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舘鼻則孝対談①「未来に向けた日本文化の延長線」

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〝ヒールレスシューズ〟が、レディー・ガガを虜にし、
一躍世界のアートシーンに躍り出た、
デザイナー/アーティストの舘鼻則孝さんの対談をお送りします。

②自分ににしかできないことは何なのか?自分の武器になるものは何か?
③自分で学んだことじゃないと身につかない
④日本発ものを海外に打ち出したかったんです。
⑤「ここまでやったから、ぜったい成功するだろう」っていう。

今回は舘鼻さんの子ども時代についてお聞きしました。

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手を動かしてなにかを生み出すことにすごく興味がありました。

平野:今日お迎えするのは、デザイナー/アーティストの舘鼻則孝さんです。
花魁の高下駄をモティーフにするという独創的なアイデアでつくられた
〝ヒールレスシューズ〟が、レディー・ガガはじめセレブたちからひっぱりだこになり、
一躍世界のアートシーンに躍り出ました。
舘鼻さんはぼくから見れば息子の世代です。
こういう若い人が果敢に世界に挑戦し、認められていく姿を見るのって、
すごく気分がいいし、嬉しい。

-親子ほど歳の離れたおふたりが出会われたのは?

平野:ぼくの友人が「面白い人がいるから紹介するよ。
ぜったい気があうと思うよ」って言ってくれて。
みんなでおでんを食べに行ったんだけど、ものの5分で意気投合した(笑)。

舘鼻:そうでしたね。
あのとき、平野さんがいきなりハイテンションだったので、びっくりしました(笑)。

平野:舘鼻さんは、作品ももちろんだけど、
存在自体が若い世代に創造的な刺激をもたらす人だと思った。
この若さでそんな人はまずいないから、とても貴重な存在だと思ったんです。

舘鼻:ありがとうございます。

平野:オヤジの説教と違って、
彼の話は「すぐ上の先輩の体験談」だから説得力が違う。
若い人たちにスーっと入るんです。
ぼくはいま立教大学で1年だけの特別講義をやっているんですけど、
そこにもゲストスピーカーとして来てもらいました。
学生たちの表情が、とにかく生き生きしていて。
はじめて告白するけど、あのときはちょっと嫉妬した。

舘鼻:(笑)

平野:今日は主に「舘鼻則孝はいかにして舘鼻則孝になったのか」
という話を聞こうと思っています。
まずはこどもの頃の話から。舘鼻さんってどんな子だったんですか?

舘鼻:というと?

平野:やっぱり芸術的なことに興味があった?

舘鼻:ありました。
もちろんそれを芸術だと意識していたわけではないですけどね。
とくにものをつくること、手を動かしてなにかを生み出すことにすごく興味がありました。

平野:家庭環境はどんな…?

舘鼻:母が人形づくりをしているんです。
「シュタイナー教育」に基づく「ウォルドルフ人形」っていう人形なんですけどね。
実家がアトリエだったんです。

平野:人形をつくるアトリエ?

舘鼻:そうです。
母は教える仕事もしていたので、そこに生徒さんを呼んで、
つくるところを見せたり、生徒に教えたりしていました。
だから、身の回りに素材とか工具とか道具とか、そういうものがたくさんあった。
それがあたりまえだったんですよね。
そういう環境で育ったので、0を1にするというか、
そういうクリエーションの現場を小さいころから見ていました。

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平野:舘鼻さんの作品にはいろんな素材が使われているでしょ?
革だったりアクリルだったり。
ぼくが真っ先に感じたのは、その質感というか肉感というか、
テクスチャーの存在感がとにかく強烈なこと。
どんなデザイナーもいろんな素材を使うわけだけど、
舘鼻さんがつくるものはケタ違いに生々しいんですよ。

舘鼻:ああ、それは嬉しいな。

平野:つまりバーチャルじゃないんですよね。
色や形はパソコンの画面上で決めてます、っていうのと真逆の、
プリミティブな荒々しさがあるっていうか…。
だから、はっきり言えば、暑苦しいし、濃い。
そういう手触り感とか空気感が舘鼻作品を特別なものにしているように思うんですよ。
それはきっと、こどものころの、いろんな素材に囲まれて過ごしたとか、
お母さんの教育とか、〝手で考える〟ことを徹底してやってきたとか、
そういうことが反映しているのかもしれませんね。

舘鼻:そうですね。
「シュタイナー教育」は、要約すれば「五感で感じる教育を目指す」っていう思想なんです。
だからといって母がぼくをシュタイナー教育で教育したというわけではないんですけど、
関連した仕事をしていたので、そんなふうになっていったのかもしれないですね。
家で出てくるお菓子もぜんぶ手づくりだったし。

