テレビの「ガキ大将」という番組に出てくれとたのまれた。どうやら私はガキ大将に見えるらしい。

だが実はまったく違う。私はむしろ、いつもガキ大将相手に、たった一人で戦ったんだ、と答えた。

子供の時から、権威づらの圧迫には決して服従しないタチだった。――今でも、三ツ子の魂百までだが――。子供同士はもちろん、先生とも対決した。ゴマ化しには絶対にうんと言えない。そのために小学校一年のとき、わが家のまわりだけで四つも学校をかわったほどである。

そんな話をしたらプロデューサーが
「じゃ、一匹オオカミだったんですね」という。

冗談いっちゃいけない。そんな陰気なものじゃない。一人ぼっちのガキ大将である。子分は一人もいない。だがガキ大将よりふくらんで、そして血だらけになっていた。

「それはいい。そういうのは変わってて面白いです。是非出て下さい」ということでついにひっぱり出されたが。

ある人はよく私のことを「教祖」だという。行動に断言的なところがあるからだろう。しかしここでも、信者は一人もいない教祖だ、と私は答える。信者なんて不潔だ。また親分子分の人間関係のお互いにごまかしあい、利用しあういやったらしさ。

人間がこの世に生まれ出たとき、あのたった一人ぼっちでとび出して来て、ケンランと輝く世界にぶつかったときの、あの孤独でありながら、みちみちた、……あれこそ子分のいないガキ大将、信者をもたない教祖の生きがいであり、誇りである。人間はみんなそうであるべきだと思う。

しかし、妥協、屈辱の結果、欲求不満、いらだち、告発が群がりおこる。そして社会のモラルがすりへった布袋みたいにピリピリ裂け破れ始めているのが、近ごろのゲバ棒をはじめ卒業式騒動その他だ。私が子供心に、孤独のなかに抵抗していた虚偽、それへの憤懣(ふんまん)が、今になって、あらわに社会現象になっていると思う。