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5th Ishii Takumi ⑥

第5回 石井匠⑥

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岡本太郎をリスペクトする著名人の方々に、太郎への思いを思う存分語っていただきます。

第五回目は國學院大學博物館学芸員、岡本太郎記念館客員研究員で、2016年岡本太郎記念館企画展「生きる尊厳-岡本太郎の縄文-」をキュレーションをされた石井匠さんです。

今回は敏子さんとの別れ・・・そして石井さんの魂に火が灯ります。



なんとかぼくの仕事もケツを叩かれながら終わらせ、スタッフ総出のその後の作業もすべて終わって、期限内に《明日の神話》をすべてコンテナにつめて載せることができました。

直後、暁臣さんは、敏子さんに「すべてコンプリート!」とメールを送りました。すると、敏子さんは記念館スタッフの頭を叩いて、ものすごい喜んでる、っていう返事がきた。それを聞いて、ものすごい達成感がありました。

「早く敏子の笑顔が見たいね!」なんて、すべての作業が終わった後、みんなでお酒を呑みながら話をしていたんです。

ところが、帰国直後、飛行機が成田についたら、信じられない悲報が待っていました。

敏子さんが亡くなっていたんです。

茫然自失。空港で、頭の中がまっしろになりました。信じられないとか、信じたくないとかではなく、いったい、何の話をしているのか、まったくわからない。

とにかく、暁臣さんのあとを追いかけて、敏子さんの自宅へ向かいました。

訃報は、ほんとうだったんです。

メキシコに立つ前夜、ぼくは急に思い立って、記念館に行きました。ふだんなら敏子さんは自宅に帰っている時間だったんですが、その日は、なぜか敏子さんは、まだ記念館に残っていました。

メキシコでの記録役も任されていたので、ビデオカメラを片手に、敏子さんにメキシコへ行くメンバーにひとことくださいと、お願いしました。

敏子さんは、「よしよし、ここでいいかしら?」と言って、太陽の塔の前に立ち、満面の笑顔で、ぼくらに遺言のようなエールを送ってくれました。

「ねぇ、メキシコはいいわよ。でも冒険よ、今度はね。何が起こるかわからない。それが楽しみでしょ。みんな、それにめげず、元気に元気に元気に!やってきて。」

敏子
※石井匠が撮影した映像があります。
「映像の太郎」第12回『敏子「元気に、元気に」』
http://taro100.jp/#/movie

何が起こるかわからない…。
ほんとうにそうでした。言葉ではいい表せないほど、とても悲しかったけれど、ぼくらの仕事はまだ終わってない。

敏子さんの言うとおり、めげずに元気に元気に元気に!やっていかなければならない。

悲しんでいる場合ではないわけです。敏子さんはいなくなってしまったけれど、逆に、そのことで暁臣さんをはじめ、かかわった全員の魂に火が灯りました。

壁画を修復し、しかるべきところに設置をしなければならない。ぼくの仕事は、拾った絵の具の破片をもとの位置に戻すことです。

ただ当時は大学院の修士論文を出さねばならない年でした。「修士論文を提出しない限り、石井は修復現場には行かせない」と、暁臣さんから言われていたので、数か月間、缶詰状態で論文を仕上げました。

12月には修復現場へ入り、修復チームの𠮷村さんたちと合流し、修復作業をはじめたんですけれど、絵画の修復については、ぼくはまったくのど素人です。

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ただ、遺跡から出てきた土器破片の接合は、毎日仕事でやっていたので得意なんです(笑)。

壁画の回収作業にしても、修復作業にしても、考古学でつちかってきた技術が大いに役立ちました。

大学に入ってすぐ、遺跡の発掘現場や遺物の整理作業の仕事をしていて良かったなと思います。

それで、《明日の神話》の修復現場に入った当日から、破片をチマチマとくっつけて、元に戻す作業に数カ月とりくんでいました。

とはいっても、なんせ30×5.5mの超巨大なジグソーパズルです。始めたはいいけれど、手にもっている破片は、一番小さいものでは1ミリのパーツです。

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想像してみてください。どこから落ちたかを記録していなければ、とほうに暮れる巨大ジグソーパズルです。自分で破片を戻すとは思っていなかったんですが、ほんと、記録しておいてよかった(笑)。

敏子さんに回収作業の具体的な指示はされなかったけれど、自分が背中を叩かれてメキシコに行ったのは正解だったなと、やっぱり敏子さんはすごいなぁ、と破片を戻しながら思いました。

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破片は、他のスタッフたちといっしょに全部戻したので、それが終わった時点で、やれやれ、ぼくもお役ごめんだな、と思っていました。

ところが・・・修復チームリーダーの𠮷村さんから「石井さんは絵も描いているんだから、色もわかるでしょ?」と言われ・・・。

たしかに、当時は描いてはいましたが、アカデミックな技術はもちあわせていないし、ましてや修復なんて・・・と断わっても、大丈夫大丈夫!と・・・(苦笑)。

もうこうなると、とにかく、やるしかない。修復の基礎を𠮷村さんに教えてもらいつつ、見よう見まねで、いちいち確認をとりながら、重要な補彩までも手伝わさせていただきました。

