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「岡本太郎と遊ぶには」タナカカツキ対談③

雨の中ずっと彼女の家の前にいた太陽の塔_R


タナカカツキさんと平野暁臣の対談、三回目です。

今回はタナカカツキさんの岡本太郎との邂逅について
お聞きします!


〈前回はこちら〉
①「腹をくくって〝真剣に〟遊ぼうとする人しか、太郎は相手にしない。」
②「“太郎と遊ぶ”って考えると、やっぱり最初に出てくるのはタナカさんなんだな。」




「あ、自分はフチ子さんやってるけど、太郎さんはもっと先にやってた」って。

-タナカさんの太郎との出逢いっていつ頃ですか?


タナカ:僕は大阪生まれ、大阪育ちなんで、
太陽の塔がずっとありましたからね。
物心ついたときには知っていたと思うんです。
そのあと太郎さんがずっとテレビに出てた姿っていうのも見てまして。
それもいじられキャラとして(笑)。
僕としてはけっこう衝撃っていうか、
太郎さんの扱いってこんなことになってるんだって。

平野:なるほど。

タナカ:でも太郎さんってみんなが知ってるキャラクターなのに、
実際はなにも知らないじゃないですか。
あのキテレツな動きをしている姿しかみんな知らない。

平野:うん。

タナカ:大学生の頃(京都精華大学美術学部)、
大学の図書館に太郎さんの本があったんです。
その頃、世の中にはあまりなかったんですよね、
太郎さんの本って。

平野:みんな絶版になっちゃって、
普通に本屋さんで買うことができなかったんですよ。

タナカ:たまたまだったんです。
今日の芸術』(光文社)とかがあるわけですよ。
それで「あ、あの、なんかおかしい人の本だ!」って読んだら、
「あれ? 文章書けるんだ!」って(笑)。
ちょっとしたショックで。

平野:(笑) ほとんどの人は、太郎が論理立てて文章を書ける人だ
なんて思ってないからね。

タナカ:それで、その本がすごくおもしろくて。
次第に仲間内で小さな太郎ブームみたいのが起こってったんです。

平野:ブームっていうと?

タナカ:太郎さんの伝説とかをみんなで語りあって
「こうやったらしいで」みたいな。

平野:伝説!(笑)

タナカ:ジャイアント馬場の「手相見てると思ったら本読んでた」みたいな。
ああいう感じの太郎伝説みたいのがいっぱいあって、
「太郎さんがなんかの賞をもらったときに『発表します』の前にもう立ってた」とか。

平野:その話、知らないけど、いかにもありそうだ!(笑)

タナカ:いや、そんな過去ないですよ。
でもそんな都市伝説みたいなのがあって。

平野:なるほど。おもしろいね。


タナカ:しばらくして、太郎さんがお亡くなりになって
『芸術新潮』(新潮社)で特集が組まれて、それも買って読みましたし。
そこに美術館ができるって情報が入っていて、
僕らその頃、太郎さんで大笑いしてたんで…。

平野:たっぷり笑える場所ができるぞ!って?(笑)

タナカ:はい(笑)。それでなんか自分たちの中で再認識しましたね。
そんな中、太郎さん好きな周りの仲間を笑わせるために少女マンガタッチで
太郎さんに憧れるブスが主人公のマンガを描きはじめたんです。

平野:それが『オッス!トン子ちゃん』(ポプラ社)に繋がったと。

タナカ:そうなんです。

―お聞きしていると、タナカさんにとって岡本太郎は、アートでもあるけれど、
基本的には笑いの対象なんですね。


タナカ:いや、ほんとにこの場で失礼すぎるんですけど(笑)、
熱くしてくれるものなんですよね。


タナカ:それで太郎さんの造形はずっと気になっていて、
たっぷり美術館で見られるっていうことで、実際行ったら、
ほんとうにおもしろくて。またそこで大笑いしましたね。
「やりすぎてる!」って。

平野:とうぜん太郎作品を一度に大量に見たのって、はじめてでしょ?

タナカ:はじめてでした。そういう機会なかったですからね。

平野:「やりすぎてる!」ってどういうこと?

