他に類を見ない、オリジナリティあふれるコントを生み出す、お笑いコンビ・野性爆弾のくっきーさんとの対談です。
第8回目は「くーちゃんの好きなアーティスト」
〈前回までは〉
①「最初はお笑い芸人の一部としてやっていた感じなんですわ。」
②「やりたいことをやって生きてきただけで……すんません!」
③「下描きはしますけど。でもそれもマジックとかで描きます。」
④「なんか……デカいですね。自分がすごくちっぽけに思えて。どうしよー!(笑)」
⑤「いままでだれも知らなかったものをつくりたいっていうのはありますね。」
⑥「お客さんに合わせることがダセェことやと思い込んじゃってて。」
⑦「でも飽き性なんで、また次にやりたいものが出てくると思うんですよね。」
「習ったら、要らない脳みそや筋肉がついちゃうんじゃないですかね。」
平野:くーちゃんの作品群を見ていると、表現は多様だけれど、一貫した美意識、世界観が通底しているように感じるんですよね。世間ではそれを「個性」と呼ぶわけだけど、いわゆる個性みたいなことについてはどう考えてます?
くっきー :うーん、あんまり考えたことないですね。そういうのって、絵を描いているうちに滲み出るものじゃないですかね、わかんないですけど。
平野:オレの個性はこう受け止められているから、ここはそれに沿ってやっておこう、みたいなことはまったく考えない?
くっきー :あー、そういうのは考えたことないです。
平野:じつはね、一級のクリエイターと話をすると、みんなそう言うんですよ。
くっきー :よかったー(笑)。
平野:「個性なんて考えたことはないし、考える必要もない。ほっといたって出ちゃうものだから。個性って、出すものじゃなくて、出ちゃうものでしょ?」って。
くっきー :そうですよね。
平野:でも若い子はそれで悩んでいるわけ。美大の先生はじめ、周りの大人たちから「個性を磨け!」って言われつづけているからね。
くっきー :そもそも絵を習うって、よくわからないですよね。
平野:太郎のところにも、弟子にして欲しいっていう若者が山ほど来たらしいんですよ。
くっきー :そりゃそうでしょう。
平野:でもね、太郎は終生弟子を取らなかった。「芸術は本質的に、けっして教わることはできない。弟子になろうなんてやつは、それだけで芸術家失格だ」ってね。
くっきー :まったくおなじ意見ですわ。習ったら、要らない脳みそや筋肉がついちゃうんじゃないですかね。まあ上手にはなるんでしょうけど。
平野:くーちゃんは、いま世界のアートシーンがどうなっているとか、だれがどんなふうに活躍しているとかっていうことに興味あります?
くっきー :まったくないです。マジでわかんないし(笑)。
平野:(笑) 調べたりもしない?
くっきー :ぜんぜんしないです。
平野:やっぱりそうか。
くっきー :お笑いもそうなんですけど、要らん影響を極力受けんように。
平野:うん、わかる。
くっきー :そもそもなんですけど、お笑いも絵も、人のもんに興味ないんですわ。
平野:(笑) 好きなアーティストはいないの?
くっきー :絵描きさんで、ですか?
平野:絵描きじゃなくても、どんなジャンルでもいいんだけど。
くっきー :ガキのころ聴いていた音楽とかは好きですけど……
平野:たとえば、どんな?
くっきー :パンクロックが好きで。
平野:あ、パンクか。ぼくは世代がもうちょっと上だから、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルの時代。
くっきー :ロック世代ですね。
平野:アーティストじゃなくても、たとえばアインシュタインを尊敬してます、みたいなことでもいいんだけど、こういう人をリスペクトしていますとか、こういうふうになりたいと思ってますみたいな人はいない?
くっきー :…………いないかなぁ(笑)。太陽の塔をつくらはって、「太郎先生、すげー!」とかそういうのはありますけど、その人のルーツを辿ってみたいなのはないですね。
平野:その態度、考え方。まさしくアーティストです。
くっきー :そういうことになっちゃいますかね〜〜。
平野・くっきー :(爆笑)
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次回は最終回。
「太郎が生きていたら」

くっきー
1976年3月12日生まれ。滋賀県出身。本名・川島邦裕。
幼稚園からの幼馴染だったロッシー(本名・城野克弥)と94年に「野性爆弾」を結成。NSC大阪校13期生。
若手時代から独特の世界観で注目され、MBSテレビ「オールザッツ漫才」などで注目を集める。
2008年に拠点を大阪から東京に移し、白塗りした顔で表現するモノマネ芸などが浸透し、2018年上半期ブレイク芸人NO.1となる。

絵画や映像、