数々の番組で革新的な笑いを創造してきた放送作家の倉本美津留さんとの対談です!
〈前回までは〉
倉本美津留①「ぼくは勝手に『岡本太郎チルドレン』だと思ってます。」
倉本美津留②「そこに『自由でいい。好きなようにやればいいんだ!』というようなことが書いてあった。」
三回目は敏子の思い出について語り合います。
1つの魂が2つに分かれて、またひとつになったみたいです。
平野:いまでこそ〝太郎本〟の専用コーナーができるまでになっていますけど、21年前に太郎が亡くなったとき、書店で買える本って数冊しかなかったんです。ほぼすべてが絶版になっていて。
倉本:そうですか。
平野:書店で簡単に手に入ったのは『自分の中に毒を持て』だけ。注文すればなんとか入手できたのが2〜3冊。
倉本:へえ。
平野:本が読めなかっただけじゃありません。肝心の作品を観ることができなかった。
倉本:そうか。そのころはまだこの記念館も川崎の美術館もなかったですもんね。
平野:もし全国の美術館に作品を売っていたら、そこに行けば見ることができたわけですが、太郎は売らずにぜんぶ自分で持ってましたからね。「岡本太郎展」が全国を巡回していた頃は良かったけれど、晩年はそうもいかずに…
倉本:なるほど。
平野:加えて、晩年はメディアに登場することもなくなったでしょ? あれほどメディアを騒がせ、日本人なら誰でも知っている強烈なアイコンだったのに、ある頃から顔が見えなくなった。
倉本:そうでしたね。
平野:つまり、顔が見えない・作品が見られない・本も読めない、っていう三重苦みたいな状況がしばらくつづいたわけです。それで、半ば忘れられたような状態になってしまった。
倉本:そうか。
平野:敏子はそれが悔しくてたまらかったんです。いや、悔しいっていうより、「そんなことになったら日本の損失だ」っていう使命感みたいなものかな。
倉本:そりゃそうでしょう。絶対忘れられたらダメな方ですし。あれほど本質を発信しつづけた人が埋もれていくとしたら、それは社会がおかしいです。
平野:敏子はよく言っていました。「太郎のような人間が、この日本に実在したっていうことは奇跡なのよ」「あんな人はもう二度と現れないんだから、忘れちゃダメなの」って。
倉本:ほんとに、そうだ。
平野:「忘れさせない。それが私の仕事」って。で、真っ先に考えたのが、この記念館をつくること。でも、もちろん、ぼくは反対しました。
倉本:えっ、なんで?
平野:こんな小さなミュージアムで経営的に成功しているケースなんてほとんどありませんからね。たいていは資産を食いつぶした末に倒れます。いいのは最初の2〜3年だけで。
倉本:なるほど。
平野:だからぼくは、「必ずそうなる。そうなったら最後は野垂れ死にするんだよ」って言って、諦めるよう説得したんです。
倉本:……。
平野:でも敏子は言うことを聞かなかった。「野垂れ死にしたっていい。それでいいから、やりたい!」って。
倉本:すごいなぁ。
平野:でもけっきょく、記念館は20年経ったいまも潰れてない。敏子の勝ちです。ぼくの完敗。結果、彼女の蒔いた種がだんだん芽を吹いてきて…
倉本:めちゃめちゃ吹いているじゃないですか!
平野:そんな敏子が「最後の仕事」と言っていたのが、《明日の神話》を日本に持って帰ることでした。これをやるまでは死ねないんだって。
倉本:敏子さんらしいな。
平野:メキシコでの解体・梱包作業が無事に終わって、ぼくは「作業完了 パーフェクト!」っていう報告メールを記念館に打ったんです。それをスタッフの子に見せてもらった敏子は、彼女の頭をピシャピシャ叩きながら、何度も飛び跳ねて喜んだらしい。
倉本:(笑)
平野:その夜、ともだちの女優さんの芝居に行って、楽屋で「メキシコから今日連絡があって、いよいよ《明日の神話》が日本に帰ってくる。もう大丈夫。私の仕事もこれでやっと終わったわ」って言ったそうです。
倉本:……。
平野:そして亡くなった。ぼくはメキシコから戻った成田で知らせを聞きました。
倉本:すごい話ですね…素晴らしい人生の全うのしかたっていうか…アートなんですよ。人生をアートに捧げたっていうか……。太郎さんはほんとうに素晴らしい女性と巡り会った。1つの魂が2つに分かれて、またひとつになったみたいです。
平野:ほんとうにそうですね。
倉本:この部屋で敏子さんと楽しくお話させていただいているうちに、「オレにもなんかできることある!」って力が湧いてきたんですよ。
平野:ああ、それはよくわかります。
倉本:ちょうどその頃、「愛・地球博」(2005年愛知万博)をやるっていうことがだんだんニュースになってきていて…、名古屋の広告代理店に講演に来てくれないかって言われたんです。
平野:はい。
倉本:その広告代理店は愛知万博に絡んでいたんですけど、講演をしているうちにだんだん腹が立ってきて。だって、まるで盛り上がってないんですよ。だから「ちょっと待て!」と。
平野:(笑)
倉本:「オレは70年万博を体験した人間だぞ!」と。めちゃめちゃ腹立ってきて、途中から怒りの講義になったわけです。
平野:(笑) 「こんな体たらくは許せない!」ってことね? 「お前ら、万博をわかっているのか! もっと熱くなれよ!」ってことでしょ?
倉本:そうです、そうです。そうしたら「倉本さん、そんなに言うんなら、何か考えてくださいよ」って言われちゃって。
平野:そりゃそうだ(笑)。
倉本:「考えるわ!」って怒鳴って。それでいちばんはじめに思いついたのは、万博にはシンボルが要るっていうこと。だったら太陽の塔しかないじゃないかと。「どこの国でやろうが、万博には必ず太陽の塔がなきゃダメなんだよ!」と言ってやったんです。
平野:(爆笑)
倉本:それで敏子さんに「愛知万博に太陽の塔をつくりたい!」ってお願いしたんです。敏子さんは首を縦に振ってくれませんでしたけど。
平野:そうでしょう。
倉本:太陽の塔はつくれなかったけれど、愛知万博の開幕前イベントとして、34年ぶりに太陽の塔の目を点灯させることはできました。
平野:えっ、あれって倉本さんの企画だったんですか? 知らなかった…。
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次回は倉本さんの〝創造の作法〟についてお伺いします。

倉本美津留
1959年広島県生まれ、大阪府育ち。
『EXテレビ』『現代用語の基礎体力』など画期的な深夜番組を次々と生み出す。
90年代半ばから拠点を東京に移し、
「ダウンタウンDX」、「シャキーン!」や、アート番組「アーホ!」などを手がける。
これまでの仕事に「ダウンタウンのごっつええ感じ」「M-1グランプリ」「伊東家の食卓」「たけしの万物創世記」などがある。
近著にことば絵本「明日のカルタ」「ビートル頭」「倉本美津留の超国語辞典」など。
ミュージシャンとしても活動中。