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Toshiko's Essay⑮Crow "Finally the place to come back through?"

敏子のエッセイ⑮カラス「最後に帰る場所は?」

_理事長-多磨霊園

今回の「満月日記」は“死に方”について。
敏子さんのコラムを読んであなたはどのように思うでしょうか?



朝、ただごとではない烏の鳴き声で眼がさめた。
縄張り争いか、何か異変があったのか、
沢山の烏が集まって来て、
ガアガア鳴きかわしている。
こっそり窓をあけてみると、
隣の庭の高木にも、
前のマンションの屋上の水槽にも、
電線にも、気味が悪いほど真っ黒な群れがてんでに陣どって、
威嚇するように鳴きたて、
何か主張しあっているようす。
何があったのだろう。
しばらくすると、いつの間にか散って行ってしまったが。

都会の鳥の傍若無人ぶりは、
憎らしいというよりこわいようだ。
青山のあたりは神宮の森という格好のねぐらがあるし、
餌にもこと欠かないので、
彼らにとっては食住揃ったまことに住み易い環境であるらしい。

それにしても、
いつも不思議に思うのだが、
あれだけの烏が飛び廻っているのに、
その死骸を見たことがない。
何故だろう。
道路にも、庭にも、一度も屍が落ちていたことがない。
老いて身体の衰えた烏もいるだろうし、
病気や怪我もあるだろうに。
ほんとに何処に行ってしまうのだろう。

昔、象は死期を覚ると人知れず、
きまった象の墓場までよろぼいながらでも歩いて行って、
そこにたどり着いて死ぬのだと聞いたことがある。
あとで、そんなことは人間の作りあげたフィクションで、
象の墓場なんてないとも聞いたから、
本当はどうなのか分からないが。
烏の群れを見ていると、
彼らにもそういう最後に帰り行く定めの場所があるのかしら、
と思ってしまう。

新規ドキュメント
 

人間社会もそろそろすっきりと軽やかに人生の幕引きをする場、
システムを考える段階に来ているのではないか。

死に方、死なせ方、葬り方、墓の問題。
とかくふれたがらない、ふれてはならないタブーのように遠ざけて、
あまり論議しない。
だがいつまでそれで済むのだろうか。
そうやって逃げている間に、
やたらに壮麗な斎場を作ってみたり、
お葬式のやり方をショーアップしてみたり、
霊園の造成で大儲けしたり。

人の死のまわりに群がる商魂はとめどなく肥大していく。
こんなことをしていたら、
いまや地球上お墓だらけになって、
生きた人間はますます窮屈になるのでは、と心配だ。
ところがどっこい、ちゃんと先廻りする人がいて、
お骨を宇宙に打ちあげて、
宇宙葬まで計画しているそうだ。
やれやれ!
地球上では足りず、宇宙まで。

私は昔話の姥捨山のように、
それに行けば自然死が待っている“お山”があればいいなあと思っている。
誰にも迷惑をかけず、
煩わしさもなくて、
すっきりと向こうの世界へ行ける。
骨は自然に朽ちる風葬にして貰いたい。

だが、今の社会にそんなところはないし、
死体遺棄罪なんて法律もあるから、
そうもいかないだろう。
せめて、お葬式もいらない、お墓も作らないで、と遺言して、
ひっそり始末して貰うしかないのかもしれない。

陰気な話ではない。
私はいまここに生きている仮の身体は自然にかえるというのが、
とても自然な、明るいことだと思っている。



次回は、この一瞬「やりたいことに集中を」をお送りします。

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