岡本太郎が制作した《太陽の塔》を超合金ロボットに!
まさに太郎と遊んだ男・野中剛さんと三回に渡ってTalksします。
今までになかった画期的なアイデアは、
いったいどこから来たのでしょうか?
②太郎さんは超古代文明人の生き残りで、1911年までは冷凍カプセルに・・・
③真剣にバカやったときに「気持ちいい」とか「楽しい」とか、
そういう経験を若いうちにしておくと、どんどん加速していきますよね。
「ギエー!」って鳴く声とか、聞こえてきたんです。
平野:この「PLAY TARO」はなにかって言うと、
「岡本太郎はすごい!」ってことを語るメディアではなくて…。
野中:やった!(笑)
平野:太郎にマジで挑んだり、
楽しく遊んだりしている人たちを紹介したいと思っていて。
野中:他人事じゃないな(笑)。
平野:そうそう。
まさに野中さんみたいな人に登場して欲しいと思っているんですよ。
野中:まあ、僕はタナカ(カツキ)さんほどじゃないですけどね。
あの人、いちばんだと思いますよ、圧倒的に。
-いきなりですが、《太陽の塔のロボ》誕生にいたった経緯など、
お伺いできればと思うのですが。
野中:もともと〝岡本太郎〟という名前を知ったのは、
幼少の頃にウイスキーのCMを見てですね。そう、《顔のグラス》です。
もちろん太陽の塔は知ってましたし、
ぼくは66年生まれで、ウルトラマンと同い年なもんですから、
そういう怪獣的で、70メートルというサイズ的にも、デザインといい、
もうこどもの頃から大好きで。
平野:太陽の塔を見てウルトラマンを連想する人、多いみたいですね。
野中:2003年だったかな? 遅いといえばあまりに遅いんですけど、
太陽の塔の実物を万博記念公園に見に行って感動して、
売店でソフビの太陽の塔を買ったんです。
平野:1500円くらいのでしょ? いまも万博当時の金型でつくってる…。
野中:そうです。ちょっとヌルめの造形のヤツが売ってまして。
で、これはいつかちゃんとディティールアップをして、
リアルなやつを家に置きたいなっていう気持ちがずっとあったんですよ。
平野:ちゃんとした太陽の塔を家に置きたかったと。
野中:ええ。ただ自分でも不思議なのは、
そのときすでに手足が生えてるイメージがなんとなくありまして…。
平野:へえー。
野中:実物を見たとき、どう見ても怪獣的なわけですよ。
あれが森の中を立って歩く…特撮映画とか、怪獣映画ですよね。
眼からビームがビー!って出て、
「ギエー!」って鳴く声とか、聞こえてきたんです。
平野:なるほど(笑)。
野中:それでいつかつくりたいなって思ってたんですよね。
平野:でも、ずっとほったらかしてたわけですよね?(笑)
野中:そうです(笑)。
そしたら、2011年だったかな、
海洋堂さんがフィギュアを出されて、これは買わねばと買って。
そのときに思ったのが、
「あっ、これをベースにつくれば楽にできるじゃん!
俺のイメージのアレ!」って。
平野:海洋堂のはヌルくないですからね。
野中:俺が欲しかったのコレじゃん!って。
それでプラモつくるのが大好きだったんで、手をつけ、足をつけ…。
平野:プライベートな趣味としてつくったわけですね。
野中:そうです。最初は完全に個人の遊びです。
その後いろいろあって、本格的な商品企画になっていくわけですけど…。
平野:ネットで大きな反響を巻き起こしていましたものね。
-はじめて《太陽の塔のロボ》を見たときの、
平野さんの印象っていかがでしたか?
平野:そりゃ嬉しかったですよ。
「これだ!」って思いましたね。カッコイイって。
野中:ありがとうございます。
平野:太郎っていろんなものをつくってきたでしょ?
それこそ太陽の塔から《顔のグラス》までね。
亡くなったあともいろいろなアイテムがつくられてきた。
でもね、オモチャって無かったんですよ。
野中:お!
平野:まあ、これをオモチャと呼ぶべきかどうかは微妙だけど。
いずれにしろ確かなことは、
これでTAROがはじめてオモチャの世界に踏み出したってこと。
野中:そうだったんですね!
平野:《太陽の塔のロボ》には足があった!
それがすごく嬉しかったし、そうだよなって思ったんです。
じつはぼくね、ここ(記念館)の庭で、
太郎が太陽の塔の原型をつくっているところを見てるんですよ。
黄金の顔の代わりに鍋のフタが刺さってた。
小学校3〜4年の頃だったと思うな。
当時はちょうど「ウルトラQ」の時代。
こどもはみんな怪獣が大好きだった、もちろんぼくもね。
で、太陽の塔を見て、
イケてる! カッコイイ! 怪獣みたいだって思ったわけです。
野中:すごくわかります。
平野:でもね、ひとつだけ不満があった。足がなかったことです。
カッコはいいけど、これじゃ勝てないじゃないかって思ったんですよ。
野中:(笑)
平野:だって、どう考えても、立ってるだけじゃ勝てないでしょ?
