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Okamoto Taro Column ⑮ " Fulfillment of color "

岡本太郎コラム⑮東風西風「色彩の充実感」

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レジャープーム。近ごろの人出は有史以来だという。

先だっての連休の日に、高い所から銀座通りをながめおろした。街(まち)いっぱいの人の群れにあらためて驚いた。さらに目を見はったのはあざやかな色彩のはんらんである。赤・青・黄、キラキラするほど原色が入りまじっている。東京、いや日本もずいぶん変わったものだと思う。

昔だったら「黒山のような人だかり」とか「群衆が黒々とうごめく」などというのが形容だ。まことにズバリそのものの、黒っぽい衣服の集合だったのだが。

街自体も、今は原色にあふれている。こんなににぎやかに色彩の入りまじった都市は世界でも珍しい。とりわけ東京の夜の盛り場のはなやぎは、猛烈だ。ネオンやさまざまのイルミネーション、あらゆるいろどりがウズを巻いている。外国から来た人は、まず何よりもナイト・トーキョーの光の海に驚嘆する。そして一種の解放感すら覚えるらしい。

しかし考えてみれば、この様相はつい数年来の現象だ。性急で、異様ともいえるこの変貌(へんぽう)こそ、現代日本の成長ぶりなのだろうが。まことに、かつての日本人の生活は、しぶく、まるで色がなかった。戦後、私はこの陰気な惰性、環境と対決し、シャニムニ「ノン!」と、原色の作品を描いた。私の発言も原色であった。そのころ、画壇はもとよりインテリ層一般から、一種の嫌悪(けんお)感と侮蔑(ぶべつ)で報いられた。気違いよばわりされたものだ。

くすんでしぶいのが高級で上品だと思い込み、原色は女子供の色とむしろバカにする伝統。実はそれは徳川中期以降の、日本の政治、経済の諸条件にしめつけられ下降した偏向である。私は、逆に日本人は本来、あざやかな色のよろこびの中に生きる民族であると機会あるごとに発言してきた。

近ごろの、解放感とともにひらいてくる色。しかし、まだ何か浮いている。ケンランと充実したい。もうチョイトだ、と大変期待している。

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