「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」などの商品デザインでも知られている日本を代表するグラフィックデザイナー 佐藤卓さんとの対談です。
佐藤卓②「ぼくは主義・スタイルのようなものはいっさい決めていないんです」
佐藤卓③「自分の力でやっているっていう認識すらないです」
佐藤卓④「『デザインする』っていうのは、じつはすごく危険な言葉なんです」
佐藤卓⑤「そこにかならず個性があるだろうって信じているんです」
佐藤卓⑥「まぎれもなく本音なんですけど…ものすごく自信ないし、不安です」
第一回目は佐藤さんと平野さんの出会いからお聞きしました。
デザインとは、なにかとなにかを〝つなぐ〟もの
平野:今日は、日本を代表するグラフィックデザイナー、佐藤卓さんをお迎えしています。なんといっても、卓さんは、2011年の岡本太郎生誕百年事業、さらには2013年にリニューアルした岡本太郎財団のロゴをつくってくれた、われわれにとってなくてはならない恩人。今日は、つぎつぎに新しい提案を社会に送り出している、卓さんの創造の裏側をたっぷりお聞きしようと思っています。よろしくお願いします!
佐藤:こちらこそ!
平野:最初に卓さんと出会ったのがいつだったのか、はっきりとは思い出せないけど、本格的におつきあいさせてもらうようになったのは、10年以上前に…。
佐藤:そうそう。平野さんがプロデュースされていた、バンコクのデザイン展のときでしたよね。
平野:本番がたしか2006年だから、卓さんと具体的なやりとりがはじまったのは、前年の2005年だったはず。
佐藤:もう10年以上になるんですね。早いなあ。
平野:その展覧会はタイ政府の要請に基づくもので、日本デザインの秘密をわかりやすく教えて欲しい、というのがタイ側の要望でした。ぼくは『日本デザインの遺伝子』というテーマを掲げて、日本のものづくりの底流にある好みや美意識を紹介する展示をつくった。最初のゾーンでは、5人のデザイナーが自らのデザイン思想を語る等身大の映像で空間を構成しました。そのひとりを卓さんにお願いしたんです。
佐藤:柴田文江さんや廣田尚子さんなど、ぼく以外はみなさんプロダクトの方でしたよね。会場に入ったら、いきなり5人の大きな映像が目に入ってきたので、ちょっと驚きました。なぜ「モノ」ではなく「人」からスタートしようと思ったんですか?
平野:準備段階でバンコクに行って、何人ものデザイナーやデザインを学んでいる学生にインタビューしたんですよ。そのとき、ある質問への反応に愕然としたんです。
佐藤:というと?
平野:彼らの身の回りには日本製品があふているし、それが日本製であることもよく知っていた。で、軽いノリで「好きな日本人デザイナーはだれ?」って訊いたんですよ。相手はデザインのプロとデザイナーを目指す学生だから、いろんな名前がポンポン出てくると思った。
佐藤:はい。
平野:ところが、みんな下を向いて黙ってる。指されないように目を反らすんですよ。
佐藤:(笑)
平野:彼らは日本のデザイナーをだれひとり知らなかった。これには驚きました。日本のデザインは世界に輸出されるレベルにあるし、彼らだってリスペクトしているのに。これはマズイと思った。そこで、まずは日本のデザイナーの顔をしっかりと見せることからはじめようと思ったんです。
佐藤:なるほど。
平野:臨場感をもって生々しく伝えたかったから、あえて日本語のままにしました。会場に入ると、5人の表情と声が一斉にシャワーのように降ってくる。
佐藤:おもしろい体験でした。
平野:そういう事情があったから、生きて動く〝ホンモノの佐藤卓〟〝リアルな佐藤卓〟を、ぜひタイの若者たちに見せたかった。そこで、バンコクまで講演に行ってもらえないかとダメモトで頼んだら、予想に反して快諾してくださった。あのときはびっくりしたし、嬉しかった。
佐藤:そりゃ、行きますよ、行きます(笑)。
平野:話を聞くタイの若者たち、真剣でしたよね。いまの日本ではなかなか見られないハングリーさっていうか…。みんなほんとうに感激してた。
佐藤:とてもいい時間でした。行ってよかったと思いました。
平野:なによりぼく自身が感激したんです。とくに印象に残っているのは、デザインとは、なにかとなにかを〝つなぐ〟ものなんだっていう話です。“人と人をつなぐ”とか、“過去と現在をつなぐ”とか…。
