大好評!ラーメンズの片桐仁さんと平野暁臣の対談の第三回目です!
数々の粘土アートをつくり続けてきた片桐さん。
なぜ粘土を選ばれたのか、その秘密を探ります!
〈前回までは〉
①「俳優・彫刻家」って書いて「なんだろうこれ?」っていつも思います。
②「絵は向いてないよね~」「画面を支配できないよね~」って(笑)
たぶんそれもね、アート的なものに対する拒否反応が根っこにあって。
平野: 片桐さん、ご自身の作品を、
こういう人に見てもらいたいっていうイメージ、なにかあります?
片桐: そうですね……
平野: まったく考えてないですか?
「オレはつくるだけ」って感じ?
片桐: 最近、こども雑誌で連載がはじまって、
「親子で粘土道」っていうのをやりはじめたんですよ。
夏にショッピングモールでワークショップしたりするんですよね。
こどもたちに、筒に貯金箱の穴を空けさせて、
靴の形の貯金箱を1時間くらいでつくらせなきゃいけない。
できるかな? って思ってたら、やるんですよね。
平野: はい。
片桐: 美大にいた弊害かもしれませんけど、
正直、いままでは「わかる人だけわかればいい」みたいな考え方もあって。
「オレは自分がつくっていればそれでいい!」って思ってたんですけど、
最近はそうじゃないなって。
平野: うんうん。
片桐: とにかくいろんな人に見てもらう。
で、「ぼくもやりました!」って携帯電話に、
粘土をもったのを見せてくれたりすると嬉しいですね。
ま、それはもうひとつ先のアプローチだとは思いますけど。
平野: なるほど。
片桐: なんか目の前で粘土を用意されて、
「どうぞ!」ってはじめたりすると、みんなすごく楽しそうにやるんですよね。
陶芸もそうですけど。
紙に絵を描くってすごく乗り越えないといけないものがあると思うんですけど、
粘土とかって、触ってつくれるものだし、
土台があればそこに盛ればとりあえず完成する。
それでぼくはその粘土に目玉のシールを付けさせるんですけど、
「とにかく顔にしろ!」って言って(笑)。
でもそうすると張り合いがでてくるみたいで、思いもしないものつくりますね。
平野: へえ。
片桐: 粘土、意外と得意だったりね。絵がうまい人よりも。
平野: ああ、そうですか。
片桐: こどもがぜんぜんつくらないから、
おじいちゃんがつくりはじめたりして、
おじいちゃんがカラフルな粘土を、マーブル状に混ぜちゃって、
なんだかわからない、かたまりみたいになって。
「どうしたんですか? なにがあったんですか?」って(笑)。
平野: (笑)
片桐: そういうときに広がりみたいものが感じられて。
平野: おもしろいですね。
片桐: 太郎さんが粘土に行ったっていうのはわかりますね。
平野: さっきも言ったように、最初は遊びだったんですよ。
〝作品〟をつくろうだなんてぜんぜん考えていなかった。
片桐: 泥んこ遊びの延長みたいなものですよね。
平野: そうです。だからなのかな、
太郎の焼きものって、ほとんど手のひらサイズなんですよ。
粘土を両手でペシャペシャこねくり回しながらつくるから。
片桐: はいはい。いいですよね。ほんとに泥んこ遊びだ。
-片桐さんのつくる粘土って、
こどもたちから気持ち悪いって言われたりするそうですけど。
片桐: そうなんですよ。
クリーチャー感が出ちゃうんですよね。顔が好きだし。
平野: ああ(笑)。
片桐: 太郎さんも顔、お好きでしたよね。
平野: はい。
片桐: なんかそっちに寄せていっちゃうっていうことはあるかもしれないです。
たぶんそれもね、アート的なものに対する拒否反応が根っこにあって。
平野: 拒否反応(笑)?
片桐: アートで「顔」ってなると、
なんか、みんな無表情じゃないですか。
表情をなくして、あえての無表情。
彫刻って、それを見る人によっては、
「悲しく見える」とか、それっぽいこと言うでしょ?
