかなかったんだろう」ってね。
みんなそう。
クリエイティブな人ほど太郎にハマるんですよ。
しかも太郎は学術的には〝処女地〟だった。

タナカ:誰も研究してなかった。
ていうか、研究対象と見ていなかったんですね。

平野:そう。だってほとんどキワモノ扱いだったんだもん、
美術アカデミズムの世界ではね。
「あんなヤツには関わるな」って感じ?(笑)。
だから広大なTARO Worldが手つかずの状態で残っていたわけ。
しかも知れば知るほどおもしろい。
山下さんの話に戻ると、敏子も彼のことを信頼していたから、
彼にいろんな話をした。
で、彼はついに「俺は岡本太郎になる」って言って
岡本太郎宣言』(平凡社)という本を出版するに至ったわけですよ。
タナカさんの一件は、ちょうどその頃に起こった。


平野:山下さんは敏子の性格をよくわかっていたから、
タナカさんをここに連れてきたんじゃないかな。
敏子がおもしろがることが最初からわかってた。
タナカさんは怒られると思ってたかもしれないけどね(笑)。

タナカ:しぼられるなと思って。

平野:でも、そうじゃなかったでしょ?

タナカ:そうなんですね。
逆でしたね。
「もっとやれ!」みたいな、肩をパーンと叩かれたような…。

平野:喜ぶに決まってるもん、こういうの。
で、タナカさんと敏子の関係ができて、その頃かな?
そのちょっと後かな?
ぼくがタナカさんと出会ったのは。

タナカ:太郎さんの企画展か何かあったときだったかな?

平野:あっ、そうだ。
「太郎講座」っていうのをここ(記念館)でやっていて、
その講師としてタナカさんが来たんだ!

-いきなり講師ですか?

タナカ:そうなんですよ。
いきなり講師なんです。むちゃくちゃでしょ?(笑)

平野:まだ敏子がいた頃だったよね?

タナカ:階段一段抜かしするほど元気でしたよ(笑)。

-その後に「タナカカツキの太郎ビーム!」展ですね。

平野:それから3年くらい経ってからかな?
ビーム展は2007年だから。

タナカ:そうですね。

平野:ビーム展のキュレーションも山下さん。

タナカ:そうなんですよね。
お世話になりっぱなしです。


平野:2005年の4月に敏子が急に亡くなって。
そのときぼくは「《明日の神話》再生プロジェクト」を率いていて、
メキシコで壁画を日本に送るための解体・梱包作業を終え、
日本に帰ってきた、まさにその日でした。
成田で飛行機を降りたぼくたちを待っていたのが、
敏子の訃報だったんです。

タナカ:その話、すごいですよね。
ドラマチックというか。

平野:とにかくあまりに急だった。
なんの前ぶれもない、とつぜんの出来事。
なんの準備もできていない状況でした。
それでぼくが記念館を引き継ぐことになったんだけど、
ぼくは《明日の神話》で手いっぱいだった。
でもなんとか記念館を運営しなくてはいけない。

タナカ:ええ。

平野:そもそも記念館は「敏子が太郎を語る場所」だったわけですよね。
山下さんは「〝岡本太郎〟は太郎と敏子のユニット名だ」って言ってるけど、
まさにユニットの片方がまだここに生きているっていう、
有無をいわせぬ生々しさが残っていました。

タナカ:たしかに。

平野:つまり、「岡本太郎さんってすごかったのよ。ねぇ、あなたたち知ってる?」
と語る敏子がいて、それを聴きに行く場所だったわけですね。
しかも記念館に来る若い人たちは、ほぼ例外なく
〝岡本敏子というメディア〟を通じて太郎を知ったわけ。

タナカ:あそこに行けば敏子さんに逢える。
そういう場所でしたよね。

平野:まさにそう。
敏子がしゃべり、敏子が書き、敏子が種をまいたんです。
ぼくにバトンが渡ったからといって、
「今日からぼくが担当になりました」
なんて名刺を配ったところで話にならない。
ぼくが敏子の真似したってしょうがないでしょ?
だれも敏子の真似なんてできないし、やったところで意味がない。

タナカ:それおもしろいですけどね。
平野さんが敏子さんのコスプレして(笑)。

平野:あっ、それは思いつかなかったな(笑)。
で、根本からコンセプトを変えないとダメだなと思ったんです。
敏子がいなくなったことを前提とした「あり方」みたいなことをね。
けっきょく、「敏子が太郎を語る場所」から
「みんなで太郎と遊ぶ場所」にしようって決めたんです。