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いったい、おまえは何屋だ?って話です(笑)。

そうそう、修復現場に入って数カ月後だったか、山下裕二さんからメールが届きました。

開封すると、「『紫明』っていう雑誌に《太陽の塔》について書きませんか?」という内容でした。

山下さんとの出会いは・・・って話をすると、また脱線しますが・・・(苦笑)。

大学に入って間もなくだったと思うんですが、テレビで岡本太郎のことを熱弁している山下さんの姿を見たんです。

「あ~!同士がいた!」
と勝手に思ってですね、翌日、明治学院大学に入った浪人時代の友人に電話しました。

「あのさ、明治学院に山下裕二って先生がいると思うんだけど、その人の講義って、何曜日の何限かわかる?わかったら教えて!」と。

で、友人に教えてもらった時間に、アポなしで授業にもぐり込みました。授業が終わってすぐ教壇に行きまして。

たしか、「テレビで岡本太郎のことを語っているのを見ました。同士だと思って来ました」みたいなことを山下さんに言って、握手を求めたわけです。

山下さんも驚いていましたが、研究室に戻る山下さんにつきまといながら(笑)、岡本太郎に出会って人生が変わったこと、今、考古学を学びながら岡本太郎記念館に出入りしていることなんかを話し、再度握手をして別れました。

その後、太郎関係のイベントでしょっちゅう出くわすわけです。山下さんも敏子さんと親しくしていたというのは後で知りましたが、会うたびに笑顔で「いるねぇ~!」と言われたことを覚えています(笑)。

そんな山下さんからの依頼なので、そりゃ書くに決まっています。専門外の論文が書けるとか書けないとかいう話ではないんです。修復と同じで、書くしかないんです(笑)。

で、《明日の神話》を修復しながら、夜は《太陽の塔》について書く日々が始まりました。じつはそれがぼくのデビュー論文なんです。考古学専攻の大学院生なのに、デビューは考古学の論文じゃなくて、《太陽の塔》論なんです(笑)。

え?修復作業中に大学に通えていたのかって? そりゃとうぜん、行けるわけがありません(笑)。

博士課程の試験だけ受けに東京に戻って、すぐまた修復場の愛媛にとんぼ返りというような生活でした。

いちおう、念のため断っておきますが(笑)、合格後は、指導教員の小林達雄教授や大学院の事務課にも事情をお伝えしました。

小林先生には、貴重な体験だからとにかく行ってこい!と言われたので、まぁ、授業にでなくてもいいかなと。というか、物理的にでれないわけですから(笑)。

いま思えば、ある意味、ぼくの今までは「太郎づくしの人生」です。山下さんがいう「太郎つながり」の連鎖で生きてきたようなもんです。

これまでにどれだけの時間を費やして岡本太郎さんと遊んでいたのかわからないです。遺跡を発掘しつつ考古学を学びながら、絵を描いてもいたけれど、岡本太郎記念館を手伝って、メキシコに行って、修復作業を手伝ってと。

遊びっていっても、ぜんぶ本気です。

PLAY TAROの方から、“もしいま太郎さんにメッセージが届くならなにを伝えたいですか?”という質問が・・・。

太郎さんより、敏子さんに言いたいことがあります。

「逝くの早いだろ!」と。

太郎さんについては、すべてが本の中に言い尽くされている、とぼくは思っているので、行き詰ったり、困ったりしたときに、太郎の本にあたれば良いと思っています。

そういう太郎さんとの対話を学生時代から続けてきたし、必ず何らかの答えは返ってくる。

これは太郎さんに限りませんが、自分が何かを求めているときに、なんとなく気になって手に取る本って、そこに自分が求めている何かがあると直感しているから手に取るんです。

本を手に取るというのは、もう時代遅れなのかもしれませんけれど、故人であれ、今生きている人であれ、たまたまひらいたページに答えがあったりします。本を手に取るかぎり、こういう対話はいくらでもできるんですが・・・。

ただ、生きている生身の敏子さんとの対話が突然絶たれてしまったのは、大きなショックでした。壁画を持って帰ってきてから話したい事、聞きたい事がたくさんあったんです。太郎巫女にもっと長生きしてほしかったです。

・・・まぁ、敏子さん自身は、すべてをやりとげたんだと思います。壁画を持って日本にもってかえるまでが自分の仕事だと言っていましたから。

そういえば、敏子さんには本当にいろんなところにつれていってもらいました。

一度、東北の縄文祭りにつれていってもらったことがあって、そこには岡本太郎と現役で仕事をしてきた人たちが集まっていたんです。

宿泊先のホテルのロビーで円陣になって、みんなでお酒を飲んだんですけど、一人一人自己紹介をしようってことになり。

ぼくの左隣からはじまって。お酒を飲んでグデングデンになった頃に、大トリのぼくにまわってきたんです。

立ち上がって開口一番、「オレは岡本太郎を超える!」って叫んだら、「オマエは何様だ!」と数十年上の方々とバトルになった(笑)。

最終的にぼくは大泣きしながら、「でも超えるんだ!」って叫んでいました(笑)。すると誰かが「敏子さん、こんな奴に、こんなこと言わせてていいのかっ!」と大声で敏子さんに聞いたんです。

そのとき、敏子さんはすっと立ちあがって、こう言ってくれたのを覚えています。

「この人はいいのよ。この人の眼を見なさい!」

思い出すたびに涙目になっちゃうんですけど、敏子さんは、本当にぼくのことを信頼してくれているんだなって。嬉しかったですね。ぼくは大泣きしてましたけど(笑)。



次回は最終回。「太郎と遊ぶということ」について。

石井匠⑦

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石井 匠

1978年生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期修了。博士(歴史学)。
現在、國學院大學博物館学芸員、岡本太郎記念館客員研究員。
第2回岡本太郎記念現代芸術大賞、入選。
岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》再生プロジェクトスタッフとして、メキシコでの壁画回収・修復・設置作業に従事。
2016年岡本太郎記念館企画展「生きる尊厳-岡本太郎の縄文-」をキュレーション。
著書に『縄文土器の文様構造』、『謎解き太陽の塔』、共著に『縄文土器を読む』他多数。

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