Talks

Reiji Ando talk①"Festival theorist and practitioner of the festival"

安藤礼二対談①「祝祭の理論家であり祝祭の実践者」

P1720482

文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科教授で「贈与と祝祭の哲学」を担当されている安藤礼二さんとの対談です。

安藤礼二②「自分たちがやっている考古学を比べて、ああ、これはダメだなって。」
安藤礼二③「『ジャンルをすべて乗り越えて一つの表現の原型を突き詰めていった人』です。」
安藤礼二④「太郎も歌と踊り、お祭りの中に演劇の起源、芸術の発生があると考えていたと思うんです。」
安藤礼二⑤「自分のやっていることは客観的でもあるし主観的でもあるんだという人たちです。」
安藤礼二⑥「太陽の塔を建てることで、「原型的なものを思い出せ」と言っている。」
安藤礼二⑦「ジャンルを横断すると同時に、ジャンルをひとつに繋げてしまう。それが岡本太郎なんですよ。」

今回は安藤さんと岡本太郎の出会いからお伺いします。

「ジョルジュ・バタイユを調べていくと、すぐそばに太郎がいる。」

平野:今回は文芸評論家で多摩美術大学教授の安藤礼二さんにお越しいただきました。安藤さんは、いまぼくがもっともリスペクトする批評家のおひとり。生誕百年記念の全集(「太郎誕生:岡本太郎の宇宙-2」ちくま学芸文庫)に解説を書いていただいたり、いま制作中のドキュメンタリー映画『太陽の塔』にご出演いただいたりと、日頃いろいろ助けてもらっているんです。

安藤:いえいえ、こちらこそ、いつもありがとうございます。今日はどうぞよろしくお願いします。

平野:早速ですが、安藤さんがどのようにして太郎と出会ったのか、といったあたりからお話いただけますか?

安藤:岡本太郎との最初の出会いはテレビでした。物心ついたとき、ちょうど「芸術は爆発だ」ですとか「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」というCMを、リアルタイムでこの眼で見ました。インパクトがあったからよく覚えていますが、太郎が何者なのか、についてはまったくわからないままでした。

平野:ああ、なるほど。安藤さんの世代の、ごく標準的な出会い方ですね。その後、本格的に太郎と向きあうようになったのは?

安藤:大学に入って民俗学やシュルレアリスムに興味を持ちはじめたときに、改めて太郎に直面したんです。

平野:というと?

安藤:たとえばジョルジュ・バタイユを調べていくと、すぐそばに太郎がいる。

平野:うん。

安藤:あるいは、私は大学で考古学を専攻したのですが、縄文土器の研究史をひもといていくと、やっぱり太郎が出てくる。

平野:はい。

安藤:学問としての縄文土器研究というと、年代の物差しでしかなかったけれど、そこに割り込んできた太郎が縄文土器の「おもしろさ」をはじめて語ったわけです。

P1720395
平野:いまさらっとお話になってますけど、どう考えてもフツーじゃない話ですよね。だって安藤さん、大学では考古学を勉強していたんでしょう?

安藤:そうです。

平野:なぜ考古学をやっていた人の口から民俗学やシュルレアリスムなんていう単語が出てくるんだろう?

安藤:2011年の震災で大きな被害を受けた三陸沖の田野畑村というところがありますが、そこにある縄文時代の列石遺構が研究のフィールドでした。

平野:大学の頃?

安藤:そうです。そこで縄文の研究をしているうちに、田野畑村は遠野に近いし、自然に“鹿踊り”なんかを知ることになって。いつの間にか民俗学に近づいて行ったんです。

平野: なるほど。てことは、民俗学は大学で教授についてゴリゴリ学んだってわけではない。

安藤:そうです。趣味みたいなものです。
でも東北という広いフィールドの中で、北方文化にも行き着いて。次第にシャーマニズムなどに繋がっていきました。

平野:たしかに縄文文化は北方と繋がっているだろうし、その先にはシャーマニズムなんかもあるんだろうけど、普通の考古学研究者はそんなところには立ち至らないでしょ? きっとすごくヘンな学生だったんだろうな(笑)。

安藤:かなりヘンでしたし、ズレていました(笑)。自分がやりたい考古学と、当時の学問としての考古学の間にかなり差があるという意識はありました。

平野:そうでしょうね。

安藤:だから太郎の『縄文土器論』を読んだときに、「あっ、これだ!」って思ったんです。

平野:学生時代に『縄文土器論』を?

安藤:読みました。私が最初に読んだ太郎の文章が『縄文土器論』です。

平野:あの時代に『縄文土器論』から入った? やっぱり変わってるなあ(笑)。

P1720391
安藤:しかし『縄文土器論』って、すでに人類学を基盤としていましたし、とても深いと思いました。私の大学時代は1980年代だったんですけれど、当時の考古学の世界では、いわゆる弥生と縄文の違いを……

平野:狩猟採集は野蛮で、弥生時代の定住農耕ではじめて文明を手に入れた、みたいな…。

安藤:そうです。でも太郎は、縄文は、いまでいう持続可能性な文化なんだとすでに言っている。じじつ15000年以上持続した文化だったわけです。それを50年代に言っていたのですから、驚くほかありません。

平野:狩猟採集社会は定住農耕社会に比べて野蛮で劣っていたわけじゃなくて、むしろサスティナブルで安定した社会システムを築いていたってことですね?

安藤:そうです。そのヴィジョンこそが、私が80年代に『縄文土器論』からまず学んだことなんです。先ほども言いましたが、太郎はそれを極めて早い段階で言っている。それが大きな驚きでした。

平野:でも、当時のアカデミズムは太郎を相手にしていなかったでしょ? 「太郎を読め!」なんていう先生はひとりもいなかったんじゃないかな。

安藤:私は早稲田大学の文学部出身なんですが、アカデミックな考古学とは違うフィールドでおもしろいことをやっている人たちがキャンパスのいたる所にいたんです。人類学や民俗学や、それらを芸術とミックスしようとしたり。そこで狩猟採集というシステムは野蛮や未開ではなく、人間が生きる上でじつに優れたシステムだったのではないか、という議論が行われていて。

平野:へえ、それはすごいな。

安藤:そんなふうにして、私の中にさまざまなものが重なりあってきた。私は「人類学や民俗学的なものから芸術を考え直した人」として太郎を認識しているんです。



次回は「考古学とシュルレアリスム」について。

安藤礼二②「自分たちがやっている考古学を比べて、ああ、これはダメだなって。」

P1720473
安藤礼二

1967年、東京生まれ。
文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科教授。
早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学と人類学を専攻。
出版社の編集者を経て、2002年、「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞、文芸評論家としての活動を開始する。
『神々の闘争 折口信夫論』(講談社、2004年)で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社、2008年)で大江健三郎賞、伊藤整文学賞を受賞。
他の著書として『近代論 危機の時代のアルシーヴ』(NTT出版、2008年)、『霊獣「死者の書」完結篇』(新潮社、2009年)、『場所と産霊 近代日本思想史』(講談社、2010年)、『たそがれの国』(筑摩書房、2010年)、『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』(文藝春秋、2012年)、『折口信夫の青春』(富岡多惠子との共著、2013年)、『折口信夫』(講談社、2014年)がある。

Articles

Special Feature

Channel Taro TV

Read More
:: August 1, 2018

映画『太陽の塔』トレーラー

Read More
:: March 21, 2017

《門扉》制作風景

Read More
:: November 30, 2016

《樹人》制作風景!