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Okamoto Taro Column ⑬ " Machine and Japanese "

岡本太郎コラム⑬東風西風「機械と日本人」

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先日、あるプラジルの前衛画家が世界を回ったあと日本に数か月暮らして、私にこんな日本印象記をもらしていた。

――この国での驚きは、みんなが実に器用に機械をこなし、使っているということだ。ブラジルなどまったく伝統のない新天地で、近代化に対する抵抗はないはずなのだが、それでも人間と機械はまだうまくなずんでいない。世界中、どこへ行っても機械と人間の矛盾、相克を見る。ヨーロッパでも、アメリカでも。ところが日本だけはそういうものを感じさせない。これだけ自然と、豊かな伝統があり、そこへ急激な機械化を果たしていながら、その間に矛盾・抵抗がないとは驚くべきことだ。日本人というのは、なんて不思議な人種なんだろう……。

こういう感想はよくヨーロッパの人間からも聞くことがある。たしかに、機械にスムーズに順応し、抵抗を感じていないように見えることは事実だろう。

日本人は矛盾に対して許容性がある。というよりもそれは不協和・異質にたえられない性格だからだともいえよう。自分の方から合わせて、相手を受け入れてしまう。とことんまで懐疑的になったり、突っぱねるということをしない。それが内面にふみ込めない異国の人間から見ると、矛盾への恐怖、絶望感がないオプティミストのように見えるのだ。

二、三日前の読売・編集手帳に、英国のジャーナリストが日本人を評した言葉が紹介されていた。「きちんとした服装で目じりの上がった守銭奴が、純金の富士山にすわっている」というのである。思わず笑ってしまった。われわれ自身の感じる日本人像は、もっと無邪気で、小心者なのだが。

矛盾を感じないで機械を使いこなしてゆく、一種のよろこびのような雰囲気(ふんいき)は、無邪気さのあらわれだと私は思う。しかし一面では逆に機械に使われているのだという、人間的矛盾のモメントも自覚しないと、いつかは大きな重荷を背負うことになるだろう。

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