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Toshiko's Essay⑳ Cloned Human ”As for me, now is interesting”

敏子のエッセイ⑳クローン人間「私はいまが面白い」

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もう随分、昔のような気がするが、
年末年始はどこの新聞でも雑誌でも、
回顧と展望というような締めくくりの特集が目立った。
今世紀は世紀の変わる節目だったせいか、
二十世紀はどんな時代だったか、
とひろい視野に立った考察が多かったようだ。

その中で私が関心をひかれたのは、
クローン人間の可能性と、
誰でも百八十歳まで生きられるというテーマだった。

いま八十、九十歳まで元気な人は珍しくない。
もっと医療技術が進歩し、
臓器移植などが普通のことになれば、
寿命百二十歳も、
或いは百八十歳も夢ではないかもしれない。

でも、とちょっとたじろぐ。
そんなに生きて、
人間は何をするんだろう。

私はあと百年も生かしてあげると言われたら、
結構ですと御辞退申し上げたいと思う。
十代、二十代の頃には、
六十歳の自分なんて想像もできなかった。
いつの間にか、
平気でそんな年になって、
記念館を作ったり本を書いたり、
いろいろやっている。

気持ちは十九、二十歳の頃と
ちっとも変わらないけれど、
でも長生きしたいとは思わない。
そんな先のことなんかどうでもいい。
いま精いっぱい生きたい。
それだけだ。
いますぐ死んだら、本望。

新規ドキュメント 2017-01-27
せっかく科学の進歩に精進して、
人の寿命をのばそうと
骨身を削っていらっしゃる方々には、
水をさすようで申し訳ないが、
人生五十年か、
せいぜい六十くらいで
丁度良かったのではないだろうか。

もう一つ、
クローン人間の話。
私そっくりの人間が出来るとしたら、
いったい幾歳の私が作り出されるの?

オギャアと生まれた時の赤ん坊なら、
それからの育ち方や環境や教育で、
およそ違った人間になってしまうかもしれないし、
ゲノムは同じといったって、
人間個体はそんなに簡単なものではあるまい。

もし、何歳くらいの自分、
と指定できるのなら、
私は混沌して未熟だった時代の、
ぽうっと夢ばかり見ていた少女として生まれたい。
だが、遺伝子を操作して、
生み出すのだから、
やはり赤ちゃんからということになるのだろう。
それなら私と同じと言っても、
やはり別の人。
別の人格ではないのだろうか。

科学にウトイ私には
クローン人間の出来方がよく分からない。
倫理の問題が歯止めになっているようだが、
そんなクローンがいくら出来ても、
私ではない。
だから、別に気味悪くもないし、
驚異でもないような気がする。

そんなことを心配するよりも、
現に、いったい自分は何なのか。
いま、何をしているのか。
この瞬間のいのち、
生き方が大事ではないのかしら。

そして、その方がずっと面白い。
私はいまが面白くて、面白くて、
やりたいことがいっぱいあって。
もしクローン人間が出て来たら、
手伝って貰いたいくらいだ。

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