自己増殖する「グロ―ス・モデル」で独自のアート世界を確立し、
世界的CGアーティストとして活躍されている河口洋一郎さんとの対談です。
最終回は河口さんが世界に羽ばたくに至った経緯と、
アーティストに必要な敏子!についてお伺いします!
〈前回までは〉
①彫刻刻が動いているような感じなわけです。
②「洋ちゃん、あなたね、芸術はビュンビュンだからね」
③形は成長し、進化し、変わっていくもの。
④あそこに行けたから、生き様がブレずに済んだんだと思う。
敏子さんのような人がいれば、1+1が3にも4にも5にもなる。
平野:「グロースモデル」に到達しながらも、
生活面での暗黒時代を送っていた河口さんは、
どうやってそこから抜け出したんですか?
河口:1979年頃からかな、
新宿の専門学校に週一くらいで教えに行ったんです。
映像でもアニメでもいいから、
コンピューターグラフィックス(CG)を教えてくれないかって言われてね。
平野:先生になったんですね。
河口:ぼくとしてはアートがやりたかったけど、
時代がまだついてきてなかったから。
平野:そうでしょう。
河口:でもそのときに、その専門学校の校長先生や上司から
「アメリカでコンピューターグラフィックスの国際学会があるみたいなんで、
行ってみませんか?」って視察依頼があったんです。
平野:へえ。
河口:「SIGGRAPH(シーグラフ)」って言うんですけど。
平野:え?SIGGRAPHってそんな昔からあったんですか?
河口:1974、5年から米国であったんじゃないかな。
平野:あ、そうなんだ。
河口:それで見に行ってみたら、
向こうではコンピューターグラフィックスの図像に色がついているわけ。
平野:それは悔しかったでしょう。
河口:それでまたモチベーションが上がった。
平野:そうでしょうね。
河口:で、帰国して校長や上司に向こうの最先端ぶりを伝えたら、
ぼくにグラフィックス用のコンピューターを、
アメリカから輸入して買ってくれたんですよ。
平野:へえ! 当時はものすごく高かったでしょうね。
河口:ええ。ありがたかったですね。
でもそのコンピューターなら線も引けるし、色もつけられる。
ぼくのプログラミングの技術がすべて生かせるから、
ぼくの「グロースモデル」をそのコンピューターに移し替えて、
発展させようと思ったんです。
平野:ええ。
河口:それを79年から80年に一気にやって。
毎年SIGGRAPHにいくようになって、
そこでぼくのつくった「グロースモデル」を見せたら、
みんながびっくりしちゃって。
平野:おお!
河口:それでSIGGRAPHの国際大会にエントリーしたら通ったんですよ。
それがぼくのスタートです。海外デビューの。
平野:そうやってCGアートの第一人者になられた河口さんですが、
いまはどんなものをつくりたいんですか?
河口:「グロースモデル」のアウトプットをね、
まだほんの一部分しかやれてないんです。
平野:「グロースモデル」で、できることの?
河口:そう。これをもっといろんなものに応用しないといけないなと。
たとえば、知能をもたせるとか、感情をもたせるとかね。
平野:知能!
河口:いろんなことができるんですよ。反応するロボットにも。
でも、そのためには時間が欲しい。
だからいま、どうやって生きながらえるかを考えています。
平野:(爆笑)
河口:いや、ほんとに。
平野:アーティストって、
けっきょくは死んでからが勝負ってところがあるじゃないですか?
河口:うん。
平野:太郎ってそこは非常にうまくいったと思うんですね。
河口:そうだよね。
平野:でも彼の戦略はじつにシンプルで、
作品を売らずに一カ所に固めておく。敏子を養女にしてすべてを託す。
言ってみれば、これだけです。
河口:うん。すばらしい!
平野:でもそれをやったからこそ、死んだあとの展望が開けた。
じっさい太郎の死後、敏子は河口さんみたいな人を一本釣りしたりしながら(笑)、
太郎復活の狼煙を上げ、
太郎の遺伝子を次の時代に残す道を拓いていった。
河口:そうですか~!
平野:でも大半の芸術家はそのあたりのことをあまり考えていないから、
運が悪いと忘れられちゃう。
河口:なるほど。
平野:そう考えるとね、河口さん。
失礼ながら、いま考えどきだと思うんですよ。
河口:ぼくの遺伝子をどう残すかってこと?
平野:そう。死んでから、河口洋一郎をどう残すか。
河口:うーん、そうだよね。でも、それはやっぱり敏子さんだね。
平野:というと?
