Repos

Special course report ①

「芸術と社会の接点―岡本太郎のパブリックアート」特別講座レポート①

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2019年3月9日(土) 19:00~ に岡本太郎記念館で行われた川崎市岡本太郎美術館学芸員であり、岡本太郎記念館の客員研究員である大杉浩司さんによる特別講座のレポートをお届けします。

――本日はようこそお越しくださいました。本日の講師は川崎市岡本太郎美術館学芸員であり、岡本太郎記念館の客員研究員である大杉浩司さんです。お願いいたします。

大杉:こんにちは。今日はありがとうございます。岡本太郎美術館の大杉と申します。実は今回の展覧会というのは去年の夏に岡本太郎美術館でパブリックアートの展覧会を開催したのですが、館長の平野さんの方から「記念館でもやろうよ」といっていただきました。

大杉:岡本太郎のパブリックアートは国内だけでも数えたら70ヶ所、140作品もの作品を作っています。この作品を総て調査するには1年で7ヶ所に回っても10年はかかります。実際はもっとかかったのですが。一度調査した作品もその後いつの間にか壊されているとか、移設させられているとか。日々、岡本太郎パブリックアートは動いているのです。だからいつもアンテナを張ってチェックしなければならない。

大杉:岡本敏子さんがまだお元気なころ「敏子さん、僕は全国に点在する作品を調査しようと思います」と言ったら一番喜んでくれたのが敏子さんで「調べてみようなんて思うのはあなたしかいないわよ!」と背中を押してくれて今日に至ります。

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大杉:4年前に基本的な調査が終わって、去年、その成果としてこれを美術館で展覧会にしたわけです。また、パブリックアートという言葉ですが、1960年代からアメリカとかフランスで使われ始めた名称で、日本で使われ始めたのは1990年代からです。それまではこういった作品は野外彫刻などの名称で呼ばれていました。1950年代からこうした作品を制作していた岡本太郎は自分の作品をパブリックアートと呼んだことはないのですが、今では駅や公園など公共の空間、そういうところに設置する作品という意味でポピュラーに使われている言葉として、今回は岡本太郎のパブリックアートという言葉をタイトルに使わせていただきました。

大杉:岡本太郎さんは最初に画家としてスタートした訳ですが、文筆家でもあり評論家でもあり、建築や写真、彫刻、デザインと、オールマイティーにいろんな芸術表現を行った人です。中でも、僕はパブリックアートという表現のスタイルは芸術家・岡本太郎が行き着いた最高の表現手法ではないかと思うのです。というのも、岡本太郎が他の芸術家と違うなという点は、芸術というものを特別なものとせず、それを一般大衆のものにしたかったかというところです。例えばキリンのシーグラムの「ロバートブラウン」というウイスキーについていた≪顔のグラス≫は、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」というキャッチコピーで有名ですが、あのグラスはウイスキーを買うとおまけでついてきたものです。当時、太郎の周りにいた人は、「そんな岡本太郎を安く売るようなことをしたら価値が下がる」と止めたらしいですね。けれども岡本太郎にしてみれば優れた芸術作品であればそれがみんなの家にあって、毎晩それにお酒をついで飲んでくれるなんてこんな素敵なことはないじゃないかと言うのです。これも、岡本太郎が芸術というものを生活の中で生かせたいという思いの一例ですが、いつでも、誰でも、只で見ることのできる芸術と言う意味では、このパブリックアートという表現スタイルは岡本太郎にとって最高の表現手段だったと思うのです。

大杉:今日は時間軸で岡本太郎がどういう過程でパブリックアートを作り出したのかというのを見ていきたいと思います。また、失われたパブリック作品も多いのですが、渋谷駅のコンコースにある《明日の神話》など、一度は失われたかのような作品が今、再生されているのです。日本人は新しい物好きですから、亡くなった作家の作品をもう一度甦らせるというのは美術の世界では珍しいことなのです。次には、そういうお話もしていきたいと思います。

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2.群像
 

大杉:さて、これは《群像》という作品です。岡本太郎のアトリエは今ここ南青山にありますけれども、1954年にここに住み始めました。岡本太郎がボロ切れのようになって戦争から帰ってきて最初に住まい兼アトリエを構えたのは東京・世田谷区の上野毛です。そのアトリエで戦後、果敢な芸術活動をはじめるのですが、昔のことでそのアトリエにはお風呂がありませんでした。そこで岡本太郎は自分の家にお風呂を作るために現・LIXIL、旧・INAXの前身の伊奈製陶に頼むんですね。そこの東京支店長さんという人が来まして、「太郎さんうちはね。モザイクタイルというのを商品として開発したのです。非常に綺麗なモザイクの色が何種類もあるので、これを使って太郎さんの作品をモザイクで作りませんか」と。それを聞いた太郎さんは「ああ、面白いな」と、油彩画の≪群像≫を支社長に渡します。支社長はそれを常滑の伊奈製陶に持ち帰りモザイクタイルによる作品にしたのがこの作品です。このモザイク作品を見た岡本太郎は、「これはいいな!」と。岡本太郎が考えていたのは芸術の大衆化。つまりこれからの美術作品というのはオリジナル作品だけに価値を持つのではなく、テレビとかラジオとか映画みたいに複製されることにより沢山の人が作品を共有できることが必要だと考えていましたから、タイルで作られた絵画作品なら縦横に番号を振っていてここに何番の色のタイルを貼ることを指定しておけば、岡本太郎自身が作らなくても描いたのと同じものが何枚でも複製できるわけです。そこでいよいよ次は岡本太郎自身が伊奈製陶に出向いて、タイルを貼って作ったのがこの《太陽の神話》です。

4.太陽の神話
大杉:これが最初の岡本太郎作のモザイク画となります。この作品は大和証券の本社ビルというところのロビーにありますから、もしお時間あれば見に行ってみてください。自由に入れますから。

3.「太陽の神話」製作中
大杉:今僕はモザイク画と言いましたが、これはまだ壁画ではないですね。壁画を定義することは難しいのですが、僕は基本的に壁画というのは、例えば固有な空間の壁面に恒久的に描いたもの、この空間だからこそこういう絵画表現をしたというサイトスペシフィク(場に固有)な表現作品を指して壁画と呼ぶとします。その意味で≪太陽の神話≫は、油絵の具がモザイクタイルに代わっただけで、壁画とは呼べない。岡本太郎自身もモザイク画とかタイル画と呼んでいます。岡本太郎は自身で手掛けたモザイク画≪太陽の神話≫を第4回の日本アンデパンダン展に出品しています。

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