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Kaichiro Morikawa talk ③ "OTAKU culture lecture"

森川嘉一郎対談③「オタク文化講座」

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明治大学において「東京国際マンガミュージアム」(仮称)の開設準備、および米沢嘉博記念図書館の運営に関わる森川嘉一郎さんとの対談です!

〈前回までは〉
森川嘉一郎①「『おたく:人格=空間=都市』という画期的なもの。」
森川嘉一郎②「黒幕の意図が介在しているのかいないのかを確認したわけです。」

今回はビエンナーレで展示でも重要なポイントとなった“オタクと大阪万博”についてお聞きします。

科学技術信仰は、大阪万博を象徴的なピークにしてガラガラと崩れていった。

平野:秋葉原の構造変化を独自の視点で研究していたことで、森川さんはヴェネツィア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーに抜擢された。その日本館で、『おたく:人格=空間=都市』をテーマにした展示コンテンツのひとつとして大阪万博をとりあげました。

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森川:大阪万博を、建築家が作るような会場模型ではなく、食玩のフィギュアによって展示したかったんです。平野さんとお会いしたのもそれがきっかけでした。

平野:大阪万博とオタクって、対極にあるものなんじゃないかっていう気がするんだけど、なぜオタク展に万博を出そうと思ったんです?

森川:そもそもなぜ国際建築展で「おたく展」か、ということにそれは関わるんですが、前回申し上げたように、秋葉原の変貌を展示で取り上げることは、半ば指定されていましたし、私も異存はありませんでした。ただ、それをどのように展示するかを考えたときに、「変貌した結果としてできた秋葉原の街」それ自体を中心に据えたら、あまりうまくいかないなと思ったんです。

平野:というと?

森川:アンティークショップなり書店なり、同業の店が軒を連ねる専門街は色んな国にあって、そのこと自体はたいして珍しくないからです。

平野:日本にだって神保町や合羽橋があるしね。

森川:だから、街自体を前面に出しても、その特殊性や新しさが伝わりづらいと思ったんです。

平野:なるほど。

森川:秋葉原の場合、オタク系の商品を扱う専門店が集まったという「結果」よりも、そこに集まる人々の趣味の構造にしたがって街が変わったという「プロセス」の方にこそ、新しさがあるんです。

平野:そこが従来の都市論と異なる新しい視座ですものね。

森川:「都市」自体よりも、それを変貌させた「趣味嗜好」や「人格像」のほうを前面に据えないと、そこが伝わらないと考えたんです。

平野:それで「秋葉原」でも「都市の変貌」でもなく、「オタク」を表題にもってきたわけだ。

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森川:しかし「おたく」を標題にすると、今度はなぜそれを国際建築展でやるのかということについて、あるいは「建築」や「都市」と「おたく」とのつながりについて、展示的に語る必要が出てきます。

平野:街の風景を再現してみせることが目的じゃないわけですからね。

森川:むしろ、おたくの人格が私的な空間にどのように投影され、さらにそれが公的な空間にいかに拡張されて都市を変えたかということを見せようとしました。当時は食玩ブームで、おたくの趣味や関心を多岐に渡って表す形で秋葉原の店頭に大量に並んでいたわけですが、その食玩のフィギュアをいわばミクロとマクロをつなぐ展示的な装置として使おうと考えていました。

平野:なるほどね。

森川:もちろん、食玩はおたくだけではなく、というよりはむしろ、一般の大人、さらには40代以上の人たちまでターゲットにしていて、高度経済成長時代のなつかしの事物をモチーフにしたものも多く出ていました。それを使えば、過去にさかのぼって社会背景のようなものまで語れるのではないか、などと漠然と思ったわけです。

平野:うん、うん。

森川:そういう、過去にさかのぼって背景を語ることを検討したときに、大阪万博を起点にすれば、「おたく」という人格像や文化がどのように誕生したのかを暗示しつつ、同時に、展示全体を国際建築展にどう接続するかという問題を、解決できるんじゃないかと思ったんですよ。

平野:大阪万博が起点?

森川:「おたく」という言葉は1983年に誕生するんですけど…。

平野:それまでオタクはいなかったの?

森川:そういう呼び名がつくられたのが83年というだけで、似たような人格像は昔からありました。話は飛びますが、じつはギリシャ神話にヘファイストスっていう鍛冶屋の神が出てくるんですけど、女にもてない醜男なんですね。

平野:へぇ。神話の登場人物ってみんな美男、美女だと思ってたけど、そうじゃないんだな。

森川:彼は足も不自由で、工房にこもってロボットを助手にしながら、魔力をもったさまざまな武具を作り出すわけです。ギリシャ神話の頃から、女性にもてないタイプの男が、テクノロジーの力に執心するっていう人物像があったわけですね。

平野:内向的で閉じこもりがち、でも集中力は人一倍あるっていう人現像ね。

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森川:平野さんが小学校に通われていた1960年代ですと、クラスに「博士くん」なんてあだ名の子がいませんでした?

平野:いた(笑)。色が白くて、メガネかけてて、勉強のよくできる子。

森川:クラスの中ではやや孤立していて、昼休みには校庭に出て遊ぶよりも教室で本を読んでいるような、回りから見ると変わった子なんだけど、「社会に出たら、なにかしら活躍をするかもしれない」みたいな一目の置かれ方をする。

平野:そういう子がオタクの原点?

