他に類を見ない、オリジナリティあふれるコントを生み出す、お笑いコンビ・野性爆弾のくっきーさんとの対談です。
最終回は「太郎が生きていたら」
〈前回までは〉
①「最初はお笑い芸人の一部としてやっていた感じなんですわ。」
②「やりたいことをやって生きてきただけで……すんません!」
③「下描きはしますけど。でもそれもマジックとかで描きます。」
④「なんか……デカいですね。自分がすごくちっぽけに思えて。どうしよー!(笑)」
⑤「いままでだれも知らなかったものをつくりたいっていうのはありますね。」
⑥「お客さんに合わせることがダセェことやと思い込んじゃってて。」
⑦「でも飽き性なんで、また次にやりたいものが出てくると思うんですよね。」
⑧「習ったら、要らない脳みそや筋肉がついちゃうんじゃないですかね。」
「太陽の塔はぼくの脳みそのシワの隙間に確実に入り込んでると思うんです。」
平野:くーちゃんは太郎のどういうところが好きなの? 嫌いでもいいし、ここが納得できないみたいなことでもいいんだけど。
くっきー :やっぱり太陽の塔をはじめて見たときの圧倒的な感じがすごかったんですよね。正義か悪かわからないじゃないですか。どっちなんやろ、みたいな。敵か味方かもわからんし、ただただド迫力で、見たことのない造形という……。
平野:うん。
くっきー :やっぱ脳みそのどっかにバシっと残りますよね。太陽の塔はぼくの脳みそのシワの隙間に確実に入り込んでると思うんです。
平野:しかもアレ、なんだかわからないしね。「なにを表しているんですか?」ってよく訊かれるんだけど、正直に「わかりません」って答えてます。なにしろつくった本人がなにも言わなかったからね。たぶん本人も説明できないんじゃないかな。
くっきー :(笑) たしかに「三角の~白いので~」じゃ、ぜんぜん伝わらへんな。
平野:(笑)
くっきー :ぼくも「コレ、なんなん?」って訊かれて、説明できないこといっぱいありますよ。
平野:でもね、説明できるようなものって、けっきょく残らないんですよ。大阪万博を考えても、パビリオンはみんな無くなったのに、太陽の塔だけが残った。「進歩がつくる夢の未来」を説明するパビリオンは壊せても、太陽の塔は壊せなかった。太陽の塔だけが芸術だったからです。
くっきー :そういえば、ニューヨークに行ったときに、一枚一枚の絵に説明文が欲しいと言われて……
平野:ああ、それ、辛いね。
くっきー :そうなんですよ。そんなん、なんにも……なにせ無邪気に描いてるだけやから(笑)。後づけで理由を考えるのが大変で大変で。
平野:で、書いたの?
くっきー :書きました。
平野:そこは媚びたわけね?(笑)
くっきー :いや、そんなそんな……(笑)。まぁでも、売る用のやつやったから(笑)。
平野:もしいま太郎が生きていたら、一緒になにをやりたい?
くっきー :うわ〜、マジっすか!
平野:なんでもつきあってやるよって言われたら。
くっきー :う〜ん……(としばらく考えて)それこそ太郎先生の石膏像あったやないですか。ぼくの体に太郎先生の顔をくっつけたいです! それと、逆に太郎先生の体にぼくの顔をくっつけたい!
平野:(笑) 最後に訊きたいんだけど、いま激動の時代でしょ? この先どうなるかわからない。でも、そんななかで闘っていかなきゃならない。
くっきー :はい。
平野:芸に対してでも、芸術に対してでも、あるいは生き方に対してでもいいんだけど、これからの時代を生きていくにあたって、これだけは守りたい、これだけは大切にしたいと思っていることって、どんなことだろう?
くっきー :昔から一貫して「我を貫く」というか、「折れず、曲がらず、人に影響されず」っていうのが基本ですかね。日本刀のような精神というか。
平野:判断基準を他者に求めず、己のなかにあるものだけを信じて進んでいく、っていうことね?
くっきー :そうです。
平野:そこ、なんか太郎っぽいね。太郎はまさにそうだったから。
くっきー :(かなり小声で)近いですね、ぼくと。
平野:(爆笑) いやー、楽しかった。もっと話したかったなぁ。ぜんぜん足りないや。またやりましょうね。
くっきー :ぜひぜひ! またフラっと寄りますわ。
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くっきー
1976年3月12日生まれ。滋賀県出身。本名・川島邦裕。
幼稚園からの幼馴染だったロッシー(本名・城野克弥)と94年に「野性爆弾」を結成。NSC大阪校13期生。
若手時代から独特の世界観で注目され、MBSテレビ「オールザッツ漫才」などで注目を集める。
2008年に拠点を大阪から東京に移し、白塗りした顔で表現するモノマネ芸などが浸透し、2018年上半期ブレイク芸人NO.1となる。
絵画や映像、