Think ③ "Olympics and the news"

岡本太郎コラム③ 思うこと「オリンピックと報道」

いささか、しぼみ加減だったオリンピック報道も、山中が出はじめると、また一だんと活気をとりもどすようだ。

いかにも勝負にこだわるなといっても、何たって競技だ。少しは勝たないと、腹のふくれない食いものみたいになってしまう。しかし緊張しすぎるのはどうもいただけない。

選手たちをはのるかそるかだし、若いんだから緊張するのも無理はないが、ローマまで押しかけた連中だの、またその報告を待ちかまえている国民がうるさい。奇妙に殺気だって、選手を気分的に追いつめるという感じである。

入場式のとき、日の丸の旗を見て目がしらがあつくなったという報道があった。こういう文章を見ると、オヤッと思う。紋切り型の表現だが、何となく、いやな気がするのだ。戦争中に使いふるされた言葉。ひどく安直で、説明にもならない。ところが涙ぐめば、それだけで責任がすんでしまったように、まるで道徳的価値みたいに押しつけがましく報告する。

日本人はお人よしだ。雄大で劇的なスペクタクルなんかに、すぐイカレてしまう。まして異国の空、いささか心細い思いのとき、日の丸を掲げた行進などを見ると、自分自身がふくれあがったような気がして、涙が出てくる。まことに純情である。――しかしそこには「うちっ子」の思いあがり、弱虫のエゴイズムがのぞいているといえないこともない。

涙もろい、感激性は日本人の一つの美点だと思う。だがその美点が美点であるためには、センチメンタリズムを他人に押しつけたり、売りものにしたりしないことだ。

オリンピック競技みたいな明朗なお祭りを、妙に悲劇的に、コチコチにしてしまうのは、泥臭いかぎりである。