怪獣の醍醐味って、ゴジラとかもそうだけど、
ドシーン、ドシーンって歩くところじゃないですか。
だから、もしかしたらコイツ、弱いんじゃないかって。幼心にね。
野中:若干、オバQっぽいですもんね。
平野:そう! なんとなく弱そうな気配を漂わせていたわけです。
足さえ生えてれば強くなれるのに!って、
漠然としたこどもならではの欠乏感みたいなものがあったんですよ。
野中:でもこれでついに足が(笑)。
平野:キター!って感じ(笑)。
ぼくはこれまで太陽の塔に関わるいろんなものを見てきたけど、
足が生えてる太陽の塔ははじめて。
「ああ、ついにこういうことを考える人が現れた!」って思った。
野中:光栄だなぁ。まあ、似たような発想を先んじてされていた方は、
結構いらしたようですが…。
平野:もうひとつはね、内蔵されている内部機構です。
このメカニズム、いかにも19世紀的じゃないですか。
この時代に、あえてノーチラス号的な、鋼鉄感覚。
それが塔の胎内に格納されている。
母胎のもつ生々しい有機的な柔かさと温かさ、鋼鉄の冷たい堅さ。
まさに真逆でしょ?
野中:真逆ですよね。でも違うようにもできたと思うんです。
もっと古代文明っぽくしてもよかったし、
逆にもっとピカピカな宇宙人のテクノロジーみたいにしてって、
違うようにもできたと思うんですけど、なんだろう?
このぼくの中ではこの錆びた感じのイメージでしたね。
ずっと(太陽の塔の)我慢していたものが動き出す。
ラピュタのロボット兵みたいな?ああいう感じのイメージでしたね。
当時アメリカで働いていたせいもあるのかもしれませんね。
望郷の念みたいな。
平野:真逆のものが一体になってる。
しかも胎内にギッシリと詰まってるわけです。
だからぼくは「これは内臓だ」って思った。
あのメカニズムが臓物を連想させるんですよ。
野中:なるほど!
平野:このミスマッチ感と意外性に痺れたんです。
太陽の塔はドンガラじゃない。
内蔵がビッシリ詰まった生き物なんだってことを表現してくれてるってね。
野中:だけど内臓は鋼鉄だという。
平野:そう(笑)。実際の太陽の塔にも内臓がある。
《生命の樹》っていうね。
だけど、ほとんどの人は太陽の塔に中身があることを知らない。
巨大な彫刻で、中は空洞だと思ってるんです。
野中:中は見られませんしね。
平野:でもやっと公開が決まりました。
2年後だから、少し先ですけどね。
野中:ええ!それは見たい!
平野:ご案内しますよ。ただ残念ながら、
いまのところはまだ、9割の人は中があることを知らない。
でもこのロボを見て「わあっ!」と思った人は、次にかならず、
「そういえば、大阪にある実物の太陽の塔はどうなってるんだろ?」
って考えるはず。
気になって一回でも検索してくれたら、
太陽の塔には『内部』があることをわかってもらえる。
野中:《生命の樹》があると。
平野:ええ。そういう意味でも塔の内部に注目してもらう、
ものすごく強い武器になると思って、
《太陽の塔のロボ》はぜひ出して欲しいと思いましたね。
-平野さんから注文はなかったんですか?
平野:造形は完璧でした。
どこにも文句のつけようがなかった。
でもひとつだけお願いしたんです。
できれば上半身も変形して欲しいなって。
野中:そうでしたね。
平野:プロトタイプでは、
上半身には動きがなかったんです。
でもぼくは上半身にも臓物を埋め込んで欲しかったんですよ。
全身を内臓で満たして欲しいと、反射的に考えた。
あの、いまさらこんなこと聞くのもなんですけど、
上半身の件、もしかして野中さん、やりたくなかった?
いまになって、野中さんの美意識に反するお願いをしたのかもしれないと、
不安になってまして…。
野中:そんなことないですよ!
平野さんから大きなリクエストをもらって、嬉しかったですよ。
だいいち、逃げるわけにいかないじゃないですか(笑)。
平野:よかった!
野中:しかもそれを言われたことによって、
プレイバリューが上がって、よかったと思ってます。
マイナスポイントがあったとすれば、
そのぶん足の収納スペースが減ったっていうことぐらいかな(笑)。
これがなかったら足はあと3センチくらい長くなって、
もっとイケメンだったかもしれない。
平野:あぁ、なるほど!
野中:だから最初のネットで話題になった、
試作のほうが、足は長いんです。
平野:そうだったんだ!
やはり誰しもが太陽の塔に手足をつけたいと思うのですね。
—
神像であり、怪獣のようでもある太陽の塔!
それをロボットとして再構築した野中さんの頭の中、気になりますよね?
次回はトイデザイナーとしての考え方について伺います!
野中剛対談②
野中剛(のなかつよし)
日本の玩具デザイナー兼、イラストレーター兼、プランナー。
東京デザイナー学院在学中に、
『テレビマガジン』誌上で『トランスフォーマー』などのイラストを手がけ、
学院卒業後1987年バンダイに入社。男児向け玩具を多く担当する。
2011年から2014年の夏にかけて、
バンダイアメリカにおいてデザイン部門を担当する「PLEX」のヘッドデザイナーとして、
『パワーレンジャーSAMURAI』などの北米向け男児玩具を中心にデザインを担当。
2014年7月末、バンダイを退社後独立。
9月に活動拠点を日本に戻し、
トイデザインのみならずあらゆるコンテンツ制作、デザインワークなどを展開。
Facebookページ https://www.facebook.com/TsuyoshiNonakaZ/
平野暁臣(ひらのあきおみ)
1959年生まれ。岡本太郎が創設した現代芸術研究所を主宰し、
イベントやディスプレイなど“空間メディア”の領域で
多彩なプロデュース活動を行う。
2005年から岡本太郎記念館館長を兼務。
最近では、『「明日の神話」再生プロジェクト』に続いて、
岡本太郎生誕百年事業「TARO100祭」を率いた。
当サイトのエグゼクティブプロデューサーでもある。
野中剛対談① 《太陽の塔のロボ》プロデュース論
:: May 18, 2015
