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佐藤タイジ対談①「オレの〝踊り方〟」

ロックバンドTHEATRE BROOKのボーカル、ギタリストであり、すべてソーラー電気だけで開催する野外ロックフェス「中津川THE SOLAR BUDOKAN」の主宰、佐藤タイジさんとの対談です。
第1回目は「ロック小僧」。

②「あれもこれも好きだから、あれにもこれにもなってみたいけど、こっちも好きだから、こっちにもなってみたい……みたいな。」
③「オレは上手に弾きたいわけじゃなくて、『ギターを弾きたいんだ!』っていう感じなんですよ、うまく言えないけど。」
④「混ぜ混ぜするものが好きなのか? 食べ物も冷奴とご飯を混ぜるのが大好きだし。」
⑤「けっきょく思ってもいないことを無理矢理やったところで、いい結果にはならないし、伝わりませんからね。」
⑥「踊れるのが好き。踊れる音楽が聴きたい。どんなものであれ踊れるのが好き」
⑦「『それならソーラーエネルギーでやればいいじゃないか』っていうアイデアが浮んできた。」
⑧「『たぶんオレは死んでるんだな』って思うんですよ。これはもう死後の世界にちがいないと。」
⑨「でもオレの夢はそっちじゃなくて、世界中でおなじこと考えている人とネットワークができたらいいなって。」

「だから『オレ、ポールが弾いているベースをやる!』って言ったんだけど――」

平野:きょうは日本を代表するロックバンド「THEATRE BROOK」のギターボーカルで、ソロでも活躍されている佐藤タイジさんにお越しいただきました。

佐藤:楽しみにしてました。よろしくお願いします!

平野:まずは「佐藤タイジはいかにして佐藤タイジになったのか」っていうあたりから聞こうかな。

佐藤:え、なんですか、それ?(笑)

平野:タイジさんって、たしか徳島のご出身でしたよね? こどものころはどんな感じだったんですか?

佐藤:いや、どこにでもいる「ロック小僧」ですよ(笑)。

平野:でもその小僧がいつの間にかロックスターになっていたわけでしょ?

佐藤:あー、いや、そこはあんまり変わってないです。いまでもロック小僧のままですから。

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平野:OK!(笑) で、どんなこどもだったんです?

佐藤:小学校のときは成績がよくて、バスケ部のキャプテンで。

平野:おお! 絵に描いたような優等生じゃないですか。勉強も運動もできて。

佐藤:ところが中学を受験して――頭のいい子が集まる進学校に入っちゃったんですけど――そうしたら成績のいいヤツらばっかりで、いくら勉強しても勝てなくなっちゃって。

平野:はじめて挫折を味わったわけだ。「勉強ではオレはこいつらに勝てない」と。

佐藤:そうです。ちょうどそのころ、ソフトボール部のキャプテンだったヤツが「バンドやらない?」って誘ってきて。

平野:なるほど。

佐藤:で、バンドをやるんだったらベースだ!と。姉の部屋にポール・マッカートニーのポスターが貼ってあったんですよ。だから「オレ、ポールが弾いているベースをやる!」って言ったんだけど――

平野:うん。

佐藤:友だちに「あ、ごめん。オレ、もうベースを買っちゃったんだよね」って言われて。しかたなくギターにしたんです。

平野:もしその友だちがギターを選んでいたら、いまごろタイジさんはベーシストになっていたわけだ。それはそれで見てみたかったな。

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佐藤:そんな感じで、タブ譜(=弦を表す6本の線のうえに押さえるフレットの数字が書かれた譜面。五線譜が読めなくても演奏できる)が載っている教則本を買ってきて、練習をはじめたんですよ。リッチー・ブラックモアやヴァン・ヘイレン、サンタナなんかをね。

平野:じっさいにはどんな曲を演っていたんです?

佐藤:中学のころはディープパープルのコピーバンドを。

平野:あ、やっぱり。みんなそこは通るんだな。でもちょっと待って。タイジさん、何年生まれでしたっけ?

佐藤:1967年です。

平野:1967年生まれで中学っていうと、1980〜2年くらいでしょ?

佐藤:そうですね。

平野:そのころ、徳島の中学生って洋楽ロックを聴いてました?