タナカ:なんでしょうね。「やりすぎてる」っていうのは、
自分の感覚かもしれないんですけど。
マンガ(『オッス!トン子ちゃん』)にでも出てくるんですけど、
たとえば《痛ましき腕》ってありますよね?
あれってもう意味わかんないですよね?
なんか腕の皮が剥けてて、リボンもでかすぎるし、でも結び目小さいし(笑)
「これ誰に向けてんだよ!」って、すごくおもしろいんですよね。

タナカ:あとギアがガーーーって、漫画的表現をしてたり。
しかもタイトルが《重工業》って。
「どこに向けて球投げてんだよ!」って思うんですけど、
それもド真剣にやってるわけですよ。

平野:あれ、完全に漫画だもんね。

タナカ:そうなんですよね。だって輪郭描いてるでしょ?
油絵って輪郭書かないですし、もう「やりすぎてる!」って。

平野:たしかにダヴィンチとかと真逆だよね、やってることが。

タナカ:そうですよね。ほんとうにそういうのって見慣れないんで。

平野:うん。

タナカ:それと、太郎本を読むようにもなって、
美術とか芸術に関して僕たちが悩んでいるようなことの答えも出してくれるんで。
そこもすごいな、と。

平野:太郎がタナカさんにいろんな球を投げてきたわけですね。

タナカ:そうなんですよ。ぼくデザイン科だったんですけど、
デザインを学ぶうえでも、太郎さんデザインも素晴らしいじゃないですか。
あれだけ描線とか、圧倒的に線なのに、
コップとか水差しとかぜんぶ愛らしかったり。
その万能感にやれましたね。

タナカ:それでいて人生哲学的なこともおっしゃる。
芸術から離れて、「生き方」とかそういうことも投げてくれるんで。
とにかく強力なんです。

平野:生き方に影響受けたりとか?

タナカ:影響って言うか、「言い方」ですね。

平野:ああ、「言い方」(笑)。

タナカ:けっこうすっきりするんですよね。
複雑に語ったりする芸術家もいるじゃないですか。
でも太郎さんは一発で、たとえば野球に関して、「なんでやらないのに見てるの?」
「野球は自分がやらないと! だから俺は野球観戦には興味ない!」みたいな。

平野:太郎って自分の言葉にいっさい保険掛けないもんね。

タナカ:そうですよね。

平野:太郎くらい、自分の言葉に対するリスクヘッジを考えない人
って珍しいと思いますよ。
だって「○○は○○だ!」ってつねに言い切るんだから。
普通、分別のある大人は、あとで言い逃れができるように
「○○は○○だというようなことも言えなくもないような気がしないでもありません」
みたいに山ほど保険を掛けるでしょ?

タナカ:ええ。

平野:でも太郎はいつもズバッと言い切る。
もちろん「いまの一般的な、常識的な社会の理解はこうです」
みたいなことも言わない。
「俺はこう思う」「俺はこうする」って言うだけ。

タナカ:主語はぜんぶ「俺は」ですよね。

平野:そう。「俺はこうだ」って言うだけ。
評論じゃないし、解説でもない。

タナカ:「俺はこうするかもしれない」とか
「俺はこうするかな?」とかも言わない。

平野:自分の未来にも保険を掛けない。
だって、すぐに「俺はこうする!」って宣言しちゃうんだもん(笑)。
だいいち「法隆寺は焼けてけっこう!」って言っちゃうんだからね。

タナカ:ふつう、焼けて悲しむべきところを(笑)。

平野:いまだから笑えるけど、
彼がそれを言ったのは法隆寺の《金堂壁画》が焼けてから、
まだ10年くらいしか経ってない頃ですからね。
〝文化人業界〟的にいえば、そんなこと言ったら取り返しがつかない。
完全にアウトです。
しかも太郎はそれをリキんでいうんじゃなくて、サラッと言う。

タナカ:そこがまたカッコイイ。

平野:ああいう態度っていうか、生き方って、
ほかにあまり例がないんじゃないかな。
そういうところが若いクリエイターや表現者にすごく響くんだと思う。

タナカ:響きましたね。漫画にしやすいんですよ(笑)。

平野:(笑)

タナカ:言葉が短いから。
フキダシの中に収まるくらいの分量で言うんですよね。

平野:(爆笑) 話を聞いていて、
タナカさんが太郎の世界にバーンと飛び込んで、泳ぎはじめた。
そのタイミングがまさに運命的だったっていう気がするな。

タナカ:と言いますと?


平野:晩年、太郎の作品を見ることができない状況が続いていたでしょ?
絵を売らずに自分で持っていたから。
普通の作家だったら、たとえばピカソなら、
《ゲルニカ》はマドリッド、
《泣く女》はロンドン、
《アビニョンの娘たち》はニューヨークに行けば見られます。
でも太郎はそうじゃなかった。
川崎に美術館ができて、はじめて一気にご開帳になって、
ぜんぶ見られるようになったわけですね。

タナカ:ええ。

平野:時を同じくして、敏子が必死になって本を復刻・再版しはじめた。
さっきタナカさんが言ったように、太郎が亡くなった頃は、
本屋に行って普通に買える本って一冊しかなかったんです。
自分の中に毒を持て』(青春出版社)だけ。
取り寄せることができたものを含めても三冊くらいしかなかった。
あとはすべて絶版で。

