自己増殖する「グロ―ス・モデル」で独自のアート世界を確立し、
世界的CGアーティストとして活躍されている河口洋一郎さんとの対談です。
今回は河口さんのコンピューターアートについて語っていただきます!
〈前回までは〉
①彫刻刻が動いているような感じなわけです。
②「洋ちゃん、あなたね、芸術はビュンビュンだからね」
③形は成長し、進化し、変わっていくもの。
あそこに行けたから、生き様がブレずに済んだんだと思う。
平野:河口さんは九州芸術工科大学(現九州大学))で
映像を学ばれたんですよね?
河口:そうです。
平野:当時、映像を勉強していた人の視線の先にあったのって
映画かテレビでしょう?
河口:そうね。
平野:アートを目指そうなんて奴は、ほとんどいなかったでしょ?
河口:ほとんどいなかったね。
平野:河口さんは、なんでアートに行こうと思ったんですか?
河口:ぼくが、芸術工科部に入ったのは、
これからの、新しい“未来の絵”を学ぶところだろうと思ったから。
平野:はい。
河口:ぼくは最初からアートをやりたくて入った。
映像より前にアートがあったわけ。
平野:なるほど。
河口:出身が種子島だから、
こどもの頃からロケットの打ち上げを見に行ってて…。
平野:ええ。
河口:ぼくはね、子どものころから宇宙に行きたかったんです。宇宙空間に。
平野:それは火星とか土星とか?
河口:そうじゃなくて、ぼくにとっての宇宙は、太陽系外の宇宙。
だから遠いんだよね。
平野:(笑)
河口:宇宙船に乗ってると、どんなに冬眠状態で宇宙旅行をしていても、
ずっと銀河系が見えているわけだよね。
平野:はい。
河口:最初はどんなに銀河系に感動しても、
毎日見ていればすぐ退屈するだろうと。
平野:まあ、そうでしょうね。
河口:いつか宇宙船に乗って別の惑星に行きたいと思ってたんだけど、
退屈は困るじゃない。だからぼくは、作品をつくりながら宇宙を移動しようと思ったわけ。
そんなことを考えているときにコンピューターのことを知った。
コンピューターを使えば、宇宙時代をアートで乗り越えられると思ったんですよ。
で、普通の絵じゃなくて、九州芸術工科大学に新しい映像系の学科があったんで。
平野:新しいアートを学ぶところに違いないと。
河口:そう。それで入った。でも入ってみたら、まったく違うってわかって。
平野:そりゃそうでしょ(笑)。そんな人いませんよ。
だいたいみんな映画やテレビメディアの監督やデザイナーになりたくて入るんだから。
河口:そうかもね。
平野:おもしろいなあ。
河口:でもね、勉強の半分は芸術工学だから。
それってつまり物理や数学とかの理科系の授業で。
平野:はい。
河口:ぼくがコンピューターをはじめたのは大学4年生ごろだったんだけど、
でもそれは情報技術としてのコンピューターであって、
アートとはぜんぜん関係なかった。
でもとりあえずそれで形の造形をしようとしたの。
平野:当時のコンピューターって、もちろんパソコンじゃなくて、
大型コンピューターですよね?
河口:そうです。
平野:それって統計とかデータ処理で使うヤツでしょ?
ぼくも修士論文でお世話になったけど、
何千枚ものパンチカードを流して…。
河口:そうそう。
平野:当時、大型コンピューターを使ってアートやってる人なんて
いなかったでしょう?
河口:だから使いづらいのね。
平野:そりゃそうだ。
河口:そんな感じで、なかなか自分の理想には近づけない。
しかも当時、九州芸工大には大学院がなかったから、
勉強を続けたくてもできない。
それでいろいろ探したら、筑波大の前身の東京教育大学に
グラフィック系アートの学科があったんです。
平野:ああ、それで東京に出てきたんですね。
河口:でも入ったら、ぼくがコンピューターでやろうとしていたことを、
みんな定規とかコンパスでやってるんだよね。
平野:(爆笑)だってグラフィックデザインって、最初からそういうものじゃないですか。
河口:当時、通産省にデザイン課っていうのがあったんですよ。
平野:前後のデザイン振興をやってた研究所ですね、Gマークなんかの。
河口:そう。それの最後の残り火があって、
そこの所員はみんな美大とか芸大の卒業してきた研究員だったわけ。
平野:ええ。
河口:そこに紹介されていったら、
幸運なことに九州芸工大で使っていたコンピューターと
まったく同じコンピューターがそこにあったんです。
平野:へえ!
河口:しかも、ほとんど誰もアートに使ってない。
トップの人に聞いたら、コンピューターで絵を描きたいなんてめずらしい!
っておもしろがってくれて、研究生の手続きをとってくれたんです。
平野:このコンピューター、自由に使って研究していいよと。
河口:それで昼は大学院でグラフィックデザインの授業を受けていたけど、
空いた時間はぜんぶ通産省のデザイン課の研究室に行ってました。
平野:なるほど。
河口:しかも九州時代につくったプログラムも、
カードリーダーが読み取ってくれて、綱渡り的にぜんぶ生き延びた。
平野:運がよかったですよね。
河口:ほんとにそう。
だって、当時、日本に数台しかなかったわけだから。
平野:同じコンピューターが?
河口:そう。すごい確率だよね。
東大とか京大にはあったんだけど、データ処理で目一杯。
絵を描いてる余裕なんかなかった。
平野:そうか。
そうすると、もしかしたら河口さんがきわめて珍しかったのかもしれないですね。
大型コンピューターを造形に使ったのは。
河口:そうかもしれないね。
で、ぼくは早く自分のつくった絵というか、まぁ線画だから図形かな、いや図像だな。
その図像を色っぽくしたい。生き物のようにしたいと思ったわけ。
でもとうぜんカリキュラムもなにもない。
平野:教えてくれる人がいないわけですからね。
河口:だから研究所にいっては、ちまちまと改良を重ねていったんです。
平野:それを許してくれる環境だったんですね。
河口:研究所の課長が
「君は変わってる。貴重な存在だ。
普通のデザインのことなんて気にしないで、我が道を行きなさい」
って言ってくれてね。
平野:その人、まさに恩師じゃないですか。
河口:そうですよ。
それでずっと続けて、「時間の造形」であり成長進化する
「グロースモデル(The GROWTH Model)」っていうのをつくったんです。
※「時間の芸術」の立場から、形の発生、成長、進化をプログラミングして、
形をある一定の法則のもとに逐次発生させ、数理の発想によってとらえた、
徹底した数理化・構造化を図る手法。
平野:なるほど。
河口:いま思うとね、あそこに行けたから、
生き様がブレずに済んだんだと思う。
平野:そうだったんですね。
河口:でも、時間がないから、バイトもできないし、
人と同じように飲み食いしたり、映画を見に行ったりとか、
そういうことはいっさい出来なくなりました。
それは苦しかった。
ぼくにとっては時間が足らないで、経済的にも暗黒の時代だったんです。
—
次回は最終回です。
河口さんが暗黒の時代から世界に羽ばたくに至った経緯をお伺いします。
河口洋一郎対談⑤
河口洋一郎
種子島生まれ。東京大学大学院教授。
75年より自己増殖する「グロ―ス・モデル」のアート世界を確立、
世界的CGアーティストとして活躍し、
進化する宇宙生命体の立体造形/ロボットの創出など
伝統の未来化による拡張を続けている。
Yoichiro Kawaguchi talk ④ " Life is Byunbyun ! "
河口洋一郎対談④「人生はビュンビュンだ!」
:: February 1, 2016
