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Okamoto Taro Column ⑱ " Dreams and reality "

岡本太郎コラム⑱東風西風「夢と現実」

1969-58歳 青山アトリエ庭にて

日本人の誇りの一つの伝統として「男らしい男」というのがある。正義のためにたたかい、強きをくじき、弱きをたすける。

ところが見わたすと現実はまるで逆だ。ほとんどが強きにおもねり、弱きに冷酷なのだ。弱いところにはピシピシと当たって容赦ないが、力のある相手だと横車でも頭を下げて通してしまう。その方がむしろ格好がつくようにさえ思われているありさま。

映画やテレビのドラマなどには、まことにサッソーたる男性が入れかわりたちかわり出てくる。不明朗な権力、悪の集団とたった一人で対決し、バッタバッタとなぎ倒す。いささか悲劇的ではあるが、あんな男性がいたらなあ、ととりわけ女性は眩惑(げんわく)的にそんな男性像に見入るのだろう。そして、さて自分の周囲を見わたすと、現実がいかに遠いか。

つまり現実にあまりにもそれがないから、ドラマで、架空のイメージで補うということになるのだろう。そういうメカニズムは世界中どこも同じだ。よくフランス映画にはすばらしい男性が女のために命をなげうつという筋書きがある。日本のように正義のためなどではなくて、恋のため、女のためなのだ。ところで私はながい間フランスに住んだが、フランスの男は意外にもちゃっかりしていて、女のためにわが身をいためるなどということはあまり考えられない。むしろ女性の方が男に賭(か)ける、身を滅ぼしたりする例を見聞きするのである。

アメリカ映画には逆に高慢チキな女がガツンと男にやられたり、身を捨てて男について行くというような設定がよく出てくるが、これも現実にはないシーンである。

皮肉なものだ。

現実にないものを夢みるということは人間的であり、文化も芸術もその架空の構築から発展したのだといえないことはない。だがナマ身にかけず、無責任なイメージやムードで自分をごまかしてしまうとすれば、やはりむなしい。

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