タナカ:いまからすると信じられないですよね。

平野:ところが、その後、数年で次々と復刊して、
『今日の芸術』や『日本の伝統』(光文社)も買えるようになりました。
ちょうどそのころ、たまたまタナカさんが太郎に興味を持って、
一気に作品を見た、本を読んだ。
そうやって、いろんなメディアが一斉にタナカさんに押し寄せ、
太郎が一気に注入されたから、タナカさんはこうなっちゃったんですよ(笑)。

タナカ:そうそう。注入させられました(笑)。

平野:たぶんね、いろんな発見があったと思うんです。
岡本太郎の情報がオープンになりはじめたときだから。
太郎に関する新しい情報が次々と目の前に現れてくる。
それは楽しくておもしろかっただろうな。

タナカ:ほんとにそうでした。

-そんなタナカカツキさんの新作と言えば、
「コップのフチの太陽の塔」が、発売されましたね。大人気だそうで。


平野:このアイデア、そもそもの発想はどこからなんですか?

タナカ:じつはこの前、思ったんですけど、
コップというのがもう、太郎さんなんですよね。

タナカ:コップって飲み物を注ぐものですよね。
それに顔をつけただけなのに、そこに生まれる価値って、凄いですよね。
やっぱりそういうのもあって、
「あ、自分はフチ子さんやってるけど、太郎さんはもっと先にやってた」って。

平野:なるほど。
《顔のグラス》が気になってたわけね。

タナカ:それで「コップのソコ子」ってのもつくったんですよね。
それこそ太郎さんのグラスみたいな。

 

タナカ:で、そこそこ売れていたんで。
ちょっと好きなことができる環境になってきて。

平野:うんうん。

タナカ:好きなことってなったときに、
やっぱり太郎さんが出てきちゃったんですよね。
それですごく腕の良い原型師さんとも出会えて、
それをつくってくれるメーカーとも出会えたので、
あとは平野さんを説得するだけだな!って(笑)。
それで、スケッチを描いて、見せたんです。


平野:ちょうど『みんなの太陽の塔』(小学館)っていう絵本を
ふたりでつくりはじめた頃でしたよね。

タナカ:まだぜんぜん完成してなかったんですけど、
「太陽の塔でクリエイティブに遊ぼうよ」っていうのが平野さんからあって。
それも大きかった気がしますね。

平野:絵本の基本スキームを模索する中で、
《太陽の塔》の形態を崩すべきか否か、っていう議論もしましたよね。
脳裏に強烈に刷り込まれているあの形を変形させた方がいいか、
あえていっさい変えない方がいいのか、って。


タナカ:あのときは《太陽の塔》はこの形だからおもしろいってことで、
絵本はその方向で進んだんですよね。
でも腕が曲がるとか考えると、
かなりワクワクするなって。
絵本とはまた別に燃え上がるものがありまして。



-思ったより、大きいんですね!

タナカ:そうなんですよ。
ガッツリしてるんですよ!

平野:ズシッとくる重みがいいよね。

タナカ:いろんなポーズを考えてたんですけど、
やっぱ太陽の塔の原型をとどめないとおかしいんで。
あのギリギリできるところ。
あとコップからすぐに落ちるんじゃダメなんで。
ガッシリと絡みながら。
どこまで変形できるかな?なんて思いながら。

-まさに「太郎と遊ぶ。太郎で遊ぶ」ですね!

平野:この「コップのフチの太陽の塔」は
ほのぼのとしたおもしろさ、楽しさがあるから、
まさに遊んでるっていう感じがするけれど、
「太郎と遊ぶ」って、かならずしもこういうことだけじゃなくて、
いろんな道があると思うんです。


平野:概念を一言でいうなら、
「岡本太郎という存在を足がかりに、その次を目指す」っていうことかな。

タナカ:ええ。わかります。

平野:たとえばね、2年前だったかな、
コムデギャルソンと組んで、
太郎のアイテムをいっぱいつくったことがあるんです。
それはまさしく川久保(玲)さんと岡本太郎の〝共作〟でした。

タナカ:ほんとうの意味でのコラボレーションだったわけですね。

平野:そう。そのときぼくは
「岡本太郎の遺した作品たちを、遠慮せず、
自由に料理してくださって結構です」と言いました。
普通、亡くなった作家の遺族とかって、
逆のことを言うみたいですけどね。
「なにもイジるな、さわるな、トリミングもするな」って。
でもそれではなにも新しいものは生まれない。
それじゃつまらないし、意味がないでしょう?

