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敏子のエッセイ⑦こどもの樹「“育てる”は“見守る”」

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今回の満月日記は、
子供の「教育」について
敏子
が考える「育てる」とは?

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青山通りの「こどもの城」の前に、
岡本太郎のモニュメント『こどもの樹』がある。

てっぺんに正面を見すえる赤い顔。
すくっと立った幹から、
にょきにょきと八方にのびた腕の先に、
それぞれ顔がついている。

笑ってるの、
怒ってるの、
ベソをかいてるの、
舌を出しているの、
一つ一つ、まったく違う、
ユニークな顔・顔・顔。

これは岡本太郎の、
すべての子供がのびのびと自由で、
独自の個性、人格、
つまり自分の顔を持っていなければならないというメッセージ。
それをシンボライズした作品なのだ。

一人一人の子供が独自であってほしい。
彼の叫びと、しかし、今日の状況は何と隔たっていることだろう。

子供たちは画一化を強いられ、
平均的でなければ落ちこぼれてしまう。
みんな“いい子”で、
塾やお稽古ごとをして努力している。
子供たちは同じ方向に、
同じ歩調で進むことを強制され、
勝手な伸び方をしたり、
ユニークな顔を持つことを許されない。

文部省や厚生省が、
キレる子供の多発に危機感をもって、
原因調査に乗り出したようだが、
子供たちは、一様にいい子の仮面を押しつけられて、
いい子を演じている。
だからある時、不意にキレてしまう。

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あるテレビの番組でリポーターが
小学校3,4年くらいの子供にインタビューしていた。

「いま一番何がしたい?」
「ゆっくり眠りたいよ。僕、疲れちゃってるんだ」

浮世の苦労に圧しつぶされた大人が
つくづくとつぶやくような、
重たい実感のこもった口調。
駆け回ったり、
むずむずと動きたくてたまらない年頃の子供が、
ため息のように吐き出す。
現代は何という時代なのだろう。

教育について、
岡本太郎は独特の考え方を持っていた。
「教える」と「育てる」とは違う。
教えることも大事だ。
人間の文化は伝達によって成り立った。
教えられること、学ぶことが文化の発展を支えたのだ。
だがそれだけでは、
人間は一個人の人格として、
尊厳をもつことはできない。

もう一方の育てること、育むこと。
それは一つのいのちがそれ自身で立ち、
運命の中心として生きていけるように支えることだ。
だから「育」とは見まもり、手助けすることなのだ。

教育に携わる人の多くはここを間違いやすい。
「教育」と一口に言ってしまうから、
教育によって人をつくることが出来るように思ってしまう。
とんでもない不遜な考えだ。

子供は自分で生きる。
自分で伸びる。
それ以外には、生きようも伸びようもある得るはずがないのだ。
育てる、というが、
育ついのち、育つ意思をもった主体がなければ、
育てることは出来ない。
大人はせいぜいそれを邪魔しないように、
ドキドキしながら見まもっているしかない。
でもそれは素晴らしいことだ。
大人も子供と一緒に成長する。
そう信じる大人がいれば、
子供は伸びる。



次回は「人を“好き”になる」ということ。
虫が好く「理屈を超えた引力」です。
お楽しみに。

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