平野: (爆笑)
片桐: やっぱりぼくは漫画的に表情をつくりたくなっちゃうんですよね。
口の表情と、目の表情をつけると、表情ってすごく変わるじゃないですか。
そうすると、なんか笑ってもらえるし。
平野: はいはい。
片桐: やっぱり見て笑えるっていうのがいいな。
現代美術でも、ぼくは笑っちゃうやつが好きなんですよね。
「なに? このインスタレーション!」とか笑っちゃうような、
ネタっぽいのが好きなんです。
平野: やっぱり〝笑い〟って大きいと思われます?
片桐: 大きいと思いますね。
でもね、ぼくの作品を見て、こどもが泣いたって言うじゃないですか。
平野: なんで? 怖くて?
片桐: 怖くて(笑)。
平野: (笑)
片桐: 「これヤダ!」ってなるんですって。
でもすごく嬉しいんですよ。
「泣くほど?」って思って、
純粋に怖がるとか笑ってもらえるっていうのは面白いなと思って。
平野: 作品としては圧倒的に顔が多いんですか?
片桐: そうだと思います。
平野: なぜ顔を?
片桐: ここ何年かは動物とか恐竜とかもつくってますけど、
やっぱり顔なんですよね。なんでしょうね、〝顔〟…。
平野: 太郎もね、晩年はなぜかほとんど顔しか描いてないんですよ。
それも〝ほとんど目玉〟みたいなやつ。
片桐: へえ。
平野: それがまたメチャクチャ下手くそなんです(笑)。
晩年になればなるほど、どんどん大味に、荒っぽくなっていくんですよね。
いや、ニュアンスとしては、下手っていうより、
こどもみたいな、っていう方が近いかな。
片桐: はいはい。うまくあってはならいんですね(笑)。
平野: とても《痛ましき腕》や《森の掟》を描いた人が、
描いたとは思えないような作品ばかりなんです。
《森の掟》
片桐: シンプルになっていったんですね。
-太郎が顔を描いたのも、やはり表情があるからですか?
平野: よくわからないけど、
顔そのものを描きたかったというより、
生きものの生命感がいちばん端的に現れるのが顔だからじゃないかな。
片桐: というと?
平野: 太郎って、普通の洋画家が描くモチーフを、
ぜんぜん描いてないんですよ。
風景画とか、裸婦像とか、静物とか、そういうものを。
生涯にわたって彼が描き続けたのは、
けっきょく〝生きもの〟であり〝いのち〟なんですね。
片桐: なるほど。
平野: いま、話を聞いていて、
片桐さんも同じだなって思って。
けっきょく生きものを描いてるんですもんね。
片桐: そうですね。なんででしょうね?
どうしても顔を入れたくなっちゃうんですよ(笑)。
平野: (笑)
片桐: 顔を入れないと、なにかこう、完成した気がしないっていうか…。
平野: 太郎は、
「顔は宇宙だ。眼は存在が宇宙と合体する穴だ」って言ってます。
片桐: 穴ですよね。目は穴です。わかる…。
平野: 根っこの部分で同じような感覚があるのかもしれませんね。
—
やはり片桐さんにとって、
“笑い”は重要なエッセンスなのですね。
次回は岡本太郎と片桐仁のコラボ?
そして男・岡本太郎について語ります!
片桐仁対談④
片桐仁(かたぎりじん)
多摩美術大学在学中に小林賢太郎と共にラーメンズを結成。
以後舞台を中心に俳優・タレントとして、
テレビ、ラジオなど様々な分野で活動している。
また粘土を使った造形作品の創作では、
2013年に渋谷パルコにて個展を開催、
18日間で1万3000人を動員。
その独特の感性と存在感が人気を博している。
平野暁臣(ひらのあきおみ)
1959年生まれ。岡本太郎が創設した現代芸術研究所を主宰し、
イベントやディスプレイなど“空間メディア”の領域で
多彩なプロデュース活動を行う。
2005年から岡本太郎記念館館長を兼務。
最近では、『「明日の神話」再生プロジェクト』に続いて、
岡本太郎生誕百年事業「TARO100祭」を率いた。
当サイトのエグゼクティブプロデューサーでもある。
片桐さんも出展される、
「梅田ロフトの開店25周年/太陽の塔・誕生45周年
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大阪・梅田ロフト「みんなで太陽の塔展」
片桐仁対談③「面白いと思うものとアートの架け橋」
:: April 24, 2015