河口:ぼくが講演をしたときによく言うのは、
「アーティストにとって、敏子さんみたいな人と会うことが最高なんだ。
でもなかなか会えない」って言ってるの。
平野:パートナーとして。
河口:そう。多くの人はそこで失敗している(笑)。
平野:うん。
河口:敏子さんのような人がいれば、
1+1が3にも4にも5にもなる。だけど普通は、1+1が1.5とか、
マイナスになっちゃう人もいる。
平野:そうですね。
河口:だからね、
「アーティストは将来に敏子さんのような人と会うことがとっても重要で、
これは成功か失敗かのものすごい条件だ」って言うんです。
でもこれって、敏子さんに直接、会ったことない人にはわからないだろうね。
平野:そうかもしれないですね。
河口:あの雰囲気。
敏子さんと話したときの、あの仕事のパワーが上がる感じって、
敏子さんが以外には経験がないから、あらためて貴重な存在だったな、
って思うね。
平野:敏子と話してると、ほんとにテンションを上がりますもんね。
河口:以前、東大の医学部長と、敏子さんと懇談したことがあるんだけど…、
平野:あ、ぼくもその席にいましたよ、本郷でしょ?よく覚えてる。
河口:うん。そういうときにね、相手が誰であっても、
それこそ東大の医学部長であっても、話をあわせるんじゃなくて、
もっともっとテンションを上げていく。そういう人でしたね。
ああいうことができる女性って、なかなかいないな。
平野:そうですよね。
河口:アーティストは、
つねに想像の力を前に前にもっていかなければならないから、
いい時間と空間を創造する、これをつくれる人がものすごく重要。
平野:敏子がそうだったと?
河口:うん。だからぼく、ものすごく感謝してるんです。
メンタルの面ですごくパワーを受けてると思う。
-最後に、PLAY TAROを見ている未来のアーティストたちに、
メッセージをお願いできますか?
河口:敏子さんのような人を探せれば、成功間違いなし!
平野:(笑)
河口:太郎さんのように、
人生ブレないでとことん没頭して、追求することですね。
だけど「太郎さんが元気なときに会わせたかった」って言ってくれてたので、
それだけは悔いが残りますね。
平野:会っていればおもしろいことになっていたかもしれないのにね。
河口:太郎さんは「時間の造形」はやらなかったけど、
気持ちとしては「もしぼくが太郎さんだったらこうするだろうな」って、
なんとなくわかるからね。
平野:さっきもちょっと言ったけど、
太郎が新しい手法に出会いながらも二度と手を出さなかったのは、
CGだけなんですね。
河口:うん。
平野:でもね、もしあのとき、
コンピューターがもっと早く動いていたら、もっと表現力が豊かだったら、
きっとやっていたはずなんですよ、おもしろがって。
もしかしたら日本で最初のCGアーティストになっていたかもしれない。
河口:そうね。
平野:もし太郎がいま生きていて、
現役のコンピューターの技術を自由に使えとしたら、
なにをしたと思います? なにに使っただろう?
静止画を描くとは思えないし…。
河口:奇想天外なことをやったような気がするな。
ひょっとしたらスカイツリーに絵を描くとか。
平野:おお、なるほど。
河口:そのくらいのことはするんじゃないかな。
それといまは昔以上に国際的な移動が簡単だから、
外国でなにかをつくったかもしれないね。
平野:そうか。
河口:ぼくなんかはいま、未来の乗り物をね、
ほら、ぼくは宇宙の乗り物に興味があるから。
空飛ぶエビとかね、空飛ぶナマコとかね、そういうのをつくりたい。
平野:(笑)
河口:いろんな自己組織化する乗り物が宇宙空間を飛び回ればいいんですよ。
エンジンもそのときにはエコになっているから、
強力な自然界のエネルギーを利用した、
生物から発想した乗り物とかおもしろいなって。
太郎さんもそういうのに興味を持つんじゃないかな。
平野:太郎がいまのコンピューターを使ったら、
いまぼくたちが普通にもっている空間感覚を一気に変えるような、
そんな体験をつくろうとしたかもしれないですね。
絵を描くとかそういうことじゃなくて。
河口:とくにいま、世界中の創造的な子供たちは、
これまでとは違う新しい未知の体験をしたいと思っているから、
それはいいね。
平野:なぜそう思ったかっていうと、
実際に太郎がつくった大阪万博のテーマ館、
あの空間はそれまでの日本人が体験したことのない新しい空間体験だったから。
ふだんの作品制作とはまったく違う環境や条件を与えられたとき、
太郎の興味は新しい空間体験に向かったんですよ。
河口:空間をらせん状に上がっていく新しいビュンビュンの世界だね。
平野:そうそう!(笑)
きっとビュンビュンの世界をつくったんだろうな、コンピューターで。
河口:いまこういうリアルワールド(実世界)と、
バーチャルワールド(仮想世界)が融合する時代だから、
新しいことができるからね。時間や空間の次元を越えて。
平野:河口さん、今度一緒になにかやりましょうよ。
河口:いいね。時間と空間を突き抜けたビュンビュンワールド!(笑)
平野:そうそう!
河口:「時代は寝ても覚めてもビュンビュンだ!」
平野:それいい! タイトルはそれにしよう!
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河口洋一郎
種子島生まれ。東京大学大学院教授。
75年より自己増殖する「グロ―ス・モデル」のアート世界を確立、
世界的CGアーティストとして活躍し、
進化する宇宙生命体の立体造形/ロボットの創出など
伝統の未来化による拡張を続けている。
Yoichiro Kawaguchi talk ⑤ " Life is Byunbyun ! "
河口洋一郎対談⑤「人生はビュンビュンだ!」
:: February 12, 2016
