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OsamuNishitani Talks⑤ "I and the world"

西谷修対談⑤「わたしと世界」

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フランス文学・思想の研究をはじめ、世界史や戦争、メディア、芸術といった幅広い分野での研究・思索活動で知られる西谷修さんとの対談です。
第五回目は「秘密結社『アセファル』」。

〈前回までは〉
①「それが『言葉のもった生きもの』のセクシュアリティなんですよ。」
②「バタイユは『死は生きる人間にとっての極点』だと考えていました。」
③「周りから見たら、『ちょっと救急車呼んだほうがいいんじゃない?』って話ですよ。」
④「わたしっていうのは、単にここに座っている人間のことではない。この空間全体がわたしなんです。」

「いまの世界だったら、だれもが変なカルトだと言うかもしれない。」

平野:バタイユに話を戻すと、太郎の芸術観にバタイユが決定的な影響を及ぼしていることは間違いないですよね? 「芸術なんて、道ばたに転がっている石ころと等価値だ」みたいな発想もそのひとつではないかと思うんですが……

西谷:たとえばキリスト教だって、「ひとりの男が死んだ」っていうことだけをネタにここまで広げてきたわけだからね。

平野:たしかに!(笑)

西谷:そこには「コミュニケーションとはなにか」という問題がある。人と人との繫がりは、言語コミュニケーションだけじゃありません。「こういう人がいる」というインパクトを受けることだって、コミュニケーションですからね。

平野:はい。

西谷:そこから長い時間を経たのちに、「熱心なひとりの男がいた」ということを使ってこれだけの西洋社会ができたとすると、ひとりの人間が、まさに「ひとりの人間ではない」ことを引き受けたということ。ほんとうは不可能なことだけど、そこにひとりが踏み込むことによって、この社会に強烈なバイブレーションをもたらし、コミュニケーションのあり方を変えていく。

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平野:キリストが「全世界の罪を負って死んだ」という話にしたことによって、これだけの社会がつくられたと?

西谷:そうです。それをもう1回やろう!、みたいなことを考えたのが……

平野:バタイユだ! 冒頭に話にあった秘密結社「アセファル」が執行した秘儀ですね。メンバーがサンジェルマンの森で行なったという……。太郎も参加していて、代表作の『夜』『電撃』(ともに1947)のモチーフになったと言われています。メンバー全員が固く口を閉ざしたので、そこでなにが行われたのかは闇に葬られたままだけど。

西谷:いまの世界だったら、だれもが変なカルトだと言うかもしれない。でもそんなこと言うようなヤツらはわかってないん、バタイユはそんな感じで、ほんとうにやる気になっちゃった。なにしろ世界が切羽つまっていたからね。ヨーロッパ大戦があって、末世の中からヒットラーが政権を取り、ヨーロッパは一触即発の状況で。

平野:そうだったでしょうね。

西谷:次に大戦が起きたら世界は破滅することがわかっていた。その破滅と競争するかのような切迫感のなかで……。でもひとりでやったのでは意味がない。かならずだれかが分かちもたないと。

平野:世間に伝えるために?

西谷:それだけではなくて、その伝播が現実化するために。ひとりでそれやってもアホがまた死んだと思われるだけでしょう?

平野:そうか。行為を分かちもつことが共同化するってことですもんね。

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西谷:バタイユはそこで死ぬつもりだったんだろうけど、だれも首を刎ねてくれない。

平野:(笑)

西谷:それからしばらくしてアセファルは解散。数ヶ月後には第二次世界大戦となるわけです。秘密結社のアセファルには表の顔があって、「聖社会学研究会」というんです。その研究会は、真面目かつ学術的に聖なるものの研究を広めていくというものだったんだけど、太郎はまずそこに入った。以前から知り合っていただろうけど、そこでバタイユに大いに惹きつけられた。

平野:なるほど。

西谷:研究会までならともかく、秘密結社まで行ったっていうのは考えられないことですよ。なにしろ1930年代の日本人ですからね。ヘンな東洋人がいると思う連中も少なからずいたと思うけど、バタイユは排除しなかったんでしょう。

平野:それで太郎は最後までついていった。

西谷:そうしたバタイユの考え方や生き方、そこまで追い込んだ状況を、太郎は身に引き受けたのだと思うんです。

平野:そうかもしれませんね。

西谷:でも太郎がなんでそこにいたのかといえば、やはり何か表現したいからでしょう?
でもそこでは表現さえも問題にならなくなっちゃうくらいの状況になったわけです。そういう状況をくぐった後に日本に帰ってきて、また兵隊に行って……。岡本太郎にとって芸術とは、そんな修羅場や戦火をくぐっても生きている、自分そのものの表現だったのでしょう。言い換えれば、「生きる」ことそのものが芸術だった。

平野:そうなると、単に造形としてなにを表現すべきか、みたいなことはほとんど関係なくなりますね。

西谷:もちろん太郎だって、自分のそういう活動やっていくためには、お金を稼がなくちゃいけないってことはあったでしょう。

平野:はい。

西谷:けれども、そうして自分が生きていること、生きていくということが表現にならなかったら、この長い歴史のなかで何かが残るはずがない。大勢の人間が生き死にするなかで生きているわけですからね。経験をなんらかの形で表現するということがあってはじめて、人間の歴史はつづいているわけです。



次回は「『岡本太郎』をつくった1930年代のパリの空気」。

⑥洗練や古典化なんて摩滅した感覚だ。感受性から世界を変えないといけない、と彼らは考えた。

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西谷修

1950年生まれ。
東京外語大学名誉教授。
著書に『「西谷修 著書に『アメリカ 異形の制度空間 (講談社)』、
『夜の鼓動にふれる:戦争論講義』(筑摩書房)など。

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