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第2回 山下裕二③

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前回に続き、
美術史家で明治学院大学教授の山下裕二さんに、
岡本太郎への熱い思いを語っていただきます!

〈前回までは〉
山下裕二①「太郎さんが亡くなって、ただならぬ胸騒ぎがしたんです」
山下裕二②「もう敏子に首根っこ捕まえられたというか


今回は岡本敏子さんの人となりから。
敏子さん、かなりの酒豪だったようです。

印象的だったのは、飲めば飲むほど、
敏子は太郎さんになっていくんです。


2005年に敏子が亡くなるまで、
1999年から2005年までの間で、
たぶんぼくが一番、
長い時間、一緒に過ごしたんじゃないですかね。

一緒にお酒をいちばんたくさん飲んだのは、
間違いなく、ぼくです(笑)。

赤ワインが好きだったんです。

よく新宿の「車屋」っていう、
鉄板焼きのお店で、

太郎さんが行きつけだったお店に連れて行かれて、
ビールも飲まないで、

いきなり赤ワインからスタートするんです。

あと「生肉」が好きなんですよ!

赤ワインと生肉なんです(笑)。

本当に敏子はよく飲みましたから。

一番たくさん飲んだときに、
二人で三本、空けましたね。

それから、
二人でタクシーで

岡本太郎記念館の、
隣のマンションまで送るんです。

それで帰ろうかと思うと、

「あなたちょっと寄って行きなさいよ」
って言われて(笑)。

それで太郎さんの飲み残しの、
ブランデーとかをつがれちゃって・・・

軽く身の危険を感じたりして(笑)。

ただ、
印象的だったのは、
飲めば飲むほど、

敏子は太郎さんになっていくんです。

1968-57歳 メキシコにて 岡本敏子と

身振り手振りも含めて、
太郎さんが話しているようでした。

これまで何度も書いてきたことですけど、
敏子と付き合っててわかったことは、

「岡本太郎」っていうのは、
実は、太郎と敏子のユニット名なんです。

二人で一人なんですよね。

太郎が書いた文章は、
ぜんぶ敏子の口述筆記ですしね。

あ、
口述筆記に関しては、
おもしろいエピソードがあるんです。

古本屋さんがね、
「岡本太郎先生の直筆の生原稿がでました!」

って、
持ってきたんですけど、

敏子は、
「あら?それわたくしの字よ」って(笑)。

それとかね、

敏子が口述筆記をする前の、
太郎さんが自分で書かれた文章もあるんですけど、

それを評して敏子は、
「あの頃の文章はまだちょっと堅いのよね」
って言ってましたね(笑)。

敏子は自分が書いてないから、
まだこなれてないと。

それって、
口述筆記を自分がやって、
それで太郎の文体が確立したっていう自負を、
彼女は持っていたからでしょうね。

ただ太郎さんの生前は、
それを決してカミングアウトしなかったんです。

あくまでも黒子に徹していらっしゃいました。

よく言っていたのは、

「先生(敏子は太郎をこう言ってました)は、
わたくしみたいに何の才能もない
塵芥(ちりあくた)のような人間をすごく大事にしてくれたのよ」

それを繰り返し繰り返し、
言ってましたね。

あといつも、

「男の子なのよ!」

って言ってましたね。

「素晴らしい男の子なのよ!」

って。

きっと敏子は、
太郎さんが死んだ瞬間に、

腕まくりをしたでしょうね。

「さぁ、これからわたくしが太郎を復活させるわよ!」

そのエネルギーたるや、
すさまじかったですね。

そして太郎復活のための、
重要な持ち駒として、
いろんなことを、

敏子の手の平の上で、
操られながらやってきたのが、

ぼくであり、
椹木野衣さんであると。

そういうことなんです(笑)。


次回は、
「敏子が亡くなり、そして今、太郎について思うこと」
こちらを山下さんにお聞きします!

山下裕二④

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山下裕二
1958年広島県生まれ。
東京大学文学部美術史学科卒業、同大学院修了。
日本美術史研究者、明治学院大学教授、
日本美術応援団団長、山種美術館顧問。
室町時代の水墨画の研究を起点に、
縄文から現代美術まで、
日本美術史全般にわたる幅広い研究を手がける。
WEBサイト「山下裕二研究室」
https://art.flagshop.jp/

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