今回のTALKSのゲストは、
「もらい泣き」「ハナミズキ」などのヒット曲で知られる、
歌手の一青窈さんです。
②基本は愛することなんじゃないかと思います。
③ええかっこしいにならないように。
④「この脱ぎ方はいかがなものかい?」って思いながら歌う。
皆さんは、一青さんの「うれしいこと」という歌の中に、
岡本太郎の《坐る事を拒否する椅子》が、
「座るのをこばんだイス」として登場しているのをご存じですか?
太郎をリスペクトする一青窈さんと、
平野暁臣の対談をお送りします。
これでいいんだって、自信をもつことができたっていうか…。
平野:ご無沙汰してます。久しぶりにお目にかかるのを楽しみにしてました。
一青:お久しぶりです。こちらこそ!
平野:じつはPLAY TAROのコンテンツを練っているときから、
窈さんのことが頭にあったんです。
きょうは短い時間ですけど、お話したいことがたくさんあって。
一青:ありがとうございます。
平野:事情を知らない人も多いだろうから、
最初に、なぜPLAY TAROに一青窈さんをお招きしたのか、
岡本太郎とどんなつながりがあるのか、少しだけ背景をお話ししておきましょうか。
一青:はい。
平野:じつは窈さんは、はじめて紅白歌合戦に出演したとき、
全面に《明日の神話》がプリントされたドレスを着てくれたんです。
岡本敏子と窈さんの共通の友人のアイデアでね。
(岡本太郎記念館でフィッティング中の一青窈さん)
平野:そんなつながりから、のちに《明日の神話》が発見され、
再生プロジェクトが動き出したときにも、
『太郎の船団』という名の応援団に加わってくれた。最年少のメンバーでした。
一青:そうでしたね。
平野:再生プロジェクトをはじめて世間にお披露目したのが2005年の6月でした。
六本木ヒルズで大きな記者発表をやったんだけど、
このときも若い世代の代表としてスピーチしてくれた。
一青:敏子さんから「記者会見をやるから、あなた、ぜひ来てよ」
って誘っていただいたんです。それなのに、会場に敏子さんがいらっしゃらなくて…。
平野:《明日の神話》が日本に帰ってくることをお披露目するのを、
敏子はすごく楽しみにしていたんです。
「まだ話しちゃダメだよ」って言ってたのに、会う人みんなに嬉しそうにしゃべっちゃう(笑)。
だけど、会見本番の一ヶ月半前に急逝してしまって。
一青:びっくりされたでしょう?
(「明日の神話」再生プロジェックト プレス発表でスピーチ中の平野館長)
平野:ちょうどメキシコでの輸送準備を終えて成田に戻ってきた日でした。
機内で呼び出されて、なんだろうって思ったら敏子の訃報だったんです。
メキシコに出かけるときにはとびきりの笑顔で送り出してくれたのに。
一青:そうだったんですね。
平野:窈さんは敏子に会ってますよね。そのときは、どうでした?
一青:ほんとうに無邪気な可愛らしい方だなって思いました。
二十代だった私がいうのもヘンですけど。
平野:(笑)いつごろ会われたんですか? 紅白に出る前?
一青:そうです。この衣裳で出させてくださいって。
平野:敏子、喜んだでしょ?
一青:はい。「これを着てくださるなんて、嬉しいわ」って、
やさしい笑顔でそう言ってくださいました。
平野:そうでしょう。
一青:自分のことのように喜んでくださって。
平野:ああ、目に浮かぶ(笑)。
一青:それがとても嬉しくて。
これでいいんだって、自信をもつことができたっていうか…。
平野:敏子はね、そうやって、いつも〝全力で〟喜ぶんですよ。
一青:え?
平野:たえず太郎のそばにいて、太郎がやることを嬉しそうに見ている。
なにしろ岡本太郎の最大最強のファンですからね。
で、太郎がなにかつくると、飛び上がって喜ぶんです。
「わあ、すごい!先生!素敵!」「次はなにを見せてくださるの?」って。
一青:私も目に浮かびます(笑)。
平野:でしょ?
