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竹田鎭三郎氏インタビュー⑤ メキシコに架けたアートの橋

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《明日の神話》の助手を務めた、
竹田鎭三郎氏のインタビュー第5回です。

〈前回までは〉
①北川民次にあこがれて
②旗を掲げて、海を渡った
③《明日の神話》の制作がはじまった
④太郎はなにも言わずに黙って筆をとった


今回は《明日の神話》の、
中央の骸骨がレリーフになっていることについてお聞きします。

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違和感を感じたレリーフ

平野:《明日の神話》って中央の骸骨がレリーフになっていますよね。

竹田:はい。ただね、なぜかそれについてはぜんぜん覚えがないんですよ。

平野:油絵の発想じゃないですよね。だれのアイデアなんだろう?

竹田:覚えてないなあ。材料のことはルイスに聞いたはずなんですけどね。

平野:《明日の神話》が半ば打ち捨てられていたメキシコシティ郊外の
資材置き場ではじめてこのレリーフを見たとき、ぼくは、なんていうか、
その美しい存在感にすごく感動したんです。

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竹田:少し思い出してきた。
そういえば、あの陵(りょう)をつくるとき、
絵描きとしてなにか違和感を感じました。

平野:というと?

竹田:絵描きがキャンバスに絵を描くとき、
そこにはある種の純粋性みたいなものがあるじゃないですか。
絵画的なトリックをいろいろ使いながらもね。
ところが絵を描かないで陵をつくれって言われて、
なんでそんな無茶なことをするのかと、
なにかトンチンカンなことをやらされているっていうような、
強い違和感をもった覚えがありますね。

平野:骸骨部分は、
合成ゴムとおがくずみたいなものを練り合わせてつくった材料を
貼り合わせているんです。
いまの言葉でいえばミックスドメディアですよね。

竹田:なるほどね。そう言われてみるとほんとうにそうだ。
あんな50年も昔に、違和感をもたれるようなことを平気でやっていたというのは、
やっぱりこの先生はすごいね。

平野:じっさいに目にすると、絵具ではぜったいに表現できない効果を
生んでますものね。

竹田:ほんとにそう。簡単なのに、効果的。
ぼくらがただ真面目に描くことだけで生きているときに、
こういう表現方法をいとも簡単に見つけてしまう岡本先生はやっぱりすごいな。

「カーニバル」1974/33×42
《カーニバル》竹田鎭三郎  1974

平野:メキシコだからっていうことはあったのかな。

竹田:そういえばレリーフってメキシコの古代美術の中にたくさんあるんですよ。

平野:あっ、そうなんですか。

竹田:アステカ文明は立体です。
彫刻でもなんでも、すべてが現実に近い形をつくって表現した。
ところがマヤ文明はレリーフなんです。立体がないと言ってもいいくらい。
人間が選んだ表現方法は、ただ描くというところからスタートして、
レリーフという表現が加わって、彫刻という立体になる。
順序としてはおそらくそうなんでしょうけど、レリーフには神秘性というのか、
絵にもない、彫刻にもない、
〝もうひとつの表現〟というのか、そういうものがあるのかもしれませんね。

平野:今回、あらためて渋谷の壁画をご覧になって、いかがでした?

竹田:なんかすごくうれしいっていうか、よくやったって思います、絵描きとしてね。
これ、すごいじゃない。
絵描きとしてほんとうによくやってくれたというよろこびを感じました。
ぼくら人間がもっている、抱いている未来とか、夢とか、悲惨なものとか、
そういうものを具体的に表してくれてますものね。

平野:依頼主であるスアレスも喜んだらしいです。

スアレスと
スアレスと

竹田:そうでしょう。
もしホテルが完成していたら、多くの人の前に広げたこの作品を、
ぜひ見てくれって得意になったと思いますね。
それは、金持ちだからというんじゃなくて、自分がもっている感性に対する自信ですよ。
自分の見る目に間違いはない、いいものをここに飾りたいんだっていうね。

「ズボンと靴」1969/90x90
《ズボンと靴》竹田鎭三郎  1969



次回は《明日の神話》の依頼主である、
スアレス氏との出会いについて。

「ぶつかりあう太郎とスアレス」
お楽しみに!

竹田鎭三郎氏インタビュー⑥

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竹田鎭三郎
1935年愛知県瀬戸市で生まれ、
1957年に東京藝術大学美術学部絵画学科油画専攻を卒業、
同年第1回東京国際版画ビエンナーレ展に入選する。
北川民次の弟子となり、
1963年メキシコ美術の「魔術的リアリズム」を見るため、メキシコに渡航。
1977年まで版画家として画家として創作を行う。
1987年からオアハカに定住しUABJOの美術教授となる。
1980年には、Escuela de Bellas Artesの造形美術学科長に任命される。
2002年、同校のアカデミックコーディネーターとなる。
約60年間にわたり多彩な作品を生み出してきた。

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