Digs

Toshiko's Essay㉕Electronic dictionary "Only by an objective word"

敏子のエッセイ㉕電子辞書「目的の単語だけでは」

理事長ダイニング

電子辞書というものを持ってきてくれた人がいる。
携帯電話くらいの小型。
「この中に、英語辞典と和英、 それに国語辞典まで入っているんですよ。便利でしょう」と自慢して贈ってくれた。

こういうものには音痴だから、どうやって動かすのか、ちょっと手が出ない。
丁度、コンピューターに強い甥が来たので、 「これ、 使い方教えてよ」をいじってもらった。

彼は「 話に聞いていたけれど、こういうのか」と 気軽にやってみてくれたが、「 ああ、これはおばさんには無理だ」と言う。
「どうして? そんなにむずしいの」
「 いや、使い方は簡単だよ。 でも液晶パネルの窓がこんなに小さいでしょう。ここに文字がくちゃくちゃっと出てきたら、読めないんじゃない?」

なるほど見にくい。
大体辞典類は文字が小さいけれど、 紙の上の活字、白黒だからまだ読みやすい。
グレーの地の、あの電子機器の表示は馴染みが薄いせいか、どうも苦手だ。

「ほんとねえ。これで目をパチパチして苦労してるより、辞書を引いた方が早いわね」
「そうでしょう。じゃ、僕が貰ってくよ」とあっさりせしめられてしまった。

新規ドキュメント 2017-08-31_1
親しいジャーナリストにその話をしたら「僕らはもっと大きな辞典類でもパソコンに入れていますよ。でも、急いである単語だけを確かめなきゃならないときは便利ですが、あれは良くありませんよ」

彼が言うには、辞書を引くと、目的の単語だけでなく、その周りに出てくる類語や用例も自然に眼に入る。
それがいいのだ。
検索した単語だけ事務的にそっけなく出てくるのでは、何か欠けてしまう。

それはよく分かる。
辞書を読む楽しみというものは、限りなく広くて深い。
隣の行、もうちょっと手前、あるいはパラパラと頁を繰って探して行くうちに、ふと眼についた言葉。

いま、目的の語とは関係ないことなんだけれど、へぇー、これはそういう意味なの、と思わず引っかかってしまったり、意外な言葉の使い方を発見したりする。
それが言語によって世界を作っている人間の、膨らみであり奥行きになるのだ。
いま、役に立つものではないとしても、いつか、ひょっこりそれが生きてきたりする。

IT時代が騒がれて久しく、さまざまの検索はコンピューターでずっと便利になる。
これからますます効率化し、拡大してゆくだろう。
だが、それは考えたり、想像したり、無いものを紡ぎ出したりしてゆく営みの代用にはならない。
考えることの楽しさ、詩でも文章でも創り出して行く歓び、いのちの高揚をコンピューターにやってもらうことが出来るだろうか。

Articles

Special Feature

Channel Taro TV

Read More
:: March 21, 2017

《門扉》制作風景

Read More
:: November 30, 2016

《樹人》制作風景!

Read More
:: August 3, 2016

《五大陸》制作