Think ② "Garbage and life"

岡本太郎コラム② 思うこと「ゴミと生活」

町々の大通りから露地裏まで、異様な匂いを放ってごろごろしているゴミ箱の、あの陰気な姿はどうにかならないものか。

しかしはみ出したゴミ屑には、奇妙に生活感がある。しかも冬はみかんの皮、夏は西瓜と、彩りも豊かである。

ふと淡い感傷をおぼえる。人間の欲望、よろこび、歓楽、その切実なものがぬけ去ってしまったあとのカス、ぬけ殻。それはゴミというよりも、生きることの悲しみ、不当さを形にして投げだした、そういう感じがする。

人間がまともに生きていくため、また燃えあがるよろこびのために、生活にとり入れた、――その時には真新しく、美しく、香ぐわしく、みずみずしかったのだ。それが人間的モメントを通過すると、引き裂かれ、しおれ、ふみつけられ、悪臭をはなつ。そこには、何か不当な、悲哀がある。

ところで私はながくパリに生活していたが、あの古風な町でも、建物ごとに大きなふた付きの容器にゴミを集め、早朝それを管理人が表に出しておく。市の車が未明に来て全部運んで行ってしまい、こぼれたゴミもすぐ後から轍水車がきて、きれいに洗い流して行くのである。

若いころ、よく夜中じゅう遊んで、明け方になってアトリエに帰った。ようやく白々と明けそめるパリの町々で、このきびきびとした作業が行われている。懐かしい思い出である。しかし、まともな生活をしている人は、寝ているうちに処理されてしまうので、ゴミが何時、どう消え去って行くのか知らない。ゴミの存在なんて抽象して暮らしている。

花の香りのうつろいとか、もののあわれを身にしみて味わっている日本人には、あっけないかもしれない。だがゴミ、糞尿を身のまわりにためておいて無常観を味わっている日本的な感情も、やがて生活のすべてが近代化されるとともに消えてしまうのだろう。