Talks

Toshiro Inaba Talks ⑤ " Avant Garde Medicine "

稲葉俊郎対談⑤「アヴァンギャルド医療」

P1850381

東京大学医学部付属病院循環器内科助教で心臓カテーテル治療、先天性心疾患、在宅医療、山岳医療が専門の稲葉俊郎さんとの対談です。
第5回目は「自分のルーツ」

〈前回までは〉
①「ぼくは『動いている生命』に魅力やロマンを感じました。」
②「宇宙の銀河の形も、植物の形も、竜巻も・・・螺旋ですよね。」
③「心の自然に反すると、バランスが崩れて病として表に顔を出す。」
④「共通体験として、やはり川を境界線として語る人は多いですね。」


「当時のぼくに関心は、自分とは一体何者なのか、なんのために生まれてきたのか、」


平野:ところで、稲葉さんはどんなふうに育ち、どういう経緯で医者になったんですか?

稲葉 :じつはぼく、2歳くらいのときにほぼ死んで生き返っているんです。

平野:え!?

稲葉 :ひどい病気だったみたいです。身体がめちゃくちゃ弱くて、口のなかの粘膜がただれて、ほぼ寝たきりで。最終的には身体の内臓も含めて粘膜が全部ただれていたようです。

平野:ご飯は食べられたんですか?

稲葉 :いえ。食道もただれていたので口からはとれません。免疫力が弱かったのか、感染症が何重にもかかっていたらしくて。鼻から胃に管を入れて栄養を注入される日々。それがぼくの原体験、原風景のひとつです。

平野:記憶に残っているのは、たとえばどんなこと?

稲葉 :天井ですね。天井の模様を迷路に見立てて、ずっと視線を追ってひとり遊んでいましたね。もっとも、当時死にかけていたことは、その後すっかり忘れていたんですけど。

P1850488
平野:それを思い出す出来事がなにかあったんですか?

稲葉 :高校生のとき、進路をいろいろ言われますよね。先生から「どの大学に行きたいんだ」って言われて。それにすごく違和感があって。

平野:なんで?

稲葉 :当時のぼくに関心は、自分とは一体何者なのか、なんのために生まれてきたのか、なにをやって人生をまっとうすればいいのか、ということをずっとずっと悩んでいたんです。それに対して、先生はいい大学に行くことが人生の目標みたいな言い方をするので……

平野:ああ、なるほど。

稲葉 :先生の提示する解答と、ぼくが向きあっている問いとがあまりにかけ離れていて、その落差に茫然としていたんですよね。

平野:高校の頃、ぼくの周りに「なんのために生きているのか」なんて悩むヤツ、ひとりもいなかったな。頭のなかには、ロックとクルマと女の子しか入ってなかったし。

稲葉 :(笑) でもほんとうにそれしか興味がなかったんですよ。学校に行ったらそういうことを教えてくれる、もしくはそういうことを共に考える場だと思っていただけに……

平野:ああ、それじゃ絶望したでしょう。

稲葉 :絶望も何も、なんでこんなに関心がずれているのか、違和感だらけでした。学校は、生きる意味や人生の目標をみんなで共有して深めていく場だと勝手に思ってましたから。

平野:それはムリだ(笑)。

稲葉 :我慢して椅子に座っていても、全然自分が抱える関心に深まっていかないわけですよ。いつだろうか、いつだろうか、と。小学校じゃなければ中学校だろうか、中学じゃなければ高校だろうか、と。たとえば算数では足し算や引き算、数学でも二次方程式や微分積分、・・いろいろなことを学びますけど、そもそもなぜ今というかけがえのない時間にこのことを学ぶ必要があるのか、っていうことを1年くらいかけてみんなで話しあって、ある程度納得してから先に進んで行くべきだ、なんて一人悶々としながら椅子に座っていましたね。授業を受けたというより、椅子に座っていたんです。

平野:うわー、面倒くさいヤツだなー(笑)。

稲葉 :だからみんなと話があわなくて。なんでこんなに関心がずれているのか、自分がずれているのか周りがずれているのか、まるで分かりませんでした。

平野:同級生がバカに見えたでしょ?

