未分類

OsamuNishitani Talks⑦ "I and the world"

西谷修対談⑦「わたしと世界」

P1870730

フランス文学・思想の研究をはじめ、世界史や戦争、メディア、芸術といった幅広い分野での研究・思索活動で知られる西谷修さんとの対談です。
第七回目は「岡本太郎は民族学に行かざるを得なかった」。

〈前回までは〉
①「それが『言葉のもった生きもの』のセクシュアリティなんですよ。」
②「バタイユは『死は生きる人間にとっての極点』だと考えていました。」
③「周りから見たら、『ちょっと救急車呼んだほうがいいんじゃない?』って話ですよ。」
④「わたしっていうのは、単にここに座っている人間のことではない。この空間全体がわたしなんです。」
「いまの世界だったら、だれもが変なカルトだと言うかもしれない。」
⑥「洗練や古典化なんて摩滅した感覚だ。感受性から世界を変えないといけない、と彼らは考えた。」

「それまで褒めた讃えられ、権威になっているものすべてが『ふざけるんじゃねえ!』っていう感じだった。」

西谷:ドイツではフロイトの精神分析が出ていましたが、第一次大戦後には、ハイデガーの哲学が出てきます。両方ともパリにも影響しました。ハイデガーの講義は20年代の後半から人気があって、28年には『存在と時間』が出版された。

平野:それって、一言でいうと、どういう哲学なんですか?

西谷:それまでの哲学は、「はっきり理詰めで考える」ものだった。理性的意識が原理ですから。けれども、ハイデガーは、「まず不安という気分がある」と言う。

平野:へえ。

西谷:「現存在の不安」というのですが、時代の核心ですよ。まさに知性が不安にさらされていましからね。

平野:20世紀になって、抽象やシュルレアリスムなどの近代美術が出てきた。それらは19世紀までの美術の常識やそれを支えていた美意識をひっくり返そうとするものだった。そういうふうに学校で教わるわけですけど、いまの話を聞いていると、それは天才芸術家たちが思いついた新しいアイデアだったというよりも、ヨーロッパ文明の崩壊を目の当たりにして、それまでのやり方をひっくり返さなければ次に進めなかったっていうことなんですね。

西谷:そういうことです。絵を描こう、小説を書こうと思った連中は、いままでどおりのことはやっていられなかった。

P1920244
平野:そんなことをやっていたから戦争なんかが起きてしまったんだと?

西谷:そうです。

平野:いままで積み上げてきたものはすべて戦争とともに否定すべきものになった。オマエらがつくったもので戦争になったんじゃないかと。

西谷:それまで褒めた讃えられ、権威になっているものすべてが「ふざけるんじゃねえ!」っていう感じだった。だから美術史的にいえば、この時代に新しいいろんなやり方ができましたっていう話ではあるんだけれど、それは美術の領域の現象として見たときで、もっと大きな流れのなかで、知的な関心や感受性のあり方全般が大きく変わって、世界に対する不安や怒りが表現を突き動かしていった、ということじゃないでしょうか。

平野:過去の構築物を壊して、そこからどういう可能性があるか、みんなで探っていったわけですね。

西谷:そう。前衛運動はまさに〝運動〟であって、だからグループになっていた。個人じゃないんです。

平野:そうか。革命みたいなものなんだな。

西谷:まさに感受性の暴動です。そうやって革命を起こして権力を取ったのがアンドレ・ブルトンです。

平野:以前、多摩美大教授の安藤礼二さんと「太郎はパリ時代にあれほどのエリート集団に仲間入りさせてもらいながら、戦後なんでパリに戻らなかったんだろう?」っていう話をしているときに、彼は「太郎は西洋文化の中心にたどり着くぞ! と意気込んでヨーロッパに渡ったはずだけど、行ってみたらパリの文化人たちの目はヨーロッパではなく周縁に向いていた」と言うんですね。

西谷:そうも言えますね。

P1920301
平野:当時生まれた近代的な民族学が典型だろうけど、ヨーロッパのキリスト教文明の外側にあるものを一生懸命に研究していた。そういう状況を目の当たりして、最初は驚いたかもしれない。でも、もしかしたら太郎は、自分は日本っていう端っこに、つまり彼らヨーロッパの文化人が探求しようとしている〝外の世界〟に生きてきたことを認識して、「オレが居た場所は、彼らにとっては探求対象の〝外の世界〟だけど、オレは最初からそのなかに居る。ならばその〝地の利〟を生かした方がいいんじゃないか」と考えたかもしれない。日本にとどまり、日本を考えつづけた理由はそこにあるのではないかと。これは安藤さんの論考のぼくなりの理解なんですけど、西谷さんはどう思われます?

西谷:たしかに。日本も近代化を追い求めたけれど、それによって潰されるものに、太郎は事実上引き寄せられてゆきますよね。パリは20世紀初頭には世界の都で、みんなそこに集まったわけですが、とりわけシュルレアリスム以後を見てみると、世界に開いているんですよ。アフリカ、ラテンアメリカ、カリブ海……。いままでの西洋的な審美眼だとそんなものは枠組みに入ってこなかった。眼中になかったわけだけれど、西洋という軸が崩れたために、状況が大きく変わったんです。

平野:はい。

西谷:そんなパリを見て、岡本太郎は自分の西洋も崩して、いろんなものに開かれてゆく。その灼熱に魅了されて思ったでしょう、「どうやってタブローを構成するか」なんてことは問題じゃないんだと。

平野:きっとそうだったんだろうな。

西谷:たとえば100年、200年経ったときに「絵画表現、芸術表現とはなにか」と問われたときにどう答えるか。自分がやること、やりたいこと、表現ってなんだろうと考えたときに、岡本太郎は民族学に行かざるを得なかったんだと思うんですよ。

平野:幸いなことに、太郎は自分の周りにアルフレッド・メトローやマルセル・モースの授業に通う人がいた。「おもしろいからいっしょに来ないか?」と誘ってくれた。

西谷:当時の民族学は人間の営みについてのまったく新しい知見を掘り起こしていました。人間の生存……人間はひとりで住んでいるのではないから、どういう集団のあり方があるのか、そこで根本的に考えたと思うんです。



次回は「太郎の目指したもの」。

⑧「もはやモダニズムを追う、さらに新しいものを追うっていう、そういう思考ではなくなっていたんじゃないかと思うんです。」

P1920066
西谷修

1950年生まれ。
東京外語大学名誉教授。
著書に『「西谷修 著書に『アメリカ 異形の制度空間 (講談社)』、
『夜の鼓動にふれる:戦争論講義』(筑摩書房)など。

Articles

Special Feature

Channel Taro TV

Read More
:: August 1, 2018

映画『太陽の塔』トレーラー

Read More
:: March 21, 2017

《門扉》制作風景

Read More
:: November 30, 2016

《樹人》制作風景!