佐藤:そう考えています。もちろん簡単なことではありませんけれど。
平野:それがずっと頭にあって。太郎の生誕100年イベントの準備に取り掛かったとき、真っ先に卓さんに相談に行ったんです。
佐藤:2年くらい前でしたよね。
平野:生誕100年の意味と意義をうまく社会に伝えられるかどうかで勝負が決まることはわかっていました。亡くなって15年にもなる物故作家について、「みんなで100歳をお祝いしましょう」なんて言ったところで話にならない。
佐藤:そうですよね。
平野:テーマは〝つなぐ〟だろうと。「太郎の100年」から「ぼくたちの100年」に橋をかける年だ、っていうイメージです。そうなったら、もう佐藤卓しかいないじゃないか!(笑)
佐藤:(笑)
平野:最初の打ち合わせでそんな話を聞いてもらって、ふたりでいろいろ話しあって…。けっきょく打ち合わせはその1回だけ。
佐藤:そうでしたね。
平野:しばらく経って、打ち合わせをしましょうと連絡があってうかがったところ、ファンタスティックな作品が出来上がっていた。二つのアイコンが組み合わさったじつにクリエイティブな作品でした。まったく想像していなかった展開だったので、びっくりしました。
佐藤:〝太郎と遺伝子〟です。
平野:しかも『TARO100祭』っていうゴキゲンなプロジェクト名とロゴまで考えてくれていた。そんなこと一言も頼んでいないのに…。
佐藤:(笑)
平野:太陽は太郎の自画像であり、太郎の芸術観そのもの。二重丸は100年のマルふたつで、遺伝子の象徴。生誕百年が太郎を顕彰するためでなく、「TAROの遺伝子を受け継ぐ」ためにあることが一発でわかる。主役は太郎ではなくぼくたちだ、というメッセージを無言のうちに発している。パーフェクトです。
佐藤:ありがとうございます。
平野:ことの本質がみごとに結晶している。財団の新しいロゴのときもそうでした。黄色の四角いハコが既成概念にとらわれる社会を表していて、太郎を象徴する〝眼〟がそこからはみ出している。まさに岡本芸術の本質です。
佐藤:社会に対して問題提起をつづけた太郎さんの姿勢を形にしたかったんです。
平野:なるほど。
佐藤:もちろん、はみ出していながらも、完全に外れることはない。つねに社会とのかかわりは保っている。それが太郎さん。だから、使用規則に「ふたつの要素を分離して使用することはできない」と書きました。
平野:いや、もう完璧ですよ、完璧!
佐藤:(笑)
平野:卓さんの提案を聞いていると、いつも「何なんだ、この人は!」って思うんですよ(笑)。だって、本来、当事者であるぼくが考えなければいけないことを、黙って考えてくれているんですから。頼んでもいないことまでね(笑)。でも、しょうがない。ぼくには思いつかないんだから。
佐藤:いやいや、そんなことないですよ(笑)。
平野:で、今日は、そんな卓さんの仕事観、デザイン観についてお聞きしたいと思っているんです。PLAY TAROを見ている人の多くは、クリエイティブでありたいと願う若者たちだと思うので、彼らのヒントになる話をいろいろ引き出そうって。
佐藤:どうぞ、どうぞ。なんでも聞いてください。
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次回は佐藤卓さんが仕事のときに必ずすることをお聞きします。
お楽しみに。
佐藤卓対談②
佐藤 卓
グラフィックデザイナー
1955年生まれ。
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了。
株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。
「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」などの商品デザイン、
「金沢21世紀美術館」、「国立科学博物館」、「全国高校野球選手権大会」等のシンボルマークを手掛ける。
また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」の総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターを務めるなど多岐にわたって活動。
Taku Satoh talk ① " Design and Ego "
佐藤卓対談①「デザインと自我」
:: July 22, 2016
