皆さんはご存じでしたでしょうか?
今年4月から岡本太郎記念館のアトリエにあった、
岡本太郎愛用のピアノを修復に出しているのを!
そのピアノは歌人与謝野晶子の与謝野家から譲り受けた、
スタインベルク ベルリンという、
日本には数台しか無いという幻のピアノといわれる代物です。
と、その前に。
太郎はどの程度ピアノが弾けたのでしょうか?
そしてそもそも音楽の素養はどの程度のものだったのか?
以下、『岡本太郎に乾杯』(岡本敏子 新潮社)からの引用です。
—
『私の現代芸術』(一九六三年 新潮社)に、
「音楽白痴化論」という章がある。
音楽を聞くとき、一種の屈辱感を覚える、と彼は言う。
陶然とさせられる、感覚に訴えてくる、その空しさに怒っているのだが、
これはむしろ彼がどんなに音楽が好きだったかを逆説的に語っている。
子供の頃、絵描きになろうか、文学をやるか、音楽か、
と真剣に悩んだと言っていた。
母・かの子もピアノを弾いたし、
琴、三絃は一生お嫁に行かず、それで身を立てようかと思ったくらい、
お嬢さん芸を脱していた。
母親のさらうのを聞き覚えて、彼も、芸者さんの侍る席などではふっと、
「それセイオー(青陽)の春霞、四季の節会の事始」と、
鶴亀の一節をかなり正確に口ずさんだりして喝采をあびたりもした。
—
まさか太郎が「絵描きになろうか、音楽か」と悩んでいたとは驚きです。
さらに引用を続けます。
—
慶応幼稚舎の頃、大講堂にグランドピアノが入り、
それまで使われていたアップライトのピアノが寄宿舎におさがり、
ということになった。
幼い岡本太郎はしょっちゅうこのピアノをいたずらして、
いつの間にか独学でショパンなど弾きこなすようになっていった。
藤山一郎がその頃のことを語って、
「ある放課後、寄宿舎に遊びに行ったらピアノの音がする。
のぞいて見ると、太郎が弾いているんだ。
それがちゃんとしたショパンで、うまいんだな。
太郎は美校に行って、絵描きになるんだと思っていたから、びっくりした。
画家になろうという太郎があれだげ弾くんだ。
僕もうかうかしてはいられない、と思って、
それからピアノの稽古にいっそう精を出すようになった」
—
藤山一郎とは、日本の歌手・作曲家・指揮者の藤山一郎氏で、
本名の増永丈夫ではクラシック音楽の声楽家・バリトン歌手としても活躍し、
国民栄誉賞をスポーツ選手以外で初めて生前に受賞された方です。
その藤山氏からしても「うまいんだな」と言わせる太郎。
岡本太郎の「芸術は爆発だ!」のイメージを覆すようなエピソード。
そう。太郎だって、練習するんです。
なんてったって、
「ショパンからシャンソン、ジャズまで自在に弾きこなした」
って言うんですから。
そんな太郎の大切なピアノ…
主のいなくなってしまったピアノ…
来月9月の完成予定のピアノ…
PLAY TAROは4月〜6月までの、
修復の模様を収めた画像を入手しましたので、
ここに一挙大公開させていただきます。
どうぞご覧ください。
なお、ピアノの修復は北軽井沢の工房で、
ピアノバルロン・ジャパンの和田明子さんが行っています。
アトリエからピアノを搬出。
群馬県の北軽井沢の「ピアノバルロン・ジャパン」へ。
工房へピアノ搬入は2015年4月8日、
雪が降る中での搬入となりました。
まずは修復前の調律。
調律を保てる状態ではありませんが、
音色を保存するため、録音をしました。
ここで貴重な音色をお聴きください。
(大雑把に音を整え、ピッチはA=415より少し高めです)
いかがですか?
古いピアノならではの優しい音色ですよね。
ちなみに修復内容は以下の通りです。
本体 | 1. 弦、チューニングピン交換 |
2. 響板修復(割れの修理、ニス塗り直し) | |
3. パス駒修理(ひび修理) | |
4. 鉄骨塗り直し | |
5. ペダルシステム再調整、ペダル磨き | |
アクション | 1. ハンマーフェルト交換 |
2. アクション内のすべてのフェルト、革の交換 | |
3. スプリング交換 | |
4. センターピン交換 | |
5. 整調(タッチの調整) | |
鍵盤 | 1. 象牙・黒檀鍵盤磨き |
2. フェルト類の交換 | |
3. 再調整 | |
外装 | 1. 掃除、磨き (再塗装はせず現状の雰囲気を残す) |
仕上げ | 1. 調律 |
2. 整音 | |
3. 納品調律・点検 |
このピアノがはたしてどのように修復されていくのか?
それは次回に詳しくお届けしたいと思います。
ご期待ください。