 

平野:Tシャツひとつつくるにしても、
トリミングもするなって言われたら、
制作者のクリエイティビティを発露させる余地はほぼないですよね。
絵はがきをそのままプリントするようなものではね。
だからコムデギャルソンの人たちには、
「真の〝共作〟にしましょう。岡本太郎という父と、
川久保玲という母から生まれる、
次世代の〝こどもたち〟をつくってください」と言ったんです。
残念ながらぼくたちの前に太郎はいないけど、
その作品を「いまに生かす」ことならできるかもしれない。

タナカ:そこが平野さんのすごいところですよね。

平野:岡本太郎がつくったレシピを、丸ごとそのまま出すんじゃ、
少なくとも「創造」ではないですからね。
もちろん太郎のレシピそのままに料理を出してくれるレストランも必要だし、
太郎の味は大切に守らなきゃいけない。
でもそれは美術館や記念館の仕事です。


平野:敏子がよく言ってました。
「岡本太郎は死んでいない」って。
じっさいぼくもそう思います。
だって、亡くなって20年になるっていうのに、
こうしていまも太郎に触発されるアーティストやクリエイターが
後を絶たないわけですからね。
それがなによりの証拠ですよ。

タナカ:うん。

平野:生きてるなら、生かさないと。
「岡本太郎は偉大な芸術家。さあ、みんなで拝みましょう、奉りましょう」って、
大事に大事に桐の箱に入れて神棚に飾ったってしょうがない。
それじゃかえって太郎を殺しちゃうし、
だいいちそんなことしたって太郎は絶対に喜ばない。

タナカ:そうでしょうね。

平野:せっかく太郎は多くの作品を、
なにより〝岡本太郎という存在〟を遺してくれたんだから、
その遺産をいまに生かしたい。
でも、その「生かす道」というのは、
「岡本太郎という偉大な作家がいます。
はい、みなさん、ありがたく鑑賞しましょう」ってことだけじゃない。
もっと大切なのは、『次の才能』『次の創造力』にそれを注入して、
もうひとつ先のステージを目指す。
それがほんとうの意味でコラボレーション、共作だと思うんです。

タナカ:いい話ですね。

平野:それが「いま、岡本太郎と向きあう」唯一の方法だとぼくは思っている。
それが「岡本太郎と遊ぶ」ってことですよ。

平野:去年もコンバースと一緒にスニーカーをつくりました。
アーティストに限らず、創造的なモノづくりをしている人たちと、
新たなクリエイティブに挑戦したいと思っているからで。
その最新版がこれ(「コップのフチの太陽の塔」)です。


平野:これだって、岡本太郎ひとりの作品じゃない。
かといってタナカカツキがひとりでつくったものでもない。
岡本太郎とタナカカツキという両親のもとに生まれたこどもであり、
まぎれもなく〝次の世代〟です。

タナカ:嬉しい言葉ですね。

平野:こういった〝次世代〟をもっともっと見たいし、
さらにその次の世代も見てみたい。

タナカ:ぼくも見てみたいな。

平野:ただね、「太郎と遊ぶ」には1つだけ条件がある。

タナカ:なんですか?

平野:シンプルなことですよ。
〝真剣に〟遊んでいるかどうか。それだけです。
単に絵づらのレベルで利用しようとか、
太郎を使ってうまく立ち回ろうとか、
そんな程度のヤツに太郎と遊ぶ資格はない。
真剣に、腹を括って太郎とぶつかるんだっていう決意と覚悟がないとね。
なにより太郎に対するほんものの愛情があるか、です。
ぼくは愛情のない人と一緒になにかやろうとは思わない。
「太郎と遊ぶ」って、甘い考えで簡単にできるものじゃないっていうことはね、
はっきりと言っておかないといけません(笑)。

「岡本太郎とタナカカツキの両親のもとに生まれたこども」
なんて良い言葉なんでしょう!
白熱する対談、次回は「人間・岡本太郎」について語ります!

タナカカツキ対談④

タナカカツキ(たなかかつき)
1966年、大阪府出身。18歳でマンガ家デビュー。
著書は岡本太郎の作品に感動したトン子が芸術とは何か、
己とは何かを問う『オッス! トン子ちゃん』や
『バカドリル』(天久聖一との共著)など、映像作品も多数手がけ、
アーティストとして幅広いジャンルで活躍中。
「コップのフチ子」の原案者でもある。
http://www.kaerucafe.com/


平野暁臣(ひらのあきおみ)
1959年生まれ。岡本太郎が創設した現代芸術研究所を主宰し、
イベントやディスプレイなど“空間メディア”の領域で
多彩なプロデュース活動を行う。
2005年から岡本太郎記念館館長を兼務。
最近では、『「明日の神話」再生プロジェクト』に続いて、
岡本太郎生誕百年事業「TARO100祭」を率いた。
当サイトのエグゼクティブプロデューサーでもある。

 

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