稲葉 :いや、バカだとか思う余裕はなくて、むしろ、なぜみんなこんなに笑顔で無邪気で楽しそうに過ごせているんだ、と、羨ましかったですよ。

平野:楽しいほうがいいじゃない!(笑) まあでも、稲葉少年にはつらかったんだろうな。

稲葉 :それなのに、先生は「どこの大学に行くの?」とか「何学部を受けるの?」みたいな話ばかり。ぜんぜん話が嚙みあわないわけです。

平野:そうだろうね。

P1850508
稲葉 :もうひとつ、ぼくは音楽や映画や美術、芸術全般が好きだったんですけど、そのことと仕事や職業という人生設計のイメージがまったく結びつかないことにも、ひとり苦しんでいました。

平野:ふつうに考えれば、絵を描くのが好きなら美大に行けば? って話になるものね。

稲葉 :そうみたいですね。でも、そういうことじゃないんですよ。だから「美大はどうだ」って言われても、どうして話が通じないんだろう?っていう不信感ばかりが大きくなって。ぼくは「何の仕事につくか」という名詞に収まるものではなくて、「どうやって生きていくのか」という動詞のようなことを求めていたので、あらゆることでずっとつまずいていました。自分に嘘がつけなかったですね。

平野:そのときはまだ医者になろうとは考えていなかった?

稲葉 :はい。でも高校3年生になり、みんなが受験モード一色になり、いよいよ進路を選ばないといけないムードが高まって切羽詰まってきました。もうこうなったら自分のルーツを探るしかないと。

平野:なるほど。

稲葉 :自分の記憶をさかのぼるしか道はないと、腹をくくったんですね。1日前、1か月前、1年前、10年前……みかんの皮を丁寧に剥くように思い出し続けていたとき、2歳のときに七転八倒していた記憶が鮮明に蘇ってきました。

平野:死にかけた記憶だ。

稲葉 :ぼくのルーツはそこにあるんだ、と。横尾忠則さんの《Y字路》じゃないですが、「生」と「死」の分かれ道がY字路になっていて、あのときに自分は生の道へと自分で選んだと思ったんです。

平野:うん。

稲葉 :Y字路の手前では、生と死は同じ道で一体だった。塀の上を歩いていて、どちらにでも落っこちる可能性は50:50の綱引きだったんです。でも、自分は生きた。今も生きている。そのことを思い出したときに、ぼくはこの体験を核にして生きていかないといけないと、全身の細胞で腑に落ちたんです。人生のY字路の風景を自分は大切にしなければいけない、と。過去の自分のようにY字路にいる人を助ける仕事をしたいと思って、医者になったんです。

平野:稲葉さんはたまたま頭が良かったから、こうして立派な医師になれたけど、はっきり言って問題児と紙一重ですよね。

稲葉 :いや、もう完全にドロップアウトしていました。一日中ずっと虫とか雲を観察して満足している人間でしたから。

平野:(笑)。

P1850692
稲葉 :自分が生き残ったのは、もちろんいろんな人が助けてくれたこともあります。でもそれだけではなくて、生きようとする力が死の力をすこしだけ上回ったからだとも思うんです。

平野:それがポイントですね。生と死をわけるのは、生きようとする意思だと。

稲葉 :ぼくは境界にいた。生の道へと勇気を出して一歩足を踏み入れた。だからこそ今こうして生きていますけど、「まあどっちでもいいかな」と、無責任に放棄していたら……

平野:向こうに行っちゃったかもしれない。

稲葉 :人間って、きっとほんのちょっとしたことで、背中をドンと押されると死んでしまったり、逆にグイっと引き寄せられて光を取り戻して生き続けたりする。

平野:後者が稲葉さんの仕事だ。

稲葉 :そうです。ぼくがこちら側へ来たように、こちら側に来たいと思っている人たちに足を踏み出す勇気を引きだしたい。それがぼく個人の医療の原点です。

平野:よくわかります。

稲葉 :西洋医学では科学技術が発達して、自分もかなり複雑で難解なこともたくさんしています。ただ、本当にしたいことは「こっちだよ」ってことだけなんですね。とってもシンプルなことなんです。



次回は「妥協なきプロフェッショナル」

⑥「できるのが基本で、むしろできなかったときの落胆のほうがはるかに大きいです。」

P1850369
P1850468
稲葉俊郎(いなば・としろう)

医師、東京大学医学部付属病院循環器内科助教。医学博士。1979年熊本生まれ。
心臓カテーテル治療、先天性心疾患が専門。在宅医療や山岳医療にも従事。
西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。
2011年の東日本大震災をきっかけに、新しい社会の創発のためにあらゆる分野との対話を始める。
単著『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)など。
HP:https://www.toshiroinaba.com/

Articles

Special Feature

Channel Taro TV

Read More
:: August 1, 2018

映画『太陽の塔』トレーラー

Read More
:: March 21, 2017

《門扉》制作風景

Read More
:: November 30, 2016

《樹人》制作風景!