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5th Ishii Takumi ⑦

第5回 石井匠⑦

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岡本太郎をリスペクトする著名人の方々に、太郎への思いを思う存分語っていただきます。

第五回目は國學院大學博物館学芸員、岡本太郎記念館客員研究員で、2016年岡本太郎記念館企画展「生きる尊厳-岡本太郎の縄文-」をキュレーションをされた石井匠さんです。

今回で最終回。「太郎と遊ぶということ」についてお伺いしました。



今回、岡本太郎記念館で『生きる尊厳 -岡本太郎の縄文-』(展示期間:2016年3月2日〜7月3日、協力:國學院大學博物館)を開催したときに、いろいろとまた岡本太郎と向き合うことになりました。

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ぼくが太郎さんと出会ってからずっと思っているのは、

「岡本太郎ができなかったこと、やりきれなかったことってなんだろう?」
「それでぼくができることはなんだろう?」っていうことです。

岡本太郎がやりたかっただろうけれど、できなかったことをやる!っていう思いだけはずっとあります。

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『謎とき太陽の塔』(幻冬舎新書)を出版した時は、「もぅ太郎さんのことはいいや」と思っていたのですが、山下裕二さんや椹木野衣さんに、「もっとやれ!」って言われ・・・(汗)。

ぼくと山下さんは20歳、椹木さんとは16歳、記念館館長の暁臣さんとは19歳はなれています。みなさんに出会ったのは17、8年くらい前だと思うのですが、今のぼくは当時の彼らの年齢になっているんです。

そう考えると、ぼくももっとやらないといけないなと。怠けていられないですね(笑)。

「太郎がいちばんやりたかったこと、世の中に伝えたかったことは、『美の呪力』に凝縮されている」って敏子さんはおっしゃっていたんですけど、太郎さんって言いっ放しで終わっていることも多いんですよね。

本のあとがきで「これはまた後で展開したい」って言ってるくせに、その後、展開してないじゃん!ってことが多いんです。

そこをもう少し読み解いて、岡本太郎がつくろうとしていた壮大な「わが世界美術史」の詰め切れていないところ、展開しきれていないところを、ぼくが穴埋めするというわけではないですが、自分のフィルターを透して展開していきたいと思っています。

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最後にPLAY TAROをご覧の皆さんに。

サイト名にもあるように「太郎と遊べ」っていきなり言われても、たぶん、なかなか難しいと思うんです。太郎さんがいう「遊び」って、ふつうの感覚の遊びとはかけ離れていますから。

ふだん、友達に「遊ぼうよ!」って誘うときの意味とはまるで違います。太郎の遊びって、人生懸けての、生きるか死ぬかの真剣勝負。

10代の終わりから20代前半のぼくは、太郎にかぶれていました。周囲からさんざん「お前は太郎教信者か?」と言われました。

まぁ、ある意味では、狂信的だったのかもしれません(笑)。敏子さんとの出会いも大きかったとは思うんですけどね。

それはそれでいいと思うんです。

でも、太郎と遊んではいませんでした。ただの「太郎かぶれ」や「太郎ファン」で終わってしまうと、太郎さんと「遊ぶ」ことはできないと思うんです。

どっぷり浸かることで見えてくることもあります。「アイツ頭おかしいな」って言われるところまでいって(笑)、それをくぐり抜けたときに、岡本太郎が言っていることが分かるようになることもある。

ただ、岡本太郎を教祖みたいに崇めてしまうと、そこで終わりです。

ぼくは自殺するしかない思ったところを、太郎さんの言葉に救われたんですが、出会って衝撃を受けて、いったんは忘れてしまうくらい離れていました。

かぶれて、離れて、救われて、客観的に岡本太郎を見られるようになったんですが、よく考えると、なんだか宗教的ですね・・・(苦笑)。

岡本太郎が言っていることを、ただ単にありがたいお経のように読むんじゃなくて、太郎はこう言っているけれど、他のやつはどうなんだ?と、いろんな本を読んで比較してみる。そうすると、「太郎のほうが本質をついているなぁ」って思えることもある。

