文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科教授で「贈与と祝祭の哲学」を担当されている安藤礼二さんとの対談です。

〈前回までは〉
安藤礼二①「ジョルジュ・バタイユを調べていくと、すぐそばに太郎がいる。」
安藤礼二②「自分たちがやっている考古学を比べて、ああ、これはダメだなって。」
安藤礼二③「『ジャンルをすべて乗り越えて一つの表現の原型を突き詰めていった人』です。
安藤礼二④「太郎も歌と踊り、お祭りの中に演劇の起源、芸術の発生があると考えていたと思うんです。」
安藤礼二⑤「自分のやっていることは客観的でもあるし主観的でもあるんだという人たちです。」
安藤礼二⑥「太陽の塔を建てることで、『原型的なものを思い出せ』と言っている。」

最終回は「早すぎた統合者、岡本太郎」について。

「ジャンルを横断すると同時に、ジャンルをひとつに繋げてしまう。それが岡本太郎なんですよ。」

平野:大阪万博で太郎がつくったテーマ館を見ると、DNAやタンパク質など生命をつくる物質の話からはじまって、いのちの誕生、狩猟時代の闘争のドラマ、祝祭と呪術、ふきあげる生命力、みたいなシーンの連続です。さきほど言ったように、ぼくはこうした展示や太陽の塔をとおして「血の中にある縄文の精神を取り戻せ」っていうメッセージを打ち込もうとしたのではないかと考えているんです。

安藤:はい。

平野:でもそれって当時の観客にはまったく伝わらなかったと思うんですよ、悲しいくらいにね(笑)。そこはどうですか?

安藤:私もそう思います。そもそも、平野さんがいまおっしゃった太郎の思想だって、きちんと考えられるようになったのはごく最近のことでしょう? 当時は単なる記念碑、しかもとても奇妙な記念碑としか思われていなかったんじゃないでしょうか。

平野:万博随一のアイコンになったわけだから、その意味では大成功だけど、メッセージの送達という部分では完敗だった。

安藤:そうですね。

平野:どだい無理だったんですよ。高度成長のイケイケの時代に「根源」とか「いのち」とか言ったって共感されるわけがない。
でもこれからは違う。まさにそういうものこそ、これから必要になるわけだから。まあ、50年後にわかってどうするんだよって話ですけど(笑)。

安藤:(笑)

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平野:ダメだったんじゃないかってことは、たぶん太郎も気がついていたと思います。一生懸命つくったのに誰も理解していないって。

安藤:そうかもしれませんね。

平野:かなり落胆したんじゃないかと思うんですよね。直後に出した自信作『美の呪力』もぜんぜん売れなかったらしくて、ガックリきたって敏子が言ってました。

安藤:早すぎたんですよ。同時代にはブルトンの『魔術的芸術』やバタイユの『エロティシズム』などもフランスで出版されていましたが、彼らの本もまったく売れなかった(笑)。だけど、いまになってようやく彼らがなにをやろうとしていたのか、なにを実際にやったのかがわかりはじめてきました。最近になってバタイユは単なる思想家ではなく、さまざまな分野の総合者だとわかってきた。あれ? それなら日本にも一人いるじゃないか。それこそ岡本太郎なんだ、と。

平野:安藤さんにはそういうことを若い人たちにどんどん言ってほしいな。

安藤:幸いなことに作品も残っていますし、資料も残っていますので、これからだと思います。

平野:それにしてもいまみたいな話は誰も言ってないですからね。繰り返しになるけれど、多くの理解は「多面体」ですから。

安藤:本当は総合者だと思います。

平野:今日話を聞いてよくわかりました。

安藤:ジャンルを横断すると同時に、ジャンルをひとつに繋げてしまう。それが芸術のもつ力であり、岡本太郎なんですよ。

平野:うん。

安藤:太郎が最も関心をもっていたであろう人類学や民族学に、私もまた大いに関心があります。太郎はマルセル・モースのもとに通って民族学を学んでいますよね。

平野:はい。

安藤:絵の筆を折ってまで通いつづけるというのは、よほどの興味と関心がなければ無理だと思うんです。幸いなことに、私自身も同じような領域に昔から興味と関心がありましたので、太郎がやりたかったことが、なんとなくイメージできる…

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平野:このあいだフランス哲学の西谷修さんに話を聞く機会があったんだけど、バタイユについて語る西谷さんの話が、まるで太郎本人が自分のことを喋っているんじゃないかっていうくらい臨場感があって、ぶっ飛んだんです。

安藤:(笑)

平野:考古学の小林達雄さんに、縄文人はなんの役にも立たない太い柱を立てるんだよ、っていう話を聞いたときも…

安藤:なにかを呼び寄せる中心みたいなものですね。それこそまさに太陽の塔ですよ。

平野:バタイユと縄文。レイヤーはまったく別なのに、ともに太郎だったわけ。今日安藤さんの話を聞いて、太郎を考えるぼくたち自身も、それらをひとつにつないで見なければダメなんだってことがよくわかりました。

安藤:岡本太郎は何者なのか? 私にとっての太郎は「祝祭の理論家であると同時に祝祭の実践者」でしょうか。すごくロジカルなのに、すごくプラクティカル。理論と実践、この二つがひとつに合わさった人だと思います。

平野:おもしろかった。ありがとうございました。

安藤:こちらこそ、楽しかったです。今日はありがとうございました。



次回は最終回。
「早すぎた統合者、岡本太郎」について。

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安藤礼二

1967年、東京生まれ。
文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科教授。
早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学と人類学を専攻。
出版社の編集者を経て、2002年、「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞、文芸評論家としての活動を開始する。
『神々の闘争 折口信夫論』(講談社、2004年)で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社、2008年)で大江健三郎賞、伊藤整文学賞を受賞。
他の著書として『近代論 危機の時代のアルシーヴ』(NTT出版、2008年)、『霊獣「死者の書」完結篇』(新潮社、2009年)、『場所と産霊 近代日本思想史』(講談社、2010年)、『たそがれの国』(筑摩書房、2010年)、『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』(文藝春秋、2012年)、『折口信夫の青春』(富岡多惠子との共著、2013年)、『折口信夫』(講談社、2014年)がある。