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『神秘日本』から本文を一部抜粋!!

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1966-55歳 沖縄にて1
■『神秘日本』抜粋2 「秘密荘厳」より (PP. 191-192)

山上の終点駅の前だけがわずかに照らしだされて、
あたりはもう真暗だった。
シーズンオフで、ケーブルカーをおりる人もまばら。
それも、みんな地元の人らしく、暗い中に散って行ってしまった。
初秋の冷気はいちだんと肌にきびしい。

私はまことに唐突に、高野山にやってきた。
目の前に真黒な神秘が口をひらいているような、
粛然とした気配である。
かねがね密教思想の中に問題を探りたいと思っていた。
もちろん密教芸術は大きなプログラムだ
(秘密儀軌をふまえた造像、われわれが仏像、仏画として
奈良や京都にみる造形の多くが、密教的エレメントなのだが)。
しかしそれよりもむしろ表現以前に問題がある。
その神秘をさぐらない限り、
芸術表現などといっても些末であるにすぎない。
その秘密はまた、些末をとおしてつかみとり得るものでもあるが。

表現されえないものと、表現されたものとのからみあい、矛盾。
これは私自身が常々追求している芸術の課題なのだが、
それを今度は密教によって検証したい。
一つのヒントを得られるのではないかと思うのである。

密教の思想、そしてその具体的な表現――これはひどく厖大だ。
発生の地、インドにおける初源的な感動。
それが中国に入って複雑化され、昇華される。
さらにそれを忠実に受けつぎながらも、
この風土に応じて展開された、
台密(最澄によってはじめられた天台)、
東密(空海の真言)それぞれの姿。

運命的に輸入文化を背負い、
それを日本的にのり越えなければならないわれわれの、
思想・芸術の生き方に、
それは濃い暗示をあたえているのではないか。

いずれにしてもジカに確かめてみたい。
今度は日にちがとれず、無理なスケジュールだったが、
短い瞬間に、直観的につかめばよいこと。
教義や歴史については、丹念な文献がいくらでもある。
私はまず何よりも生身をぶつけ、
その手応えによってひびいてくるものをきわめたいのである。

もう六、七年も前のことだ。
上野博物館の「仏教美術展」で、
数々の仏像を見てあるきながら、私は退屈し、空虚な気分だった。
しかしその中に、幾つか、密教芸術のイメージが異様なサインのように、
私に衝動と暗示をあたえた。
今度の旅のモチーフも、実はそこからはじまったのである。

(……)

(3ページ目に続きます)

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