ポイントは、けっして褒めたりおだてたりしているわけではないということ。
ただ無邪気に喜ぶ。
一青:たしかに見え透いたおべんちゃらを言われても虚しいだけですものね。
平野:喜ばすための心にもないセリフを聞かされたところで、
太郎に響くわけがない。敏子はちがいました。
彼女の行動には計算がなかったし、言葉にも嘘がなかった。
一青:はい。
平野:だから太郎は敏子を信じたんです。
創作に賭ける太郎のモチベーションが死ぬまでドロップしなかったのは、
まちがいなくそばに敏子がいたからであり、
敏子の態度がそうさせたんだと思います。
一青:素敵。きっとそうだったんでしょうね。
平野:一番近くにいる人間が
いつも「すごい、素敵!」って無邪気に喜んでくれている状況って、
創造的な仕事をする者にとっておそらく最上の環境ですよね。
一青:よくわかります。
こどものようにいつもワクワクしている敏子さんがそばにいてくれて、
太郎さん、すごく幸せだったでしょうね。
平野:幸せだったし、「よし、これでいいんだ!」って確信がもてたと思う。
一青:自分の分身みたいな存在だった?
平野:そう、そう。
一青:自分だけでなく、
さらにもう一人、作品を喜んでくれる生身の人間がいてくれるっていうのは、
自分が存在する意味を自己確認する強い味方ですよね。
平野:じっさい敏子って、顔もどんどん太郎に似てきたからね。
一青:そうなんですか?(笑)
平野:まさに「もうひとりの太郎」だった。
そんなことを言うと、「バカなことを言うな」って敏子は怒るだろうけど。
一青:(笑)
平野:「わたくしなんて、ただのアホウ。太郎さんに夢中でついていっただけ」
っていつも言ってましたから。
一青:じっさいおふたりはいつもご一緒だったんでしょう?
『芸術風土記』の取材で日本全国を旅したときも、
夢中で写真を撮る太郎さんの後ろを、
メモを取りながら歩いていたって聞いたことがあります。
平野:そうですよ。太郎は自分でメモなんか取らないもん。
なにか考えを浮かんだり感動したりすると、それが口から溢れ出る。
それを一言たりとも聴き逃すまいって、敏子が必死でメモするんです。
一青:それが整理されて原稿や本になるんですね?
平野:旅だけじゃなくて、普段からそうでした。
太郎の本はほとんど口述筆記ですからね。
一青:なるほど。
平野:ちょうど『日本再発見-芸術風土記』と『神秘日本』が
復刊されたところなんです。
これに『沖縄文化論』を加えた3冊が、
いわば岡本太郎の「日本文化論三部作」です。
一青:ぜひ読みたい!
平野:窈さん、きっとハマりますよ。
一青:太郎さんと敏子さんの共同作業の成果ですものね。
平野:うん。だって太郎は一人旅とかできないもん。
一青:そうなんですか?
平野:切符とか買ったことないし、そもそも財布をもってない。
一青:(笑)
平野:その種の社会的適応力はほぼありません。
一青:(笑) それもまた魅力ですよ。いいなあ、太郎さん。
—
次回は一青窈さんがJ-POPの名曲をカバーしたニューアルバム
「ヒトトウタ」についてお聞きします。
お楽しみに。
一青窈対談②
一青窈
東京都出身。
台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、
幼少期を台北で過ごす。
2002年、シングル「もらい泣き」でデビュー。
5枚目のシングル「ハナミズキ」、
そして初のベストアルバム「BESTYO」が大ヒットを記録。
ガイド本や詩集などの書籍の執筆や、
音楽劇や映画で主演をつとめるなど、
歌手の枠にとらわれず活動の幅を広げている。
2015年末公開予定の映画「はなちゃんのみそ汁」への出演、
主題歌担当も決定している。
オフィシャルHP http://www.hitotoyo.jp/
○新譜情報
カバーアルバム
「ヒトトウタ」
2015年7月29日発売
<通常盤>
CD 11曲入
¥3,000(税抜)
UPCH-20398
<初回限定盤>
CD 11曲入+DVD
¥4,200(税抜)
UPCH-29192
(DVDには 「一青窈 TOUR 2014-2015 ~私重奏~」
2015.2.28 TOUR FINAL @ EX THEATER ROPPONGI ライブ映像 10曲収録)
<CD収録曲>
1.ハナミズキ (一青窈 初のセルフカバー)
2.幸せな結末 (大滝詠一)
3.たしかなこと (小田和正)
4.Everything (MISIA)
5.アイ (秦 基博)
6.ジュリアン (PRINCESS PRINCESS)
7.瑠璃色の地球(松田聖子)
8.糸 (中島みゆき)
9.ロマン (玉置浩二)
10.青春の影 (チューリップ)
Bonus Track 四照花(ハナミズキ Chinese Ver.)
<配信>
iTunes Music Store: http://po.st/ithitotouta
レコチョク: http://po.st/recohitotouta
一青窈対談① “一青節”の作り方
:: August 5, 2015
