せわしない師走。
ただでさえあわただしく何かに追い立てられているようなのに、
町にはこれでもか、これでもかと騒音が沸き立っている。
そんな中で先日、新幹線に乗ったら、
発車時刻に、うるさいアナウンスも、けたたましい発車のベルも鳴らず、
すうっと出た。
これはいい。
スマートだ。
乗り遅れる人もいるかもしれないが、
それはちゃんと来なかったのが悪いのだから、
この次から気をつければいいのである。
大体、公共の交通機関はアナウンスが多すぎる。
地下鉄に乗らない人には、
ちょっと、ピンとこない話からもしれないが、
まあ聞いて下さい。
私は地下鉄に乗る度に、
腹を立てている。
「次はどこです」というのはいい。
「出口は右側」とか「左側」と言ってくれるのも有り難い。
しかし、
「ドアのあけしめの際に、手をはさまれないように、御注意下さい」。
更に「戸袋に手を引き込まれないように、お気をつけ下さい」
「お降りになったら危険ですから電車から離れてお歩き下さい」と、
至れり尽くせり。
幼稚園の遠足じゃあるまいし、
いい大人が、
しかも、大がい毎日通勤や用事で乗っている人たちに違いないのに、
何でこんなことを、
いちいち電車に乗る度に注意されなければならないんだろう。
大体、この国は公共機関があまり親切すぎ、
面倒を見すぎるのではないか。
地下鉄に乗らない地方の人でも、
身のまわりを見まわせば、
この種のことは案外いくらでも転がっているに違いない。
昔、人類学者の中根千枝さんが印度の研究生活から帰ってきて、
バスに乗ったら、「唯今、赤信号で停止しております」とアナウンス、
引っくりかえりそうになったと書いていらしたが、まったく。
ぼんやりしていて、閉まるドアに手をはさまれたら、
それはその人の責任なのだ。
なにも地下鉄側に、そこまで面倒を見て貰う必要はない。
そういう親切ごかしのお節介で、
この国の公共輸送機関はどのくらい不愉快な騒音の巣になっていることだろう。
「本日も××線をご利用下さいまして、有り難うございます」
というのもある。
他にも二つも三つも選択の幅があって、
その中からそのJRなり私鉄を選んでいるのなら、
まだお礼を言われてもわかるけれど、
都心に出るにはそのルートしか無いのだから、まったくの無駄。
というよりも馬鹿にされている気がする。
そんなことより、線路の安全とか、冷暖房の温度とか、
気をつけることはいくらでもあるでしょう。
だが誰も怒らない。
「すこし黙っていてくれよ」と言う人はいないらしい。
だからこういう過剰なサービスはますます無神経にエスカレートして、
とめどがない。
一度、ある時間帯は、
アナウンスを一切しないという実験をやってみたらどうだろう。
その新鮮な清らかな魅力に、
みんなハッと打たれるに違いない。
Toshiko's Essay⑰Surplus service "A train, some silence"
敏子のエッセイ⑰過剰サービス「電車よ少し黙って」
:: October 21, 2016
