他に類を見ない、オリジナリティあふれるコントを生み出す、お笑いコンビ・野性爆弾のくっきーさんとの対談です。
第6回目は「くーちゃんの貫いたこと」
〈前回までは〉
①「最初はお笑い芸人の一部としてやっていた感じなんですわ。」
②「やりたいことをやって生きてきただけで……すんません!」
③「下描きはしますけど。でもそれもマジックとかで描きます。」
④「なんか……デカいですね。自分がすごくちっぽけに思えて。どうしよー!(笑)」
⑤「いままでだれも知らなかったものをつくりたいっていうのはありますね。」
「お客さんに合わせることがダセェことやと思い込んじゃってて。」
平野:さっき言ったように、太郎は絵を売らなかった。つまり彼のなかにはマーケティングという発想がなかったわけです。どうすれば喜んでもらえるかとか、どうすれば売れるかとか、そういう概念がいっさいない。
くっきー :すごいなあ。
平野:彼はそれでよかったけど、芸であれアートであれ、見てくれる人がいてはじめて成り立つわけだから、普通は「お客さん」の存在を意識します。
くっきー :ですよね。
平野:それを頭から否定するなら、ひとりで山に庵を結んで、仙人になればいいって話になっちゃう。
くっきー :はい。
平野:受け入れて欲しいとか、なんなら売れたいとか、そう考えるのは悪いことじゃないし、だれもがもっている当たり前の感情です。仮にそれを〝マーケティング的思考〟と呼ぶなら、一方にはそれとはまったく関係なく「オレはこれを描きたい!」っていう、いわば〝パーソナルな欲望〟がある。だれもがその両方をもっているわけですね。
くっきー :はい。
平野:くーちゃんは、どうやってふたつの折り合いをつけているんです?
くっきー :芸で言えば、マーケティングそっちのけで、100%欲望に……
平野:(爆笑) それでよく売れたなあ。
くっきー :だから歓喜なんですわ。お客さんのこと考えんと、やりたいネタしかやってなかったから。
平野:だけどそれって、ものすごく不安だったでしょう? 孤独だっただろうし。
くっきー :でも仲間たちが「いや、すごいな、おまえ、すごいな」って言うてくれるから、なんとか自我を保てたっていうのはあります。
平野:ああ、それは大きかっただろうな。
くっきー :そうなんです。それで15〜16年潜伏していたんで、ずっと。売れんまま。
平野:よく耐えたね。でも売れたいまは、「もうちょっとこうすれば、もっと売れるかも」みたいな誘惑に駆られるでしょ?
くっきー :駆られますけど、なんかこう、オスとしてっていうか……いや、ぼくとして、お客さんに合わせることがダセェことやと思い込んじゃってて。
平野:そこは歯を食いしばって貫いてたんだね。
くっきー :貫きました。だからお金には走れなかった。まあ、いまとなってはそれが良かったのかもしれませんけど。
平野:「仲間が褒めてくれたから、なんとか自我を保てた」っていう話は、すごくよくわかる。たぶんね、太郎もそうだったんですよ。本人はそんなこと一言も言ってないけど。
くっきー :おおお!
平野:もっとも太郎の場合は、仲間じゃなくて敏子ですけどね。
くっきー :ああ。
平野:公私にわたって太郎と敏子は一緒だった。太郎がなにをするときも、うしろには必ず敏子がいたんです。彼女はいつも太郎を見ていて、そして喜んだ。
くっきー :喜んだ?
平野:そう。「先生、素敵! 次はなにを見せてくださるの?」って。キャッキャ言いながら、飛びあがって喜ぶんですよ。褒めるんじゃない。お世辞も言わない。ただひたすら喜ぶんです。
くっきー :おお〜っ! 素敵ですなぁ。
平野:さっきのくーちゃんの話と一緒で、太郎が孤独や不安に耐えられたのは、それが大きかったんじゃないかと思います。
くっきー :さとみとぜんぜんちゃいますね。
平野:さとみって、だれ?(笑)
くっきー :うちの嫁です。さとみはぜんぜんちゃいますよ。ガン無視ですから(笑)。
平野:(笑) でもその代わりに仲間がいた。その仲間たちがいなかったら、もしかしたら潰れてたかもしれないよ。
くっきー :ホンマそうですね。ツレもおらん、さとみも無視やったら、きっといまごろ終わってましたわ(笑)。
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次回は「くーちゃんのフィールド」

くっきー
1976年3月12日生まれ。滋賀県出身。本名・川島邦裕。
幼稚園からの幼馴染だったロッシー(本名・城野克弥)と94年に「野性爆弾」を結成。NSC大阪校13期生。
若手時代から独特の世界観で注目され、MBSテレビ「オールザッツ漫才」などで注目を集める。
2008年に拠点を大阪から東京に移し、白塗りした顔で表現するモノマネ芸などが浸透し、2018年上半期ブレイク芸人NO.1となる。

絵画や映像、