タナカ:なるほど。

平野:記念館の企画展も、
それまではぜんぶ敏子がひとりで考えてやっていたんだけど、
「みんなで太郎と遊ぶ」んだから、
いろんな人たちのいろんな感性や切り口を記念館の中に注ぎ込んで、
岡本太郎の見方や切り取り方を広げていこうと思ったんですよ。

タナカ:おもしろいですね。

平野:で、最初にやったのは、もっとも太郎を理解し、
敏子の信頼も厚かった3人のトップランナーたちに
ゲストキュレーターになってもらって、
それぞれの切り口で太郎と遊んでもらうことでした。
山下裕二、椹木野衣(美術批評家)、和多利浩一(ワタリウム美術館キュレーター)の3人です。
彼らは岡本太郎賞の審査員でもあった。
このとき山下さんが連れてきたのがタナカさんだったんです。


タナカ:そうでしたね。

平野:「太郎と遊ぶ」って考えると、
やっぱり最初に出てくるのはタナカさんなんだな。
今回の対談もそうですけどね。

タナカ:いや、なんか恐れ多いです(笑)。
当時はほんとうに敏子さんが、深夜番組とかに出てらっしゃって、
太郎さんのトークをしていた。
その敏子さんが記念館に行けば逢えるってすごいんですよ。
「会いに行けるアイドル」っていうくらいの。

平野:そうかもね(笑)

タナカ:実際に階段を降りたり昇ったりしていて、
僕らからしたら「いたーーーー!」っていうくらいの盛り上がり。
そんな場所だったんですよね、記念館って。
すごく生々しかったし、アトリエも、お庭も残ってるし、
異様にエネルギーのある場所でしたね。今でもそうですけど。

平野:そうして山下さんのキュレーションで、
「太郎ビーム!」展をやって。

タナカ:ちょうどゴールデンウィークあたりにやらせていただいて。

平野:あれはおもしろかった。
それに画期的だったと思う。
じつはいまでもちょっと自慢してるんです。

タナカ:むちゃしてますからね(笑)。


平野:いちばんおもしろかったのは、
太郎が途中で描くのをやめちゃった油彩の作品を、
タナカさんが完成させるっていう試み。

タナカ:完成っていうか、
イタズラ描きみたいなものですけど。

平野:最初、山下さんとぼくで、その絵の上に描いちゃえば?
ってけしかけたんだけど、タナカさんから
「さすがにそれは勘弁してください」って泣きが入った(笑)。

タナカ:歴史の責任は取れないですよー(笑)。

平野:「そんなことしたら見る人がドン引きしますよ」って。
わかった、じゃあ映像でやろうってことになって。

タナカ:プロジェクションマッピングの先駆けみたいな感じで(笑)。





平野:油絵に4ヶ月も光を当てっぱなしって、
普通の美術館ではあり得ないですよね。
でも意味のあることなんだからやろうって。

タナカ:よく考えたら、光を当てるってこと自体もドン引きされますよね。
変色する可能性だってあるわけですもんね。
怖いもの知らずでした(笑)。

お二人のコラボレーションは、
最初から「太郎と遊ぶ」がコンセプトだったんですね!

次回は「太郎と遊ぶ」第一人者のタナカカツキさんに、
衝撃的だった太郎の出逢いについてお聞きします!

タナカカツキ対談③

タナカカツキ(たなかかつき)
1966年、大阪府出身。18歳でマンガ家デビュー。
著書は岡本太郎の作品に感動したトン子が芸術とは何か、
己とは何かを問う『オッス! トン子ちゃん』や
『バカドリル』(天久聖一との共著)など、映像作品も多数手がけ、
アーティストとして幅広いジャンルで活躍中。
「コップのフチ子」の原案者でもある。 http://www.kaerucafe.com/


平野暁臣(ひらのあきおみ)
1959年生まれ。岡本太郎が創設した現代芸術研究所を主宰し、
イベントやディスプレイなど“空間メディア”の領域で
多彩なプロデュース活動を行う。
2005年から岡本太郎記念館館長を兼務。
最近では、『「明日の神話」再生プロジェクト』に続いて、
岡本太郎生誕百年事業「TARO100祭」を率いた。
当サイトのエグゼクティブプロデューサーでもある。

 

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