ヒップホップ界をリードするラッパー ダースレイダーさんの対談、
第5回目は「日本人ラッパーの目指すもの」についてお聞きします。
〈前回までは〉
①「シェイクスピアが元祖ラッパーだ」なんていう人もいるくらいで。
②ある意味「ぶっ壊しちまえ!」みたいなね(笑)。
③留守電に自分のラップを吹き込んで、練習したりね。
④向こうのヤツらが納得するような表現をどうやってつくるのか?
アメリカ意識は相当薄まっていますけどね。
平野:いずれにしても強みを獲得しない限り上には行けないじゃないですか。
どんなジャンルであれ、表現としてはね。
黒人がベンチマークなのであれば、
どれだけ黒人に近づけたかっていうことで測定できるけれど、
そうじゃないなら、それぞれのラッパーが自分の強みとか、
自分のアイデンティティとか、魅力とか、オリジナリティとか、個性とか、
そういうものを手にいれるしかないわけですよね?
そういうときに、みんなどういうふうに戦っているんだろう?
何を考え、何を目指しているんでしょうね?
ダース:そうですね。
平野:ベンチマークがないとどうしていいかわからないでしょう?
ダース:たぶん若い子たちにとってのベンチマークって、
やっぱり先達の日本人ラッパーっていうレベルじゃないかと思いますね。
平野:あの人みたいになりたいってことですね。
ダース:なのでスケールとしては小さくなっているかもしれません。
おもしろいのは、そうやって憧れてる先達の人たちって、
アメリカと格闘した末に自分の表現を獲得している人たちなんです。
平野:あぁ。
ダース:ただアメリカの影響から二世代が経ってますから、
アメリカ意識は相当薄まっていますけどね。
平野:なるほど。
ダース:だから若い子は何だかわからずに、
それに影響を受けてやっているっていうところが多くいと思うな。
平野:あぁ、なるほどね。
ダース:何だかわからずにやってるがゆえに、
呪縛がなくて自由な発想ができる人たちもいるんですよ。
平野:どっちがいいって話じゃないんですね。
ダース:そうなんです。
ちゃんとラップの歴史を踏まえて、みたいにやっていくと、
乗り越える壁がどんどん出てきちゃうんですけど、
でもそれって自分の頭の中に自分でつくってる壁ですからね。
歴史だって、関係ない人にとっては関係ないんですよね。
平野:たしかにそんな教養には意味がないっていう考え方もあるだろうな。

ダース:歴史を乗り越えて行くから価値があるんだっていうのもわかるし、
でもそんなことやらなくてもいきなり行けるんだったら、
行ったらいいじゃないかっていうのもわかる。
ラップに限らず、何の表現でもそういった世代間の感覚の違いってあると思いますね。
これも良し悪しですよね。
行ったらいいじゃないかっていうのもわかる。
ラップに限らず、何の表現でもそういった世代間の感覚の違いってあると思いますね。
これも良し悪しですよね。
平野:そうですね。
ダース:やたらと昔はこうだったんだって話をされても「知らないし」っていう。
平野:(爆笑)
ダース:「70年代の時はこうだったんだぞ」とか言われても、
ただの説教になっちゃったら意味がない。
けっきょく、そのときのエネルギーの話をしないとダメで。
お勉強的な意味で「昔の曲を知らなかったらダメだ」とかいったところで、
それはある種の権威主義的な話になっちゃうので。
平野:たしかにそうですね。
ダース:「そんなもの知らなきゃできないんだったら、もうやらない!」ってなっちゃう。
平野:ラップの精神とは逆じゃないかってね(笑)。
ダース:「勉強しなきゃいけないって話じゃなかったじゃん!」っていうね。
平野:(笑)
ダース:そういう意味ではアメリカに対する意識の仕方は変わってきたと思いますよ。
でももちろん、ファッションレベルでやっぱりカッコイイみたいなのは、とうぜんありますけどね。
「黒人カッコイイ!」って15歳くらいの男の子が、
服の着こなしを真似するとかはあると思うし。
平野:ダースさんは、世代でいえばちょうど真ん中でしょ?
ダース:そうですね。
ぼくは95、6年にヒップホップと出会ったんですけど、
そのとき日本語ラップのブームが来ていたんです。
平野:先達がいたわけですね。
ダース:まず80年代にスチャダラパーとかそういう人たちがやっていた。
でも、それがどうもニューヨークのハードな本物のヒップホップと違う。
チャラいんじゃないか?
ってアンダーグラウンドの日本語ラップカルチャーがすごく盛り上がった時期があって。
平野:へえ。
ダース:それとぼくがはじめた時期が一致しているんです。
そのときは日本ならではのラップと、
やっぱり世界標準のニューヨークのラップだって日本でもできる!
っていうのが両輪で動いていて。
平野:おもしろいね。
ダース:でもメジャーなレコード会社は、
日本語ラップは「ものまねのニセモノだ」と。
平野:認めなかったわけですね?
ダース:FM局のJ-WAVEでは「日本語ラップ撲滅宣言」っていうのを出すんですよ。
平野:(爆笑)
ダース:すごい話でしょ?(笑)
J-WAVEは認めないのでかけません、
偽物をかけるくらいなら本場アメリカのヒップホップを流しますって、
フツーに放送局が言っちゃうわけですから。
平野:ほんとに?