平野:あ、そうなんだ。

舘鼻:小さいころは、外気に触れることがあんまりなかったんですよ(笑)。
外食にもほとんど連れていってもらったことがないし、
おもちゃにしても木のおもちゃとか、温もりのあるものばかりでした。

平野:触った人の体温が伝わってくるようなものね。

舘鼻:そんな感じのものばかりで。デパートに行っても、
そういうおもちゃしか買ってもらえない。
でもこどもはそれがいいんだなんて思わないですからね。

平野:そりゃ、流行りモノが欲しいよね。

舘鼻:でも、なかなか買ってもらえませんでした。
だからそういうのに憧れました。

平野:舘鼻さんの作品って体温があるんですよ。
しかも、熱いわけ、その体温が(笑)。

舘鼻:でも、冷たかったら嫌でしょ?(笑)

平野:ぼくはそこに惹かれるんですよね。

舘鼻:作品の背景に人間を感じるようなものにはなっていると思います。

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平野:で、そんなこども時代を過ごしたあと、東京芸大に進まれるわけですよね?

舘鼻:はい。

平野:なぜ芸大を? その時点でアーティストを目指していたっていうことですか?

舘鼻:そうですね。世の中にはいろんな大学があるじゃないですか?

平野:はい。

舘鼻:ぼくが選んだのは芸大だったわけですけど、まず一番最初に…、
高校一年生のころに、予備校に入ったんですね、美大受験のための。
それも母がパンフレットをもらってきてくれて。
そもそもぼくは塾とかも行ったことがなくて。

平野:ああ、なるほど。

舘鼻:行くなって言われていたわけじゃないんですけど、
あまり外部のつくられた世界と触れあっていなかったというか…。

平野:もしかして、こどもの頃から規格外だった?

舘鼻:その規格っていうのがどういうものかわからないんですけど…(笑)。

平野:たとえば、国語、算数、理科、社会がぜんぶ1だったとか?

舘鼻:それはないです(笑)。

平野:あ、そういうんじゃないんだ(笑)。

舘鼻:むしろ平凡だったと思う。

平野:あ、そうなの?

舘鼻:オール3みたいな。

平野:へえ。

舘鼻:でも音楽と美術だけはできたんです。

平野:あ、やっぱり。で、学校はちゃんと行けてたんですか?

舘鼻:小学校のときは行ってないときがありました。

平野:そうだと思った(笑)。

舘鼻:小学校低学年のころ。たんに行きたくなかったんです。
ま、それでどうなるっていうほどではなかったですけどね。

平野:学校なんてつまらないと?

舘鼻:コミュニケーションが苦手だったんですよ。

平野:え? ぜんぜんそんなふうには見えないけどなぁ。

舘鼻:そうでしょ? 仕事するようになってからはね。
でもほんとうにコミュニケーションが苦手で。

平野:面倒くさかったのかな。

舘鼻:いや、怖かったんです。

平野:ああ。

舘鼻:友達もなかなかできなくて。

平野:そうなんだ。

舘鼻:そう。家にこもって、お母さんがつくった人形で遊んでたり。
一人遊びしてましたね。まわりのことをよく観察してました。

平野:なるほど。

舘鼻:でもそれを表現に移すことまではできなかった。
ぼくの表現って、けっきょくはモノづくりだったわけですけど、
それがコミュニケーションツールだったっていうか…。
母にはそれが見えていたから、美大への進学を勧めてくれたんじゃないかと思います。

平野:モノづくりを通してコミュニケーションをしていたと。

舘鼻:小学校や中学校でも、なんとなく美術の時間だけはヒーローになれたんです。

平野:上手だったでしょ? 絵でも工作でも。

舘鼻:上手な方だったと思います。

平野:ということは、「将来、オレはアーティストになってやるぞ!」っていう
強烈なモチベーションが最初にあったというよりは…、

舘鼻:だんだんフォーカスされていったっていう感じですね。

平野:それ以外に自分を表現する道がなかったから?

舘鼻:そういう感じですね。どちらかというと(笑)。



次回は“なぜ芸大の染織を選んだのか?”についてお聞きします。

舘鼻則孝対談②

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舘鼻則孝

1985年、東京に生まれ。
15歳の時より靴や洋服の制作を独学で始める。
その後、東京藝術大学にて染織を専攻し友禅染を用いた着物や下駄の制作。
2010年自身のファッションブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。
全ての工程が手仕事により完成される靴は、
ファッションの世界にとどまらずアートの世界でも注目されている。

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