逆に、いろいろな人の考えと比較してみると、「太郎はこう言っているけど、これはどうなの?」「間違いなんじゃね?」って気づくところもある。あたりまえですけどね(笑)。

ぼくの場合、太郎が言っていること、視ている方向について「そりゃそうだ!」「いや、それってどうなの?」「この視点を発展させてみるか」ってかんじで、同意したり、疑問をもったり、というのが研究のネタ元になっている部分が多くあります。

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そういう意味では、ぼくにとっての「遊び」のひとつは、研究なんでしょう。いろいろなことをやりすぎて、最近はいったい自分が何屋なのかわからなくなって、悩んでいますが(笑)。

岡本太郎の言っていることを鵜呑みにするんじゃなくて、疑ってかかってみるのも、おもしろいですよ。

太郎さんは、いろんな分野の問題を、さまざまな角度から斬りこんで展開している人なので、間口が広いんです。

彼の視点をのぞいてみるだけでもいいし、ちょっとかぶれてみながら、わき出てくる疑問を批判的に展開してもいい。太郎さんの視点は、今でも通用する斬新な面がたくさんあります。

芸術、宗教、学問、政治、経済などなど、なんでも岡本太郎流の視点で斬りこんでいるので、あらゆる分野のいろんな人が、いろんな形で「真剣な闘い」=「遊び」を太郎に挑めば、おもいもよらない発見や、そこからの発展があるずです。

「太郎ってすごいな!」というだけで終わるのではなくて、太郎に挑む。のりこえてやる!とガチンコ勝負をしてみる。

負けるかもしれないけど、勝てるかもしれない。そんな太郎との「四次元との対話」、「遊び」ができれば、たのしいですよね。

太郎巫女の敏子さんは、太郎さんのリバイバルが実現しても、それぞれの立場から、もっともっとつっ込んで、賛否両論をふくめて、岡本太郎をもっともっと突きつめてもらいたい!といつも言っていました。

「まだまだまだまだまだまだ足りない!」
ってね(笑)。

それとこの文章で「縄文」について興味を持ってくれる方がいたならば、伝えたいことがあります。

きっとこれまで「縄文」って言われても、なんとなく歴史の教科書で知っているなって程度だと思うんです。

「火焔土器」なんかは、教科書に写真がのっていたから、なんとなく覚えているか、知ってはいると思います。だけど、直にそれに触れる機会はあまりないですよね。

本当なら発掘して何千年も前のものが出てきたその瞬間に立ち会う発掘調査が、いちばんおもしろいんですけど、なかなかそういうチャンスはない。

博物館とか美術館でも良いので、直に本物とふれあって対話することが、ぼくは大切だと思っています。

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宣伝になっちゃいますが、國學院大學博物館にくると、無料でたくさんの縄文土器と出会えますよ(笑)。

まずは眼で触れる。予備知識はいらないので、とにかく本物とふれあってみてほしい。そこで「縄文」ってなんなんだ?と思ったら、一般向けから専門家向けまで、たくさんの本が出ています。それを読めばいい。

縄文土器と生で対決してみる。

縄文土器は、ぼくらが料理で使っている鍋の古いもの、土鍋です。復元されたものであれ、なんであれ、美術品とか過去のごみとかという視点でひいて視るのではなくて、そのものと、土器をつくり、使っていた人たちを想像しながら、土鍋とぶつかってほしい。

そうすると、岡本太郎が国立博物館で縄文土器を見て、「なんだこれは!」と、ぶるぶる全身が震えるほどの感動が、ひょっとしたら、あなたにも同じように起こるかもしれません。

数千年前、生きるため、食べるために縄文土器や土偶や石器をつくりだした人たちの息吹を感じてほしいです。



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石井 匠

1978年生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期修了。博士(歴史学)。
現在、國學院大學博物館学芸員、岡本太郎記念館客員研究員。
第2回岡本太郎記念現代芸術大賞、入選。
岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》再生プロジェクトスタッフとして、メキシコでの壁画回収・修復・設置作業に従事。
2016年岡本太郎記念館企画展「生きる尊厳-岡本太郎の縄文-」をキュレーション。
著書に『縄文土器の文様構造』、『謎解き太陽の塔』、共著に『縄文土器を読む』他多数。

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