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第3回 岩間玄①

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岡本太郎をリスペクトする著名人の方々に、
太郎への思いを思う存分語っていただきます。

第3回目は、
「明日の神話」移送・修復の際、プロジェクトメンバーとして、
数々のテレビ番組を制作されたプロデューサーの岩間玄さんです。

そこから大きなストーリーが始まるんです。

僕が太郎さんと深く関わるようになったのは

「壁画《明日の神話》をメキシコから持ってきて、
修復して日本のみんなに見てもらおう!」

というプロジェクトに参加したのがきっかけです。

そこから大きなストーリーが始まるんです。

もちろんそのストーリーはストーリーで
語るべきことはたくさんあるんですけど。

でもここでこうして太郎さんのことを話すには、

そもそも…
じゃあなんで僕がそこに参画することになるのか?
というところから紐解いていかないといけないかなと思ってます。

そうじゃないと皆さん
『こいつ誰だ?なんで急に登場するんだ?』
っていう感じになるんじゃないかと。

ですから大変申し訳ないんですけど、
一度、幼少期に戻って、
そこから語らせていただきます(笑)。

ぼくは1966年生まれで、
大阪万博のときに4歳なんですね。

その頃、生まれた北海道から
親父の仕事の関係で名古屋に出てきました。

親父は新聞記者をやっていたんですけど、
ジャーナリストとしての反骨精神を持っていて、
『なにが万博だ!』みたいなことが
どうもあったらしいんです。

『あんな国家主導のイベントなんて!』
なんて思っていたみたいで、

僕は大阪万博に連れていってもらえなかったんです。

『そんなことムズカシイ言わずに
連れていってくれればよかったのになぁ』って、
ずっと思っているんですけど(笑)。

でも当時は会場に行かなくたって
山のように浴びるわけですね、大阪万博の情報を。

テレビや雑誌のグラビアや友達の写真なんかで見て、
『《太陽の塔》ってかっこいいな~』

『月の石、見たいな~』なんて思ってたわけです。

70年代に幼少期を過ごした少年少女たちにとって、
《太陽の塔》ってものすごく特別な存在なんです。

何がどう特別か、その特殊性や独自性を
今だったらいくらでも難しい言葉を使って
解説できるんだけど…

当時は子どもですから、
もっとワケ分からないわけです(笑)。

直感的に向き合っているんですよね。

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当時の僕ら少年少女にとっての
《太陽の塔》ってなんだったかっていうと…

かっこいい未来への憧れの象徴だったし、
SF的にスケールがデカくて
とてつもなくイケてるものだったんですね。

巨大な怪獣のようだったり、
光線を発射するロボットのようだったり、
アニメに出てくるロケットのようだったり、
赤と白のデザインがウルトラマンのようだったり…

自分たちの憧れがぎゅっとつまった
巨大なトーテムポールっていう
意識や感覚がすごく強くって。

だから岡本太郎という人は
その《太陽の塔》を作ったイケてる人だっていうのが、
まず最初に刷り込まれるわけですよね。

でもそれと同時に当時は、
太郎さんがいろんなテレビ番組やCMに出ていって
『芸術は爆発だ』とか、
『グラスの底に顔があってもいいじゃないか』って
言い始めていた頃でしたから、

良識ある人々から
ややイロモノ扱いされたり
変人扱いされたりもしていたわけです。

だけど僕ら当時の少年少女たちからすると、
テレビやCMで見る太郎さんって
けっこう腑に落ちてたんですよ。

子どもなりに。

意味分からないじゃないですか、
『芸術は爆発だ』とか、
『グラスの底に顔があってもいいじゃないか』って
言われても。

意味自体は全然理解できてないんだけれども、
でもものすごく面白いわけですよ。

何かすごく面白いことを言っている、
強烈にエネルギッシュな人がいるな。

そんな感じで。

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で、
『この人が、すごくイケてる存在の
あの《太陽の塔》を作ったんだ』っていうのは、
割とすんなり受け入れていて。

『あー、なるほど。こういう人だから
ああいうものを作れちゃうんだな。
うんうん、分かる分かる』みたいな(笑)。

大人になって、当時はいろんな人たちが
『芸術家たるものがそんな
テレビ露出の仕方をしていかがなものか』って
激しく非難していたっていうのを知るわけです。

そしてそれが多くの無理解と誤解と批判、
誹謗中傷に基づくもので、
太郎さんはそういうものに対して
敢然と戦いを挑んでいた、
それがファイティング太郎の
一つのあり方だったんだってことを知るのですが…

でも
案外、当時の子供からすると
《太陽の塔》を手掛けた芸術家太郎と、
テレビやCMで変なこと言っている太郎とは、
全然別々になってないっていうのが素直な感想で。

『こんなぶっ飛んだ人だから、
あんなカッコいい塔を作れるんだよな』
みたいな感覚が、
子ども心にも割とあったんですよね。

だからその当時は、
岡本太郎という人は、
世の中相手に戦ってるっていうよりは、
世界の中を遊ぶようにして自らを解放し、
遊ぶようにして作品を作っている。

そんなすごく素敵な人なんだっていう風に思って、
少年期をずっと過ごすわけです。



次回は95年に太郎が亡くなり、
岩間さんは“本当の意味”で太郎と出会います。

岩間玄②

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岩間 玄

1966年北海道生まれ。
早稲田大学第一文学部美術史学科卒業。
日本テレビ放送網・事業局 統括プロデューサー。
ドラマ・ドキュメンタリー・バラエティなど20年以上番組制作を指揮し、
2014年より現職。
2014年「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」、
2015年「えのすい×チームラボ ナイトワンダーアクアリウム」など
従来にない新しいタイプの展覧会を企画・プロデュース。
かつて「明日の神話」移送・修復の際、プロジェクトメンバーとして
数々のテレビ番組を制作した。

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