岡本太郎記念館の庭をご覧になったことのある方なら、
誰もが驚かれたことがあると思います。
あの“ジャングル”に。
今回はそんな記念館の庭についてのエッセイです。
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岡本太郎記念館の庭に丈高い芭蕉が茂っている。
冬になっても青々として枯れる気配も見せず、
大きな葉をのさばらせて。
ひょろりと伸びて先端が垂れ下がった茎の先には、
五、六センチのバナナの房までついている。
この芭蕉は戦後に住んだ上野毛のアトリエに生えていたのを、
一株だけ持って来て植えたもの。
小憎らしいほど元気よく育って、
若い芽もいくらでも生えてくる。
彫刻にかぶさってうっとうしいのpで、
しょっちゅう切るのだが、一向に衰えを見せない。
アトリエの庭はどういう訳か、
何でもよく茂って、巨大化する。
ドラセナでも、棕櫚でも、大八つ手というのだろうか、
普通の八つ手の五、六倍もある葉っぱがにょきにょきと生えるのも。
塀の際にあるので、枯れ落ちる頃になると、
草月流や小原流の人たちが楽しみにして、
塀の外に拾いに来ているようだった。
アカンサスというギリシャの植物。
コリント式円柱などの柱頭や、
神殿の破風などによく浮き彫りになっている。
これも誰に貰ったのだろう、
いつの間にかはびこって、
猛々しい大きな葉の間から背丈以上もある茎をのばし、
びっしりと薄紫の花をつける。
別段、大事にしている訳でも、
肥料をやる訳でもない。
放りっぱなしなのに、
なぜみんなそんなに勢いがよくなるのか分からない。
「岡本太郎さんの“放射能”があるんじゃありませんか」
真面目にそんなことを言う人もいた。
亡くなって4年。
その磁力は衰えを見せない。
記念館の庭は相変わらずジャングルだ。
訪れる人は「えーっ、青山の真ん中に、こんなところがあるなんて!」
と息を呑み、すっかり嬉しくなるらしい。
彫刻は無造作に緑の中に林立して、
どっちが自然か、という顔をしている。
およそ、庭園とかガーデニングとか、
手をかけていじった様子とは異質の空間。
それが不思議に現代人を癒やすらしい。
木も草も、彫刻も、空の青さまでが、
岡本太郎のパワーにみたされている。
人々は思わずそれを吸い込んで元気になる。
「自然保護」「環境を大切に」と声高に唱える人たちがいる。
無茶苦茶な開発は勿論許せないが、
ただ「自然」「自然」とあがめ奉って、
神棚にあげてしまい、
手をつけなければ良い“自然”主義はどうなのだろうか。
人間はずっと自然とかかわり、
それを活用しながら生きてきた。
人間だって自然なのだ。
縄文人、アイヌ、つい最近だって山の民の、
自然の生かし方の絶妙なこと。
凄い技術だ。
記念館の庭は、勿論、手つかずの自然ではない。
動物の陶彫の背中にバサバサと緑の葉を生やし、
河童の口からは蔓が垂れ下がり、
茂みの間から原色の『座ることを拒否する椅子』が笑っている。
岡本太郎は自分の作品と自然との共生を楽しんでいた。
そして亡くなった今でも、
そのいのちの歓びは集う人々を癒やしている。
「元気がなくなったら、また来ます」と。
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次回は母の塔「素肌でぶつかれば」をお届けします。
Toshiko's Essay⑪ Natural - Unabated . " Magnetic force "
敏子のエッセイ⑪自然「衰え見せない“磁力”」
:: March 21, 2016
