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舘鼻則孝対談④「未来に向けた日本文化の延長線」

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〝ヒールレスシューズ〟が、レディー・ガガを虜にし、
一躍世界のアートシーンに躍り出た、
デザイナー/アーティストの舘鼻則孝さんの対談、第4回目をお送りします。

今回は数あるファッションのなかで、どうして靴を選んだのか?
その理由についてお聞きします!

〈前回までは〉
①手を動かしてなにかを生み出すことにすごく興味がありました。
②自分ににしかできないことは何なのか?自分の武器になるものは何か?
③自分で学んだことじゃないと身につかない

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日本発ものを海外に打ち出したかったんです。

平野:ファッション全般に興味があったのに、なんで靴に行ったんだろう?

舘鼻:高校一年生のときに靴をつくったのが大きかったんじゃないかと
思います。とにかくおもしろくて、革使うのが。

平野:もしかして靴や皮にフェティシズムがあるのかな?

舘鼻:フェティシズムがあるかはわからないですけど、
平らな材料の状態から、工具を使って立体的なものがつくれるのって
おもしろくないですか?

平野:あぁ、それはわかる気がするな。
板金の匠は1枚の板からヤカンがつくれるらしいけど、
そういうのって、すごくチャーミングですもんね。

舘鼻:そうですね。工芸的な部分がおもしろくて。
ミシンじゃなくて手で縫ったり。そういうのがすごくたのしかった。

平野:一枚の板とか布とかが、立体造形に変わるっていうのは、
日本の伝統的な美意識でしょう?

舘鼻:そうですね。

平野:帯、風呂敷、折り紙、折形…、三宅一生さんの〝一枚の布〟。

舘鼻:造形だけでなく、そういう思想的な部分にもとても興味があった。

平野:でも、大学に行かずに靴をつくっているとき、
西洋スタイルの靴をつくっていたんでしょう?

舘鼻:あ、でもちゃんと日本式のファッションを学ぼうと思っていたので、
和装のことは学校で学んでいたんですよ。
課題はちゃんとやっていたので。

平野:それはいわゆる座学で?

舘鼻:いや、ちゃんと着物も染めてました。学校で。

平野:あ、そうなんだ。

舘鼻:だから学校で着物をつくって、家で洋服つくって、
という感じでしたね。

平野:なるほどね。
日本の伝統的な文化や技術を学びたいと言いながら、
ちゃんと西洋のベーシックなものも押さえてる。
ファッションを体系的に理解する努力をしてるんですよね。

舘鼻:靴もおなじです。家では英国式の靴をつくって、
学校では下駄を発表していました。

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平野:舘鼻さんがいまのようにアーティストとして出てくるための準備としては、
パーフェクトだったと思いますよ。幅広い知識と教養と技術を、
ぜんぶ自分の引き出しに入れてたっていう意味で。

舘鼻:そうかもしれませんね。そこまで自覚的だったかはわからないけど。

平野:基本的、基礎的な知識と体験を幅広く自分の中に取り込む努力って、
あたりまえだけどすごく大事だと思うんですよ。
それがなかったら、いまの舘鼻作品はできてなかったと思う。

舘鼻:それなりに努力していたってことですかね(笑)。

平野:大正解だったと思うな。
パリに行かずに和装を学ぼうと考えたことからはじまる、戦略のすべてが。

舘鼻:そうか…(笑)。

平野:で、大学で染織を学び、和装づくりをやってきて、
いよいよ卒業制作になるわけですね。

舘鼻:そうです。

平野:卒業制作って、いわば培ってきた表現力の集大成でしょう?

