文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科教授で「贈与と祝祭の哲学」を担当されている安藤礼二さんとの対談です。

〈前回までは〉
安藤礼二①「ジョルジュ・バタイユを調べていくと、すぐそばに太郎がいる。」
安藤礼二②「自分たちがやっている考古学を比べて、ああ、これはダメだなって。」
安藤礼二③「『ジャンルをすべて乗り越えて一つの表現の原型を突き詰めていった人』です。
安藤礼二④「太郎も歌と踊り、お祭りの中に演劇の起源、芸術の発生があると考えていたと思うんです。」
安藤礼二⑤「自分のやっていることは客観的でもあるし主観的でもあるんだという人たちです。」

今回は「究極のモノとして太陽の塔」について。

「太陽の塔を建てることで、『原型的なものを思い出せ』と言っている。」

平野:太郎は民族学のロジックを選び、主観や情を形にするときにもそのロジックを失わなかった。そういうことなんだと思いますが、太郎はその方法をパリ時代に身につけたわけですよね?

安藤:私は、岡本太郎が真の意味で岡本太郎になったのは1950年代以降だと思います。客観的な知識と主観的な感情の双方をあわせもつことで新しい表現がつくられていく、ということを学んだのはもちろんパリ時代ですけど。

平野:つまり、方法論としては学んでいたけれど、パリ時代にはまだ実践できていなかった。それがはじめて形になったのは『縄文土器論』からだ。そういうことですね?

安藤:そうです。さらに言えば、縄文土器はたしかにモノだけど、単なるモノというだけでなく、モノが生まれる「場所」をも含んだ概念である。呪術師がつくる神像もそれが実際に生きられる場所がなければ意味を持たない。太郎はそういった場所を探っていったんだと思うんです。

平野:なるほど。

安藤:神像や仮面は普通の場所ではつくれないと考えた。祭りの中心のような場所でないと、現実に存在する有限のモノのなかに無限の力を宿すことはできない。それらが置かれる「場所」こそが重要なんだと思ったのではないか。

平野:祝祭の場ですね。

安藤:だから、なにもない場所に、三次元を四次元にひらき、現実を超現実に繋ぐようなものを建てようとした。

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平野:前回の話につないでいえば、二つの道を一つに重ねた末に、究極のモノとして太陽の塔が生まれたと。

安藤:私はそう思っています。

平野:そうだとして、けっきょく太郎は太陽の塔でなにを実現させようとしたと思われます?

安藤:太郎は『縄文土器論』に「四次元との対話」というサブタイトルをつけていますよね? 一見しただけでは太陽の塔は土器とは似ていませんが、自分が発見した縄文土器のように四次元との対話を可能にするものとして、太郎は構想していたんじゃないでしょうか。

平野:“見えないもの”や“見えない力”と対話するということですね。

安藤:太陽の塔は、地下の世界と地上の世界と天上の世界をひとつに繋げるものですよね。呪術師、シャーマンたちが魂を自分たちから旅立たせるときにイメージする生命の樹でもあります。

平野:いかにも祭りの中心にふさわしい。

安藤:まさに祝祭の理論を造形化したものです。自分がつくってきた二次元のタブローから三次元の彫刻、さらには四次元の「場所」までをも包含するモノを、理論としても実践としても自らが見出してきた祝祭の中心に建てたわけです。

平野:それまで学んできた祝祭の本来のありようを、目に見える形で提示してみせたということですね?

安藤:太郎のいう祝祭は、古層の世界から現代までを貫いている。

平野:なるほど。

安藤:太陽の塔を建てることで、「原型的なものを思い出せ」と言っている。

平野:「身体の中にある縄文の感覚を取り戻せ」と。

安藤:歴史以前の過去であるにもかかわらず、未来の歴史に直接繋がるような力を引き出す可能性を秘めたもの。じっさい縄文土器は抽象表現主義の彫刻家たちがつくっているような高次元の世界を造形化していますからね。

平野:古いから価値があるということではなくて、縄文土器はいまでも意味をもっているし、もしかしたら未来をひらく力にもなり得るということですね。

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安藤:そういうことです。人間のもつ原型的な力にして原型的な表現なんです。それを、さまざまな方法を用いて探求していったのが太郎の生涯とその芸術作品だったのではないかと思うんです。

平野:そういう意味で、多面体というより、いろいろなものをひとつに繋げていった人なんだと。

安藤:そうです。

平野:大阪万博に際して、太郎は、表現者としてなにか目立つものを残したかったのではなく、日本人に対して「縄文精神を取り戻せ」とメッセージを打ち込もうとした。ぼくはそう考えているんです。

安藤:アジアで最初の万博ですしね。ヨーロッパで生まれた万博がはじめてアジアに来る。そのときに象徴的なものとして一体なにをつくったらいいのか、太郎はとことんまで考えたと思うんです。

平野:ヨーロッパ人にとって探求の場である最果ての地に、いわばお手本を示してやったってことかな? 「これを学びに来い!」みたいなノリで(笑)。

安藤: そうだと思います。万博会場に技術の粋をつくして創り上げられた最先端のモノはすべて消滅しましたけれど、太陽の塔だけは残っている。それが真実だと思います。

平野:考えてみれば、万博に呪術的な祝祭性ってないですからね。残っているのもエッフェル塔くらいだし。万博に祝祭的なファクターを投入したのは太郎だけなんですよ。いまに至るまでね。

安藤:万国博覧会ですから、基本的には祝祭とは相反するものですよね。

平野:ヨーロッパが生んだ万博というメカニズムを祝祭であらねばならぬと考えた太郎は、自ら祝祭的な要素を投入し、西洋人に対して「お前らにとっての辺境にこそホンモノがあるんだ」っていうことを身をもって示した。そういうことかもしれないな。

安藤:大阪万博がなぜ特別なものとなったのか。それは太郎の理念があったからだと思うんです。技術だけではなく、人間にとっての原型的なものを示そうという高く強い理念が。

平野:なるほど。

安藤:ではいったい、その原型的なるものはどこにあるのか。日本人にとっては自らの内なる無意識のなかにしかなかった。それをできるだけ意識的に深め、さらには外へと表現していく。太郎がなしたことは、それに尽きると思います。



次回は最終回。
「早すぎた統合者、岡本太郎」について。

安藤礼二⑦「ジャンルを横断すると同時に、ジャンルをひとつに繋げてしまう。それが岡本太郎なんですよ。」

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安藤礼二

1967年、東京生まれ。
文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科教授。
早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学と人類学を専攻。
出版社の編集者を経て、2002年、「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞、文芸評論家としての活動を開始する。
『神々の闘争 折口信夫論』(講談社、2004年)で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社、2008年)で大江健三郎賞、伊藤整文学賞を受賞。
他の著書として『近代論 危機の時代のアルシーヴ』(NTT出版、2008年)、『霊獣「死者の書」完結篇』(新潮社、2009年)、『場所と産霊 近代日本思想史』(講談社、2010年)、『たそがれの国』(筑摩書房、2010年)、『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』(文藝春秋、2012年)、『折口信夫の青春』(富岡多惠子との共著、2013年)、『折口信夫』(講談社、2014年)がある。