未分類

竹田鎭三郎氏インタビュー③ メキシコに架けたアートの橋

2015_04_27_asunoTAKEDA_0050

《明日の神話》の助手を務めた、
竹田鎭三郎氏のインタビュー第3回です。

〈前回までは〉
①北川民次にあこがれて
②旗を掲げて、海を渡った


今回はいよいよ、
メキシコに渡り《明日の神話》に出会います!

KOD_5T690006

《明日の神話》の制作がはじまった

平野:そうしてついに竹田さんはメキシコに渡ることができた。
1963年ですよね?
その後、1968年に《明日の神話》と出会うわけですが、
いったいどのようないきさつで?

竹田:メキシコに渡って、
まず北川先生も通ったサン・カルロス美術学校に入りました。
ここは日本の美校(東京美術学校。後の東京芸大美術学部)
のような歴史と伝統のある美大なんですが、そこで壁画を勉強しました。
当時、日本にはまだ壁画がなかったんです。

2015_04_27_asunoTAKEDA_0077

平野:なんでまた壁画を? 芸大では油絵を学ばれていたんでしょう?

竹田:メキシコ最大の美術学校ですから、
油絵科や彫刻科をはじめあらゆる専攻が揃っていました。
そのひとつに壁画科があって、ぼくはそこを選んだ。
メキシコの壁画をひそかに勉強して日本へ持ち帰り、
みんなに「どうだ!」って見せて驚かせようと思ってね(笑)。

あれ? でも日本に壁画がなかったって、ほんとうにそうなのかな。
岡本先生はすでにそのころ壁画をつくっていたんじゃないですか?

平野:はい。旧東京都庁舎はじめ、
わりと大きな作品をいくつか遺しています。
ただ、それらは主に陶板レリーフやモザイクタイルでできていましたから、
メキシコ的ないわゆる「壁画」とはちょっと違いますね。

2015_04_27_asunoTAKEDA_0085

竹田:ああ、なるほど。
で、そのサン・カルロスにルイス・ニシザワがいたんです、
絵具や画材の先生としてね。

平野:どんな方なんですか?

竹田:興行でメキシコに来た長野出身のお相撲さんと、
メキシコの若いお嬢さんが恋に落ちて生まれた二世です。
ぼくはそのルイス・ニシザワを頼ってメキシコに渡りました。
彼は日本語を話せなかったけど、お互いに日本の血が入ってますから、
ヤアヤアって仲良くなって。当時、日本文化に関することは、
ほとんどルイスを通して入ってきてたんじゃないかな。

平野:現地の顔役だったんですね。

竹田:そう。そのルイス先生から、
岡本太郎という有名な画家の作品を壁画に伸ばす仕事があるんだけど、
自分にはできないからおまえやらないかって、声をかけられたんです。
ぼくが壁画を勉強していて、
日本語もしゃべるし芸大出だっていうことを知っていましたからね。
ところが運わるく、ぼくは博物館に勤めはじめていたんです。

平野:どこの博物館ですか?

竹田:メキシコ国立文化博物館です。
そこで東洋と日本の文化をメキシコ国民に教える専門家という、
たいへん名誉な、ありがたい地位をいただいた。
ぼくは得意になって、「美術館の絵描きですから」なんて言ってたんだけど、
後になってよくよく聞いてみたら、ぼくのじっさいのポストは「門番B」でした。

平野:(爆笑)

5T-68-173.jpg-2

竹田:そんなことで、
日本人でまともに絵が描ける青年がいなかったんでしょうね。
ちょうど目の前にぼくがいたので、
ルイスは「じゃあ、おまえちょっと来い」と。
岡本太郎という人の壁画をこれから伸ばすんだって。
ぼくにそんなことができるのかって思いましたよ、もちろん。
なんといっても岡本先生は有名な画家だし、
大金持ちがわざわざ日本から連れてくるっていうこと自体、
たいへんなことですからね。

平野:気楽なアルバイトって話じゃないですもんね。

竹田:そう。でもまあ、のこのこ行ったんです。
行った先は《明日の神話》が飾られるはずだったオテル・デ・メヒコの建設現場。
そこで岡本先生とも会いました。
じっさいに壁画を制作したのは、
ホテルの建設を進めていた大実業家マヌエル・スアレスが
この仕事のために用意した巨大なアトリエです。
彼が「ヒガンテ」っていうスーパーマーケットをはじめたばかりのときで、
倉庫がいっぱいあった。
そのひとつにこの壁画がすっぽり入るというんで、そこをアトリエにしたんです。

平野:(写真を指差して)ここですね。

竹田:そうそう。この人が田口さん、こっちが当山くん、これがぼくですね。

平野:助手は3人?

竹田:3人です。田口さんと当山くんとぼく。

平野:田口さん、当山さんも、
やはり日本からメキシコに渡った若い絵描きだったんですか?

竹田:そうです。たしかふたりとも芸大出だったんじゃないかな。

「イグアナの国」1973/110×120_R

《イグアナの国》竹田鎭三郎 1973

平野:3人はスアレスに雇われていたんですか?
スアレスから報酬をもらっていた?

竹田:そうです。かなり割のいい仕事だったような覚えがあるな。
金額までは覚えていませんけどね。
オテル・デ・メヒコの工事現場の中にスアレスの事務所があって、
15日ごとに給料日が来ると、建設労働者と絵描きがみんな行列するんですよ、
お金をもらうためにね。
ぼくらは少し離れた倉庫で仕事をしていたけど、
給料日には工事現場に取りにいきました。

平野:当時はキャッシュの手渡しですものね。

竹田:でっかい硬貨でした。札はなかった。
最初の給料は丸いお金をこんなふうに積み上げてね。
うれしかったな。



次回は《明日の神話》
その壁画制作過程についてお聞きします!

お楽しみに。

竹田鎭三郎氏インタビュー④



現在、川崎市岡本太郎美術館にて、
《明日の神話》の助手を務めた竹田鎭三郎氏の
企画展が開催されています。

企画展
「竹田鎭三郎-メキシコに架けたアートの橋」展
―岡本太郎《明日の神話》を支えた画家―

~2015年7月5日(日)まで。
川崎市岡本太郎美術館

入館料は一般900円
高校・大学生・65歳以上700円
中学生以下は無料

月曜日休館(月曜日が祝日の場合は翌日)

詳しくはWEBサイトを御覧下さい。
http://www.taromuseum.jp/

2015_04_27_asunoTAKEDA_0050

竹田鎭三郎
1935年愛知県瀬戸市で生まれ、
1957年に東京藝術大学美術学部絵画学科油画専攻を卒業、
同年第1回東京国際版画ビエンナーレ展に入選する。
北川民次の弟子となり、
1963年メキシコ美術の「魔術的リアリズム」を見るため、メキシコに渡航。
1977年まで版画家として画家として創作を行う。
1987年からオアハカに定住しUABJOの美術教授となる。
1980年には、Escuela de Bellas Artesの造形美術学科長に任命される。
2002年、同校のアカデミックコーディネーターとなる。
約60年間にわたり多彩な作品を生み出してきた。
本展では、新作を含めた油彩、版画作品を展示する。

Articles

Special Feature

Channel Taro TV

Read More
:: March 21, 2017

《門扉》制作風景

Read More
:: November 30, 2016

《樹人》制作風景!

Read More
:: August 3, 2016

《五大陸》制作