佐藤:いや、少なかったですね。少なかったけれど、音楽好きの連中もいて、楽器屋やレコード屋に集まってたんです。「ジェイ・グレイドンっていうギタリストがいるよ」なんて先輩に教えてもらったりして。

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平野:ぼくは1959年生まれで、はじめて洋楽に出会ったのが小学校6年、1970年だったから、タイジさんより10年早かった。親父がゴルフのコンペかなにかで貰ってきた真っ赤な球体のラジオをくれてね。スイッチを入れたら、周波数がたまたまFEN(米軍極東放送)、いまのAFNに合っていたんです。

佐藤:おー!(笑)

平野:いま思うと、ほんとうに運が良かった。なにしろ、いきなりウルフマン・ジャックの声が部屋中に響き渡ったんだから。「なんだこれは! カッケー!」ってね。

佐藤:運命的な出会いですね。

平野: 70年といえばビートルズが解散した年。ちょうどそのあたりからロックミュージックがバリエーションを広げながら大きく展開していった。ハードロックが現れ、グラムロックが現れ、ブラスロックが現れ――。まさにロックの黄金時代です。

佐藤:そうですね。

平野:幸運にも、ぼくはそれをリアルタイムで経験できた。

佐藤:羨ましいな。

平野:ぼくが中学のころ、洋楽を聴いている奴なんて、クラスに5人もいませんでしたよ。

佐藤:ああ、そうでしょうね。

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平野:当時はテレビの歌番組の全盛期で、こどもたちは歌謡曲を聴いていました。南沙織とか天地真理とかね。でもそれから10年経ったときには、徳島でもロックを聴くこどもたちが居たってことだ。

佐藤:あ、でも、クラスのなかでは松田聖子のほうが断然人気ありましたよ。

平野:まあ、そりゃそうでしょう。それで、タイジさんはすぐに弾けるようになったんですか? たとえば、ギター小僧が最初にトライするディープパープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」なんかでも、リフはまだしも、ソロはお手上げだったでしょ?

佐藤:あー、それが、オレは最初からソロを弾くのが楽しかったんですよね。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」も「ハイウェイスター」も。

平野:え、中学生なのに?

佐藤:坊主頭だったんですけどね。学祭で「ハイウェイスター」を弾く坊主頭。

平野:(笑) それはすごい。すぐにソロが弾けたわけね。さすがだ! オレとぜんぜんちがうじゃないか!

佐藤:(笑)

平野:でも進学校だったわけでしょ? もしかして、そのあたりで勉強は諦めた?

佐藤:はい、もう潔くスッパリと(笑)。まわりを見渡しても、中学2、3年生でそこまでギターを弾けるヤツがいなかったんで、「これだ! オレはこれでいい! これがオレの道だ!」って、早めに勉強を切り上げたって感じで………

平野:OK!(笑)



次回は「個性の秘密」。

②「あれもこれも好きだから、あれにもこれにもなってみたいけど、こっちも好きだから、こっちにもなってみたい……みたいな。」

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佐藤タイジ

徳島県出身。ギターボーカル日本代表。
太陽光発電システムによるロックフェス
「THE SOLAR BUDOKAN(since 2012)」の主宰者。
日本の音楽界と再生エネルギー界を牽引する稀有なモジャモジャ頭。
「ロックスター」「ファンキー最高責任者」は彼の代名詞。
’86、シアターブルック結成。
’91、RedHotChili Peppersのフロントアクト。
’95、EPICからデビュー。「ありったけの愛」がJ-WAVE.FM802など主要FM局でヘビーローテーション。
ちなみに太陽の愛を歌ったこの曲を歌い続けたことが
「THE SOLAR BUDOKAN」のアイデアの源泉。
この他、クラブ系ユニット「The SunPaulo」ではエレクトロ。
加山雄三率いる「The KingAllStars」では主要メンバー。
そして高円寺阿波おどりとのコラボ「佐藤タイジ&華純連」は日本の音楽史の転換点となる壮大なプロジェクト。楽曲「踊らなソンソン」はiTunes.Spotifyなどで絶賛配信中。
佐藤タイジは間違いなく日本代表ロックスターなのだ!
■佐藤タイジ HP
http://www.taijinho.com/
■シアターブルック HP
http://www.theatrebrook.com/
■THE SOLAR BUDOKAN HP
http://solarbudokan.com/

 

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