ダース:そういった流れも、反抗的なエネルギーになっていきました。
「ラップなんてものは黒人のものまねだから、そんなものに時間も金も割けない」
っていう動きに対して、
「そういうことを言うんだったら、オレたちが目にモノ見せてやるよ!」ってね。
だからこそいまも語り継がれるような名曲が、その時期にたくさんできたんです。
「ラップなんてものは黒人のものまねだから、そんなものに時間も金も割けない」
っていう動きに対して、
「そういうことを言うんだったら、オレたちが目にモノ見せてやるよ!」ってね。
だからこそいまも語り継がれるような名曲が、その時期にたくさんできたんです。
平野:ああ、やっぱり。
ダース:それが2000年くらいになると市民権を得るんですね。
すると今度は、一転して抑圧がなくなる。
パワーが薄まったっていう言い方もできるし、
社会に広がったっていう言い方もできるんですけど、
2000年以降はラップを日本語でやることに対する抵抗がどんどんなくなって、
レコード会社も売れそうだったらお金かけるし、
ラジオも普通に対応してくれるようになった。
平野:なるほど。
ダース:いまではアイドルグループだってラップやりますよ。
もうだれがラップやってても不思議はないっていうところまでは浸透しています。
平野:たしかにね。
ダース: 90年代はほんとうに白い目で見られたし、
それが逆にエネルギーになっていた。
でっかいサイズを服を着ていて、電車に乗っていても
「なんだあの人たち」って思われるような態度をあえてとるみたいなね。
平野:それはダースさんの世代でしょ?
ダース:ぼくの世代はそうですね。
平野:でもいまの若い世代は生まれたときからラップがあって。
ダース:あたりまえにあったものだから、わざわざアピールする必要がない。
だからそこに対するエネルギーもまったく使わないっていう。
親に説明できないみたいなのも、いまはもうなくなってますからね。
平野:そうか。
ダース:あるにはあると思いますけど、でも最近はぼくの世代が親ですから。
そうなると90年代にアンダーグラウンドヒップホップが
盛り上がっているのを知っていたりするんで。
平野:こどもがラップをやっていても動揺しないと。
ダース:そうですね。
—
次回は「高校生のラップ事情」についてお聞きします。
お楽しみに!
ダースレイダー対談⑥

ダースレイダー
日本人のヒップホップ・ミュージシャン/トラックメイカー。
1977年フランス、パリ生れ。
少年期はロンドンで過ごす。東京大学文学部中退。
音楽に傾倒しつつも何も出来ずにいたところをラップと出会い、
独自のFUNK/SOULミュージックとしての、
HIPHOPを追求することになる。
Da.Me.Records主催。
“ファンク入道”や“RAYMOND GREEN”名義でも活動。
98年、MICADELICのメンバーとして活動開始。
2004年の『THE GARAGEFUNK THEORY』を皮切りに、
コンスタントに作品を発表。
『月刊ラップ』編集長を務め、著書も発刊。
音楽愛にあふれたMCにも定評があり、
TV番組ほかさまざまなメディアでマルチに活躍。
2014年に漢a.k.a.GAMIが率いる鎖GROUPに加入、
レーベルBLACKSWANの代表に就任した。