岡本太郎コラム⑥ 思うこと「秋風の庭」

けさは秋風がからりと晴れあがり、戸をあけると、さわやかな風が吹いていた。まるで珍しいものでも見るように、わが家の庭を眺めているうち、ふと気がついた。

隅の六尺たらずの細い松の木が、いつの間にか真っ赤な葉ばかりになって、枯れてしまっている。

ちょっとがっかりしたような、だがほっとした、奇妙な気分になった。この松は前に住んでいた多摩川のアトリエからもって来たやつなのだ。終戦後間もなく、私がやっと家を見つけて移ったとき、こいつは既に今くらいの大きさだった。茂った芭蕉のたくましい葉っぱの間に、ねじまげられ、悲鳴をあげたかっこうで、細々と立っていた。よれよれになったカンジンよりみたいに。

かわいそうなので、風通しのいいところに植えかえてやった。しかし生いたちからいためつけられたせいか、少しも威勢よくならない。

いまの青山の家に引っ越すとき、そのこっけいだが哀れな姿が、ユーモラスでもあり、いささか愛着を感じたので、わざわざ持って来た。だが近代建築のスペースには、どこに置いても、かっこうがつかない。また住んでみてから、使い勝手によって何度かわが家にも手を入れた。その度に、奇妙にこの松が邪魔になる。かわいそうに思いながら、仕方なくあっちに植えかえ、こっちに動かし。その度に生気をとりもどしたり、勢いがなくなったり、それでも根強く生きていた。何とかして育ててやりたいのだが、一向に太りもせず、大きくもならなかった。

とうとう一番目立たない隅の方に定着してかれこれ二、三年、失意のドンキホーテのようにやせねじれた姿でいたのだが、今日ふと気がつくと真っ赤になっている。十年以上のつきあいだったのに。

まことに不運なやつ。こういうのに限って、同情され、邪魔ものにされ、いつも次々と居所を追われて、一生伸びきらず、色あせ、よじれ曲り、人知れずにいつか枯れてしまう。そのわきには憎らしげな梧桐がもりもりと葉を茂らせ、逞しく伸びているのに。

秋風の庭は人生の縮図だった。