他に類を見ない、オリジナリティあふれるコントを生み出す、お笑いコンビ・野性爆弾のくっきーさんとの対談です。
第7回目は「くーちゃんのフィールド」
〈前回までは〉
①「最初はお笑い芸人の一部としてやっていた感じなんですわ。」
②「やりたいことをやって生きてきただけで……すんません!」
③「下描きはしますけど。でもそれもマジックとかで描きます。」
④「なんか……デカいですね。自分がすごくちっぽけに思えて。どうしよー!(笑)」
⑤「いままでだれも知らなかったものをつくりたいっていうのはありますね。」
⑥「お客さんに合わせることがダセェことやと思い込んじゃってて。」
「でも飽き性なんで、また次にやりたいものが出てくると思うんですよね。」
平野:先ほどの話に戻るけど、欲望とマーケティングのバランスでいうと、アートのほうはどんな感じ?
くっきー :こっちも完全に欲望です。でもこのあいだ「Artexpo New York(アートエキスポ ニューヨーク)」っていうところに行かせてもらって……
平野:YouTube で見ましたよ。すごく売れたんでしょ?
くっきー :絵って、描いていると愛着が湧いてくるじゃないですか。売りたくなくなるっていうか……。
平野:ああ、それはわかるな。
くっきー :渡すんやったら、好きなやつにあげたいっていう……。だからニューヨークではそうじゃない絵を描いて……
平野:なんだ、それ!(爆笑) 大きな声じゃ言えないじゃない!
くっきー :いえいえ、けっして手を抜いたわけじゃないんです(笑)。ちゃんと全力で描いたんですよ。ただ、描いているときに極力愛着をもたんようにと思いながらね。それでもけっきょく愛着湧いちゃうんですけどね。
平野:ニューヨークではすごい金額で作品が売れたんでしょう? 1回そういう経験をしちゃうと、「お、次もまたこれで行くか」って気にならない?
くっきー :まぁそら行けるんやったら行きたいですけど、でも飽き性なんで、また次にやりたいものが出てくると思うんですよね。
平野:ああ、そうかもしれないね。くーちゃんはいま、平面、レリーフ、立体、パフォーマンスと、いくつかのフィールドで作品をつくっているけど、チャンスがあったら、とにかくありとあらゆることに挑戦すべきだと思うな。たぶんなにをやってもおもしろいと思うはず。
くっきー :お!
平野:たとえば、書をやって、焼き物をやって、舞台美術をやって、写真を撮って……みたいにね。
くっきー :いいですねー。
平野:くーちゃんみたいな人は、世界が広がっていけばいくほどアーティストとしての強度が増していくような気がするんですよ。
くっきー :太郎先生もそうでしたよね。意識的にいろんなジャンルに取り組んでいったんでしょう?
平野:いえ、けっして戦略的に表現媒体を増やしていったわけじゃないんです。モザイク壁画のタイルをチェックに行った製陶工場で、たまたま陶土で遊んでいるうちに最初の立体作品ができちゃったり、たまたま名古屋の寺の住職に鐘をつくって欲しいと頼まれたりね。計算ではなく、そういう偶然から広がっていったって感じで。
くっきー :あー、そうなんや。
平野:太郎にとって、表現媒体はいわばキャリヤー(搬送台車)のようなもの。いろんな種類の台車をもっていて、自分のなかにイメージが湧いたときに、どの台車にのせて社会に送り出すかを選んでいたんじゃないかな。
くっきー :うんうん。
平野:もちろん「100%の絵描きです」っていうのも素晴らしいんですよ。でも、くーちゃんのようなアーティストは、台車をいっぱいもっていたほうがいいような気がする。まわりも楽しいしね。次はなにが来るのかな?って。
くっきー :ぼくは100%絵描きじゃないですからね。ぜんぜんちゃいますね。それにぼく陶芸もやっていた時期があるんですよ。
平野:そうなの?
くっきー :大阪時代に。下積みで暇だったんで、先輩らとやっていましたけど、楽しかったですね。やっぱりね、つくって残すっていうのは、いいですね。
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次回は「くーちゃんの好きなアーティスト」

くっきー
1976年3月12日生まれ。滋賀県出身。本名・川島邦裕。
幼稚園からの幼馴染だったロッシー(本名・城野克弥)と94年に「野性爆弾」を結成。NSC大阪校13期生。
若手時代から独特の世界観で注目され、MBSテレビ「オールザッツ漫才」などで注目を集める。
2008年に拠点を大阪から東京に移し、白塗りした顔で表現するモノマネ芸などが浸透し、2018年上半期ブレイク芸人NO.1となる。

絵画や映像、