1月11日。
今日は成人の日ですね。
20歳になられる皆様、おめでとうございます!
https://twitter.com/supesupekabotya/status/686040420065783808
20歳になって成人面する様をみてると、20歳で成人など遅い、もっと早くから成人の意識を持たせろという岡本太郎の言葉が思いだされる
— ɐsɐʞıɹo (@0ricasa) January 12, 2015
岡本太郎は20歳で成人になることについて、
こんなことを言っていたのですね。
これは太郎が週刊朝日に1965年(昭和40年)から、
1年間連載した随筆『岡本太郎の眼』に、
「20歳ではおそすぎる-成人式」と書いたようで、
さらに『自分の中に毒を持て(青春文庫)』でも、
「満20歳ではじめて社会と対面する、
大人になるというのは、
えらく遅すぎると思う」
「ぼくは10歳前後で成人式を行い、
もうちゃんとした社会人として
扱うべきだと思っている」
と書いています。
@tadzi0 岡本太郎が子供を成人として扱えと書いているのはその点です。子供の人格を尊重し、成人として扱う事で自分がした選択のリスクを自分で負う覚悟と責任を早いうちに自覚させろという事です。岡本太郎は自分を子供の立場に置いて書いており、今の子供に対する扱いに怒っているのです。
— 妖怪目玉 (@youkaimedama) June 22, 2014
さらに太郎は“成人式”についても以下のように書いています。
「成人式は文明社会では祝うべきものだけど、
本来はただ祝って楽しんですむものじゃない。
厳粛に、きびしく、
『社会』と言うものをつきつける、
イニシエーション(通過儀礼)であるべきだ。」
「文明社会の成人式は、
あまりにも形式的で、甘すぎる。
はたちになれば、もう腐った大人だ。
<中略>
こんな形式的な儀式で、
大人としてきびしさに立ち向かっていく
感動がわいてくるわけがないじゃないか。」
“日本の成人式は形式的”、“大学出の学歴は紳士の身だしなみ”。
— jun (@jun2004) August 15, 2010
~「自分の中に毒を持て」 by 岡本太郎より~
自分の甘さに愕然。。。オオアマです。
では太郎は“大人”というものをどのように考えていたのでしょうか?
「子供に寛大ぶるなんて、ボウトクだ。
子供に対してこそ、ポーズを捨てて、
正面から取り組むのだ。
大人が大人ぶれば、
やがて子供も心得て、わざと子供を装う。
マセた演技だ。
もう切実な相互のぶつかりあいは望めないのだ。」
(出典 『美しく怒れ』 角川書店)
さすがは太郎です。
子供だろうが、大人だろうが、
徹底的にぶつかりあうことが大事なのだと言います。
私たちは大人になると発言や行動に保険をかけてしまいます。
でも、太郎は死ぬまで直球勝負でした。
成人式を迎える皆さんも、
成人してしまった私たちも、
太郎のように……とまではいかなくても、
「自分の運命をぶつけ、ひらいて」いこうではありませんか!
岡本太郎だけは尊敬できるな。
— 三村 優樹 (@mimurayuuki) September 30, 2015
「世間体を考えるな」と言ってくれる
大人は他には誰もいない。
「よく、大人たちは若者の気が知れないとか、
だらしないとか、
自分たちの時代のズレを、
若い世代のほうにおっかぶせる。
未熟なら未熟なりに、
成熟したら成熟したなりの顔をもって、
精いっぱいに挑み、生きていけ。」
新成人の皆さん、
本当におめでとうございます!!
「精いっぱいに挑み、生きていけ。」