森川:なぜ彼らが一目置かれ得たのかっていうと、「ひょっこりひょうたん島」に出てきた「博士」というロールモデルの影響もあると思いますが、日本が上り調子で、未来が科学技術によって明るく豊かになっていくという、未来志向、科学技術信仰が背景としてありました。

平野:はい。

森川:学校では運動が得意な子が女の子に人気があったとしても、お勉強さえがんばっていればやがて活躍の場が与えられ、見返すことができるという夢を持つことができたわけですね。

平野:多少変わって見えたとしても、社会に貢献する人材と見てもらえたわけだ。

森川:もっとも成績のよい子が学級委員長に選ばれ、それが単なる雑用係ではなく、名誉と他の生徒からのリスペクトをともなっていた時代でもありました。

平野:そして、そういった「科学技術が明るい未来を拓く」型の未来像を日本人に強力に刷り込んだのが大阪万博だった、と。

森川:そうした未来の、いわばショールームとなったわけですね。でもご存じのとおり、そういった科学技術信仰は、まさに大阪万博を象徴的なピークにしてガラガラと崩れ、色褪せていった。

平野:そうなると、「博士くん」はどうなっちゃうんだろ?

森川:それまで現実の未来へと向かっていた憧れ、ないしは逃避の先を、フィクショナルな未来へと移していった、というのが展示で描いた推移です。

平野:虚構の未来に?

森川:そうです。まさにサイエンスからサイエンス・フィクション(SF)に。そしてSFからSFアニメへと、関心をスライドさせていった。それが「おたく文化」を生成させることになり、同時に、「ハカセ」とあだ名されていたような人たちを「おたく」へと転じさせたわけです。

平野:ってことは、オタク文化は、失われた未来像を補填する形で育まれていったっていうこと?

森川:それが、ビエンナーレの展示で描いた筋書きです。大阪万博ではパビリオンの未来的な建築デザインが、憧れの依り代になっていた。それを建築が担いきれなくなっていくに従って、代償のように発展したのがおたく文化である、と。そのように建築とおたく文化を関係づけて、並列に置いたわけです。

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平野:それが秋葉原の物語とも重なる?

森川:秋葉原がもともと電気街として発展した背景にも、科学技術信仰・未来信仰がありました。テレビや冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれたように、家電は科学技術がもたらす明るい豊かな未来を、家庭に運んできてくれるものとしての輝かしさを帯びていました。その家電を家族そろって買いに行く場所が秋葉原であり、やはり未来のショールームのような魅惑をまとっていたわけです。

平野:たしかにそうだったな。こどもの頃に見た石丸電気のテレビCMがいまも頭に残っているけど、家族で家電を買いに行くのって、ドキドキワクワクする最上のイベントでしたからね。

森川:ところが未来像が色褪せてくると、わざわざ家族総出で秋葉原まで買いに行かせるようなオーラを、家電は徐々に失っていくわけです。結果として秋葉原は求心力を失ってしまい、バブルが崩壊する頃には、郊外型の量販店などに家電市場を大きく奪われてしまいます。だから90年代に入る頃に、当時はまだマニアックな商品だったパソコンに、主力商品をシフトせざるを得なったんです。

平野:しかたなくパソコンに…。

森川:はい。前回申し上げたように、それがオタクの街へと秋葉原を変貌させたわけです。未来信仰が失墜した結果として、かつて主力商品だった家電の代わりに、オタク系商品が店頭に並ぶようになった。そしてその秋葉原を上書きした「おたく文化」は、未来に対する憧れや科学技術信仰が失われていった代償として、おたくの人たちが育んだものでもあるわけです。だから、「秋葉原という街の物語」と「おたくの人々や文化の物語」は、ある意味でパラレルな関係にあるんですね。

平野:なるほど。

森川:その「未来像」を体現するものとして、秋葉原における家電の役割を果たしていたのが、万博ではパビリオン建築だった。そのような文脈で、ビエンナーレの「おたく展」では、まず大阪万博の会場を俯瞰した写真を展示します。そしてそこに写っている建築のデザインが、いかに強力な象徴的機能を果たしていたのかを、30年以上を経てもなお商品化を成立させるほど人々に記憶されていることを証す「食玩」を並べることによって、展示したいと思ったわけです。

平野:それがタイムスリップグリコにつながるわけですね。オタク文化を表現するメディアとして「食玩」を使おうっていうアイデアはおもしろいな。

森川:まさにタイムスリップグリコで「三種の神器」と呼ばれていた頃の古ぼけたテレビとか洗濯機が食玩になっていました。また、未来信仰の国際的な背景になっていた宇宙開発競争をモチーフにしたフィギュアなどもあって、うまくキュレーションをすれば、未来信仰とその失墜、そしてそれによっておたくの人々の憧れの対象や、秋葉原の主力商品がどのように移り変わっていったのか、さらにはおたく文化の発展と現状を、全部表現できるのではないかと考えたんです。

平野:しかも起点に大阪万博を置くことで、建築と秋葉原を並列につなぐことができた。

森川:かつて建築が担っていた「未来の表象」の代わりを、この小さな美少女フィギュアが担うようになっていて、その結果として秋葉原という都市の風景が塗り替えられたという…。そのような関係性やプロセスを、国際建築展において見せようと思ったわけです。

平野:いや、メチャクチャおもしろいな。これを読んでる人はオタク展を見たいでしょうね。ぼくだって、いまの話を踏まえてもう一回見たいもんね。



次回はさらに深く“万博の意味の喪失とオタクの誕生”についてお聞きします。

森川嘉一郎④

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森川嘉一郎 (もりかわ かいちろう)
明治大学国際日本学部准教授
1971年生まれ。早稲田大学大学院修了(建築学)。
2004年ベネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館コミッショナーとして「おたく:人格=空間=都市」展を製作(日本SF大会星雲賞受賞)。
桑沢デザイン研究所特別任用教授などを経て、2008年より現職。
明治大学において「東京国際マンガミュージアム」(仮称)の開設準備、および米沢嘉博記念図書館の運営に関わる。
著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎、2003年)など。

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