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OsamuNishitani Talks⑨ "I and the world"

西谷修対談⑨「わたしと世界」

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フランス文学・思想の研究をはじめ、世界史や戦争、メディア、芸術といった幅広い分野での研究・思索活動で知られる西谷修さんとの対談です。
第九回目は「芸術思想の原点」。

〈前回までは〉
①「それが『言葉のもった生きもの』のセクシュアリティなんですよ。」
②「バタイユは『死は生きる人間にとっての極点』だと考えていました。」
③「周りから見たら、『ちょっと救急車呼んだほうがいいんじゃない?』って話ですよ。」
④「わたしっていうのは、単にここに座っている人間のことではない。この空間全体がわたしなんです。」
「いまの世界だったら、だれもが変なカルトだと言うかもしれない。」
⑥「洗練や古典化なんて摩滅した感覚だ。感受性から世界を変えないといけない、と彼らは考えた。」
⑦「それまで褒めた讃えられ、権威になっているものすべてが『ふざけるんじゃねえ!』っていう感じだった。」
「もはやモダニズムを追う、さらに新しいものを追うっていう、そういう思考ではなくなっていたんじゃないかと思うんです。」

「『描くとか作るというのはどういうことなのか』を突き詰めようとしたんだと思うんですよ。」

平野:太郎はマーケットのことをいっさい考えていなかった。なにしろ絵を売らなかった人ですからね。

西谷:そうなんですか。

平野:その根っこはパリ時代にあるんじゃないかと思うんですよ。彼は博物館で仮面や祭具、生活雑器などの民族資料を見て感動したわけだけど、理由のひとつは、それらが職業作家や職人が商品としてつくったものではなく、民衆が祭りや生活で使うために自らつくったものであること。芸術は商品ではない、生活そのものが芸術なんだ、っていう芸術思想の原点はそこにあるんじゃないかと思うんです。

西谷:売るために描く、つくるなんて卑しい。芸術は無償、無条件であるべきだって言ってたんでしょう?

平野:「芸術は太陽のようなものだ」とよく言っていたようです。太陽は無限にエネルギーを注いでくれるけれど、だからといって「おい、暖かかっただろ? だからいくら寄こせ」なんて言わないと。こういった考えって、バタイユをはじめパリでふれあった思想とやはり関係があるんでしょうか?

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西谷:アフリカの面がね、なんで美術って言われるようになったか。それはブルトンやピカソが素晴らしいと言ったから。つまり画商がついたからです。

平野:おおー!(笑)

西谷:西洋近代美術ってそうなんですよ。アフリカの仮面が芸術として発見されたのは画商がついたから。19世紀のはじめからマーケットシステムがベースになった。そして作品はプロダクションと呼ばれるようになる。

平野:考えてみれば、それが「近代」ですもんね。それまでは絵描きはみんな雇われの宮廷画家だったわけだし、美術を流通させるマーケットもなかったし。

西谷:パトロンがいればよかったんです。

平野:商品として流通するメカニズムが生まれたからこそ、近代的な意味での「美術」が成立するようになったわけだから。

西谷:岡本太郎はね、ブルトンたちのそういう体質に馴染まないところがあったと思うんですよ。新しい芸術運動だって、言うなれば画商を引っ張ってこないといけないわけだから。

平野:そうですよね。

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西谷:だから民族学に傾斜していったんじゃないかな、一生懸命作品をつくるんじゃなくてね。作品をつくるってことは、要するに画商がつくようになるってことだから。それよりも民族学に入り込んでいって、そこで「描くとか作るというのはどういうことなのか」を突き詰めようとしたんだと思うんですよ。

平野:ああ、なるほど。

西谷:「商品ではない表現」ってなんだろうと考えると……フランス語でね、「イネスティマブル オブジェ ド トランスミッション」って言葉があって、「トランスミッション」は「伝承」です。世代を超えて伝えていくこと。「イネスティマブル オブジェ」っていうのは、「エスティメイトできないオブジェクト」です。

平野:価値が計算できないオブジェクト……

西谷:売ろうとしてつくられていない。そして値がつかない。カントは、あらゆるものには値がつけられる、つまり「あらゆるものには価値がある」と言った。「無駄なものはひとつもない」いうことになりますが……

平野:はい。

西谷:もうひとつ言ったのは、「値段がつけられないものがある。それを尊厳という」。

平野:へえ、いいこと言うなあ。

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西谷:バタイユは「あらゆる有用性、役立つものの彼方へ」と言った。そして「有用性、役立つ、ユーティリティ」を徹底的に否定していくんです。「ユーティリティ」とは「なにかの役に立つ」こと。たとえば、ここにコップがあるけれど、コップはみんなが使える。役に立つわけですね。だから価値がある……これは近代の考え方。

平野:はい、わかります。

西谷:役に立つということは、「飲む」「使う」といった目的に、コップそのものが「従属」しているということ。

平野:目的への奴隷?

西谷:そう。だからなにかよくわらない役に立たないものがあったとして、役に立たないから値段がつかない。値段がつかないということは、それ自体に価値があるってこと。そうでしょ?

平野:よくわかります。そもそも芸術ってそういうものですよね? なにかに役立てるためにつくられるものじゃない。

西谷:そして、美的な消費の対象にならなくてもね。でも描いてしまう、作ってしまう。そういうものは、時間を超えてありつづけるわけです。「太陽の塔」のことを思い浮かべてるんですが、だから岡本太郎が何か本格的につくるときには、何百年後の人間がこれをどう受け止めるかってことを、考えてたみたいになってしまうんでしょう。



次回は「瞬間について」。

⑩「現在しかない。つまり、時間が流れてない、持続を断ち切るこの一瞬、瞬間こそが永遠であり、ここにすべてが開かれてある」

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西谷修

1950年生まれ。
東京外語大学名誉教授。
著書に『「西谷修 著書に『アメリカ 異形の制度空間 (講談社)』、
『夜の鼓動にふれる:戦争論講義』(筑摩書房)など。

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