舘鼻:卒業制作までは、伝統的な工芸としての着物のつくり方や染色技法、
ぼくは友禅染っていう技法を研究技法を選んでいたんですけど、
自分がこれから発信したいと考えていたのはいわゆる「和服」ではなかった。
でも、先生たちには言ってなかったんです。
始める前から否定されるのが嫌だったし、定されると思ってたから。

平野:うん。

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舘鼻:ぼくは海外で活躍するファッションデザイナーになりたかった。
だから、卒業したらブランドを立ち上げようと思っていたし、
そのステップになるような、あるいは布石になるようなものを
卒業制作で発表して、社会に出たいと思っていたんです。

平野:戦術の最後の詰めの部分だ。

舘鼻:なので、和服と洋服を超越したような、
日本の古典的な技法や素材を使って、
現代にふさわしい物語のある作品をつくろうと。
それでヒールレスシューズと友禅染のドレスをつくったんですよね。

平野:なるほどね。

舘鼻:そのヒールレスシューズをレディー・ガガが履いてくれたことから、
とつぜんいろいろなところから注目されるようになったんです。
それがぼくの卒業制作。
平野さんがさっき言っていた、メールで世界中に売り込んだっていうのが、
これです。

平野:ヒールレスシューズを最初に見たとき、ぼくはすごく驚いたんですよ。
この歳になると、なにかを見て驚くってことがだんだん無くなってくるんだけど、
あれには驚いた。いままで似たものを見たことがなかったから。
「なんだ、これ?」って。
しかも、たかが卒業制作でできたモノだって聞いて、また驚いた。

舘鼻:(笑)

平野:ヒールレスシューズのアイデアの根っこのところには
花魁の高下駄があったって聞いてるけど、
でもヒールレスシューズは単純な高下駄の変奏曲ではありません。
あれはどうやって発想されたものなのか。
今日はぜひそれを聞かせて欲しいんですよ。

舘鼻:いろんな日本の靴のことを勉強していたときに…、

平野:日本の靴?

舘鼻:下駄です。下駄の中にもいろんな種類がありますよね。
花魁が履く30センチくらいの高下駄もそうですし、
舞妓さんが履くぽっくり下駄とか。あれも高さ9センチくらいあって、
ちょっと厚底の靴ですよね。
だから日本の下駄っていうのは厚底の靴なわけです。

平野:うん。

舘鼻:それに日本では歴史的にも厚底の靴が何度も流行ってるなって
思ったんですよ。たとえばアムラーが流行った90年代とか。
そういった厚底靴はヒールがない平らな靴なんです。
それで現代の洋服にあう日本の靴をつくりたかった。
そういうことでああいう形になったわけです。

平野:なるほど。

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舘鼻:だからインスピレーションとしては下駄や厚底靴だったんですけど、
形としては缶ぽっくりとか、そういうものになっているんです
ただ、いままで培ってきたデッサン力や、三次元的なものを
彫刻的な概念としてとらえる力がないと、
成り立たないようなつくり方を、あえてしているんですね。

平野:うん。

舘鼻:彫刻的に考えて、らせん構造になっている。
要するに、建築のように組み立ててつくったんですよ。
そうすればだれも真似できないだろうなと思って(笑)。

平野:一言でいうと、西洋と日本がそれぞれにもつ、技
術や美意識、伝統なんかを融合させようと?

舘鼻:そうです。融合させたいと思ったのは、
いまの日本人が和服を着てないから。
だからこそ、古典的な日本と現代的な日本を掛け合わせることによって、
未来に向けた日本文化の延長線を表現したかったんです。

平野:つまり、あれは舘鼻流の〝新しい日本〟なんですね。

舘鼻:それがすごく重要だった。
日本発ものを海外に打ち出したかったんです。
海外のフィールドで戦うわけじゃないですか、マーケットとしても。
それゆえに向こうと同じようなものをつくりたくなかったんです。



次回は最終回です。
舘鼻さんと太郎の思考と戦略について。

舘鼻則孝対談⑤

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舘鼻則孝

1985年、東京に生まれ。
15歳の時より靴や洋服の制作を独学で始める。
その後、東京藝術大学にて染織を専攻し友禅染を用いた着物や下駄の制作。
2010年自身のファッションブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。
全ての工程が手仕事により完成される靴は、
ファッションの世界にとどまらずアートの世界でも注目されている。

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