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Okamoto Taro Column ㉕ " Festival "

岡本太郎コラム㉕東風西風「お祭り」

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お正月といっても近ごろは、マスコミやコマーシャリズムばかりが大騒ぎ。一般にはひどくむなしい。正月はもう、お祭りではないからだ。

お正月に限らない。本当の意味の「祭り」はわれわれの生活からはすっかり消え去ってしまったようである。かつての祭り、いまはただの休日に過ぎない。

「祭り」は近しい人、遠い人、すべてがより集まって、人間の根源的なよろこびに身を投げ出し、共通の生きがいを確認する神聖な瞬間だ。だが「休日」はみんなが自分勝手に、いわゆるレジャーを楽しむ。他人とはかかわりない。従って狭いのだ。強烈な充実感がない。

ところで、去年は学生問題に明け暮れたという感じだったが、まずは若者たちがあのように闘争に熱中するのか。……私はその裏に、言いようのない動機、不思議な情熱を直感する。だれもそんなことは指摘していないが。

「お祭り」

ヘルメットに覆面という粋(いき)なそろいの衣装で繰り出し、ゲバ棒をおどらして、もみあう姿。

とっぴょうしもない、と思われるかもしれないが、事のよしあしは別として、その様を見れば、まさに普段のルールを超えた盛り上がりである。

かつての社会は惰性や形式、その抑圧に対して、祭りを行うことで人間の根源的生命力をもりあげ、エネルギーを爆発させた。つまり社会全体の欲求不満をコントロールするハケ口があったわけだ。


今日、祭りを失った社会、加えて学園の仕組みのむなしさ、教育制度のゆがみ。ベルトコンベヤーに乗せられて、ただひたすら、平凡なサラリーマンになるために運ばれてきた若者たちも、やはり我慢できなくなった。その爆発だ。

「祭り」の役割はからずもああいう形で代用されている、とは言えないだろうか。

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