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Toshiko's Essay㉔Spring song "Imminent nature and interchange"

敏子のエッセイ㉔春の歌「身近な自然と交流」

敏子-2

「山笑う」「水ぬるむ」「風光る」。
春の季語には嬉しい言葉が多い。
今年は東京でも雪が多かったし、
ここ数年になく冬らしい寒さだったので、
殊更に春を抱きしめたい。

立春の頃からテラスの前の樹々に
烏の群れがよく来て鳴きかわすようになった。
目白だろうか、雀よりずっと小さい、
きゃしゃな緑色の小鳥たち。
尻尾の細く長いせきれい。ひよどり。
ギャッギャッと鳴きながらよく飛び廻るむく烏の群れ。
烏類図鑑で見てもよく分からないのもいろいろくる。
どうして急に。
万物眼ざめたのかしらとう。
ついついと飛びかわしては枝をゆらしている。
立春の頃はまだ庭には雪が残っていたりしたが、
それでも空気はゆるみ、
鳥たちにも光の春が感じとれるのだろう。
囀りかわして賑やかだ。
今の時代、花屋には季節を問わず
世界か運ぱれてくるとりどりの花が並んでいる。
冬なのに菊もあるし、
薔薇も蘭もいつでも見事に咲いて彩りを競っている。
花市場には専門家でも名前が分からないのが、
毎日どっさり入ってくるそうだ。
果物だって、苺は勿論、年中出廻っているし、
蜜柑、葡萄、何でもある。
真冬に小玉の西瓜。
中は真っ赤に熟し、結構甘くておいしいのだが、
何だか心がはずまない。
真夏、つるベの井戸で冷やした、
抱えきれないほど大きいのを、
縁側でパチンと割って、
みんなでとり囲んでかぶりついた、
あの、夏だなあ、というほとぱしる歓びが感じられないのだ。
人工の練りものみたい。
消費者はそれでも冬の西瓜が食ベたいのだろうか。

新規ドキュメント 2017-06-29
京都の懷石料理「辻留」の先代のおやじさんは
「野菜は地ベたとお天道さまでしっかり育ったんでのうては、
養分も何もあらしまヘん。
ハウスの中に囲い込んで、日にも当てんと石油たいて、
そんなんして作ったもん、いっくら食べたって、
味もないし、精もつきまヘんで」
と言っていたが、そのとおりだ。

今日の都会生活で季節を感じることは難しい。
幸い青山は緑も多く、
神宮の森や青山墓地、
根津美術館など、
散策するスペースにも事欠かない。
歩けばそれなりに、
自然の営み、移ろいが眼につき、肌に感じられて、
東京もまだ捨てたものではないなあ、といとおしくなる。

大事にしましょう。
白神の橅林もいいし、屋久島の縄文杉も凄いけれど、
身近な何でもない自然-ちっちやな草の花とか、
名も知らぬ小烏の群れ、
飛びかい囀りかわすささやかな歌、
風の色、月の満ち欠け。
それらは生きものとしてのわが身に滲み入り、響きあう。

生命の歴史は何十億年も綿々と統いて
生成を繰り返してきたのだろうけれど、
少なくとも人間として、
感覚や情感をもって暮らしはじめてから何万年、
「ひと」はそういう自然と交流しながら、
深まり、ひらいて来たのだと思う。
その交流を断ち切ってはいけない。
たかがちょっとした便利さや、
変わったものが食べたいなどという浅はかな欲望のために、
どんどんバランスを壊してゆく文明は怖い。

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